槐の主従
緑が丘市桜町。
丘陵地帯を切り拓いて造った町の、一番小高い丘の上に建つ、由緒正しい私立高校は、たった今真弓が下ってきたこの坂道を上った先にある。
――だからもちろん、その噂の事は真弓もよく知っていた。
「梅宮学園高等学校、1年A組、安倍真弓。学園七不思議に纏わる事件の犯人を捕縛するまでの間、俺の協力者として調査に協力して欲しい。無論、相応の報酬も支払おう」
彼は、黙り込んだまま一言も返さない真弓に憤る様子もなく、淡々とそう持ちかけた。
(これは……クールタイプなのか……それとも天然マイペースタイプ?)
「この事件、人外のものが関与している疑いがある。任を受けた以上、俺は迅速に事件の調査を行わねばならないが、……一つ、問題がある」
それはそうだろうな……と、真弓は思った。
今でこそ、一応共学校となった梅宮学園高等学校――略して“梅高”であるが、かつては格式高いお嬢様学校、つまり女子高だった名残が未だ色濃く残っている。
“彼”の主な目的が「調査」だと言うなら、確かに厄介なのは間違いない。
――さて、どうするべきだろうか?
◆ 断固として断る。
◆ もう少し様子を窺う。
◆ 取り敢えず頷いておく。
新たに浮かんだ三択を、先の三択と合わせて考える。
が、しかし残念ながら“逃げる”という選択肢は却下せざるを得ないだろう。
……本来であれば、間違いなく一番の良策のはずだが、真弓に限っては最悪のミスチョイスでしかない。
妙な話にツッコミを入れるとか、断る――という選択肢も、昨今のご時世ではあまり良策とは思えない。
かと言って、不用意に頷いてしまうのも……。
結果的に様子を窺いつつ尚も考え込んでいると、彼は四つ折りにされた一枚の白い紙切れを取り出し、真弓に差し出した。
「もし、受けて貰えるのなら、この書類に必要事項を記入してサインしてくれ」
「……なぁ、主、もうちょい愛想良うできんのか?」
殆ど押し付けられるようにそれを渡された、その時。
突然、彼が身に着けているパーカーのフードから、甲高い声が――
「その娘、怯えてもうてるやないか」
ひょいっと顔を覗かせたのは、ハムスターやリスに似た小動物。
くりりと大きく円らな瞳と、小さく丸い耳。ふさふさの尻尾に、触り心地の良さそうな毛皮。
「……も、モモンガ? ……が、喋った!?」
すると、これまで殆ど動くことのなかった彼の表情が、初めて動きらしい動きを見せた。
「お前、こいつの姿が見えるのか?」
つい声にのせて漏らしてしまった真弓の驚愕に、彼の方が逆に驚いたような顔で尋ね返してくる。
「へぇ、ホンマに?」
彼のフードの中から抜け出て、ちょろちょろっと彼の肩の上へと移動し、真弓を見下ろしながら首を傾げるモモンガ(?)のその仕草はたまらなく愛らしい。
「わいの名は棗。チーム槐の主、桐生梓馬の従者兼マネージャーを務めてはや45年、こう見えてももう50年近く生きとる、モモンガの精霊や」