梅の木の伝説
校舎から漏れる喧騒から、ここだけ切り離された様な静寂の中、思いがけず声をかけられ、真弓は飲みかけのお茶を吹き出しそうになった。
「それとも、どなたかと待ち合わせでもなさっているのかしら?」
「……いいえ。ただ、静かに食事がしたかっただけです」
柚月菜津奈。証明用の顔写真と共にそう書かれた名札を首から下げているのは、毎週水曜日のみやって来る、スクールカウンセラーだ。
「そのクラスバッジの色……。貴女、一年生ね? この木に纏わる伝説を、貴女はご存知かしら?」
噂によれば、定年を間近に控えているという彼女は、この学校の古い卒業生であるらしい。
だから、“待ち合わせ”という発想に至ったのだろう。
とにかく古いこの学園には、怪談じみた七不思議の他にも、様々な伝説がある。
そう、例えばこの梅の木――。
「……はい。知り合いに、この学校の卒業生が居るので、その人から伺いました」
曰く。
梅の花が咲く頃、この梅の木に願をかけると、実の生る季節にその願いが叶うのだという。
特に恋愛関係の願いはかなりの確率で叶うと評判で、梅雨入りの季節には、告白シーンなどをよく見かけるようになる。
実際、男女交際禁止を掲げる学校側は当然目を光らせるわけだが、不思議なことにそれが教師に発見されてしまう確率は低く、それ故、噂の信ぴょう性はいや増している。
けれど、今は九月も半ば。梅の木にはまだ青々とした葉が生い茂ってしっかりとした木陰を作ってくれていた。
彼女もそれは承知のはずで、だからこそ声をかけてきたのだろう。
「……人と食事をするのが苦手なだけです。一人で静かに食べる方が楽だから」
食べかけの弁当を急いで片付け、立ち上がる。
「……失礼します」
軽く会釈だけして、真弓は急いで校舎へ戻った。
足が不自由で、杖をつかなければ歩けない彼女は、それ以上追っては来ない。
嘘をついた訳ではないが、この暑い中、わざわざあの場所を食事場所に選んだ理由は他にもある。
「ねえねえ、聞いた?」
5限が終わった休み時間、いつものようにわざとらしい由紀の声が、机に突っ伏し我関せずを体現していた真弓の耳に飛び込んできた。
真弓は、条件反射で身体を強ばらせた――が……。




