本契約
――それでもまだ、少し躊躇うように、彼の吐息が首筋の辺りで迷うように真弓の肌を撫で上げていく。
そのくすぐったさに、思わず変な声を上げそうになって、真弓は慌てて息を止めた。
戸惑いがちに触れる、体温。柔らかく、湿った感触。
今度は吐息だけでなく彼の唇が直接、ことさらゆっくりと肌をなぞっていく。
何度も何度も執拗に、肩の半ば辺りから耳元、そのすぐ下、顎の付け根辺りまでを往復するその間にも、彼の吐息が肌に触れる。
しかもそれが、だんだんと荒くなっていくのを、文字通り肌で感じる。
止めた呼吸が保たなくなって、真弓が思わず息を漏らした――その時、ようやくその動きがある一点で止まった。
そこ、その一点に、これまで触れていたものよりさらに湿った感触が、新たに肌に触れ、何度も何度も、まるで食むように吸い付かれる。
「……!?」
単純に、牙でガブリと食いつかれ、血を吸われる……と、その程度にしか想像できて居なかった真弓の脳はあっという間にその許容量をオーバーし、真弓は声にならない悲鳴を脳裏に響かせた。
だが、決定的に許容量がパンクし、真弓の意識が暗転するその前に、ある意味ようやくとすら思えるタイミングで、その感触が肌に触れた。
2本の、固く鋭い物。――彼の牙が、肌に押し当てられる。
――躊躇いは、無かった。
それが触れた、と、真弓のふやけた頭がまともにそれを認識する頃にはもう、その柔な肌はあっけなく破られ、2本の牙が肌の下へと埋め込まれていた。
「――ッ!」
ブツリと牙が肌を破る音が、やけにはっきりと聞こえた瞬間、鋭く熱い痛みが真弓を襲った。
その痛みに思わず、息を呑む。
皮膚の下の血管に届くまで、深々と打ち込まれた2本の牙が血管を破る。
そこからじわじわと滲んでくる血を、強く吸い上げ、飲み込む。
それは――それこそ、真弓が想定していた事……の、はずなのだが――
傷口をいたぶられる鈍い痛み。
耳のすぐ傍で鼓膜を刺激し続ける、彼の唇や舌が立てる僅かな水音と、時折漏れる吐息のくすぐったさ。
頬に触れる彼の髪。身体に感じる彼の体温。
そのリアルさは、まったくもって想定外で、真弓の想像の範疇を完全にオーバーしていた。
とにかく、恥ずかしくてたまらなくて、真弓の頭と心臓は混乱の極みにあったが、それでも、それを“嫌”だとはこれっぽっちも思わなかった。
と、いうか……気のせいだろうか、なんだかむしろ気持ちよくなってきたような……?
だが、幸いと言うべきか――。
静かにゆっくり止めていた息を吐き出しながら、なんとか暴れる心臓を宥めにかかろうとした真弓をよそに、梓馬が傷口から牙を引き抜いた。
まだ少し荒い呼吸を繰り返しながら、梓馬は今度は自らの手首に牙を立て、すすり上げた血を口に含んだまま、その唇を真弓のそれと重ねた。
先ほどの飴玉にも似た、塩っぽい鉄錆の味がどろりと舌に落ちる。
どろりと舌を伝っていくそれを、真弓がこくりと確かに飲み下したのを見届けた梓馬が、厳かに告げた。
「……これで、本契約はなされた。あとは組織に書類を提出すれば、お前は「チーム槐」の正式な一員となる。――が……」
梓馬は手で真弓の視界を塞いで言った。
「今は、少し休め」
「ほんならわい、書類一式支度して来ますわ!」
うきうきと棗が梓馬の頭を蹴って、ふわりと宙を舞った。
気づけば、いつの間にか辺りに元の喧騒が戻って来ている。
「少し、眠れ。……起きたら、我らが組織の支部へ案内しよう」




