ヒーローは遅れてやって来る
これまでビクともしなかった彼の体が傾ぎ、どすんと玄関の土間に尻餅をついた。
一瞬何が起こったか分からない様子で戸惑いながらも、彼はすぐにカッと顔を真っ赤に染め、目を吊り上げて再び掴みかかってくる。
「てめえ、何しやがる! いい加減素直になりやがれっつってんのが分かんねぇのか、ああ?」
思わぬ反撃を喰らった和が、逆上して怒鳴り声を上げるのを背中で聞きながら、真弓は必死で二階へ逃れる。
飴玉の効果で底上げされた今の腕力なら、和に対抗できるかもしれない。
――そう思っても、喧嘩慣れしていない真弓では、人の殴り方など分からない。
怖くて、ただ逃げる事しか思い浮かばず、自室に飛び込み扉を閉め、鍵をかけた。
「おい、開けろ! 開けねえとドアをぶち壊すぞ!」
当然のようにすぐさま追いかけてきた彼が、どんどんと乱暴に扉を叩く音が、静かな室内に大きく響く。
やがて、何度叩いても返答が無いと判断したのか、ドスンとこれまでと重さの違う音が扉を打った。――扉の中央が、大きくしなる。
音からして、どうやら扉を力任せに蹴りつけ、蹴破ろうとしているらしい。
一般家庭の室内扉のロックなど、所詮形ばかりのもの。たった2,3度ばかりの攻撃であえなく白旗を振った。
金具が吹き飛び、扉が大きく口を開けた――その敷居の向こうで和が笑う。
まず一歩、敷居を跨いで部屋に入ってくる。
真弓は彼の歩みに合わえて後ずさるが、もう逃げ場は残されていない。部屋を見回しても、窓はいつもの通り雨戸がしっかり閉ざされている。しかも、真弓の背後にあるのはベッド。
これ以上ない最悪のシチュエーションの中で、真弓はもう一度和を突き飛ばそうと身構えた。
しかし、彼がその間合いに入ってくる直前、和と真弓の間に立ちはだかった者が居た。
「――貴様。これはもう立派な犯罪だと、分かってやっているのか?」
突如、という表現が一番的確だろう。
今の今まで、どこにも居なかったはずの男が、突然パッと現れ、和の腕を掴んで捻り上げた。
「嬢ちゃん、大丈夫か? すまん、も少し早う来れたら良かったんやけど」
ぽすり、と軽い重みと共に、棗の声が頭の上から降ってくる。
「なっ、どこから! ってか、何でこんな時間にこいつの家に居るんだよお前!」
「……それは、少なくとも今のお前に言えた台詞ではないと思うが――貴様から妙な気配を感じたから、あれからずっと監視していたんだ。そうしたら、貴様がこうして俺の協力者に危害を加えようとしたのでな」
自然な動作で梓馬は和を床に張り付け、慣れた様子で押さえつける。
「……っ、ふざけるなっ、こいつは俺のモノだ! 昔から俺に惚れてるくせに、まだ恋が何だか分かってねえお子様なんだ。だから、俺がこうして親切にも教えてやろうと――」
離せ、離せと喚きながら暴れる和の頬を、梓馬が不意にガツンと殴りつけた。
「お前は、お前こそ身体ばかり育って中身はガキのままなのか? 他人の心を思いやる事もせず、思い込みだけで相手を見て、自分に都合の悪い事実は丸無視か?」
真弓の記憶にある限り、和が人に殴られる場面を見るのは初めてだ。
彼も呆然と梓馬を見上げ、打たれた頬を押さえたが、憎しみのこもった目で梓馬を睨んだ。
「思い込み……だと……? いや、違う! つーか、俺のに近づくな。話しかけるな。見るな、触るな、消えろ……! 真弓……、さあ、来いよ……!」
硬く冷たいフローリングの床に拘束された和は、捻り上げられていない方の腕を、真弓を求めるように伸ばし――ぶわっと、彼の影が突如膨れ上がった。




