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宣教師トビアスの日記  作者: 長谷川
宣教師トビアスの日記Ⅳ
19/19

回顧録2

「――トビー!!」


 いきなり大声で名を呼ばれ、机に向かっていたトビアスは飛び上がらんばかりに驚いた。


 声の主を慌てて振り返ろうとした拍子に、手帳から栞が落ちる。トビアスはあたふたとそれを拾った。


 赤紫色の小さな花――地底花を押し花にして貼りつけた、手製の栞だ。


「ろ、ロクサーナ……おどかさないで下さいよ」

「別におどかしてなどおらん。そもじがもうすぐ出発じゃというのにいっかな姿を見せんから、こうして呼びに来たのでおじゃる」


 何とか栞を拾い上げて振り向いた先では、無断で部屋に上がり込んだロクサーナがふんぞり返っていた。

 こういうふてぶてしさは一向に変わらないな、などと思いながらトビアスが頭を掻いていると、ロクサーナは胡乱げに手帳を覗き込んでくる。


「何じゃ、また日誌を書いておるのきゃえ」

「え、ええ……ちょうど四冊目を教会に納めて五冊目に入ったので、院にいるうちに最初の一頁を書いておこうかなと」

「そもじがそんな悠長なことを言っとる間に、ほれ、見んしゃい、雪が降ってきてしもうたぞえ。本格的に冬入りする前に群立諸国を出たいと申しておったのは、どこの誰でおじゃったかのう」

「えっ!? うわ、本当だ! すすすすみません、あと少しで終わりますから!」


 呆れたように腕を組み、隣から見下ろしてくるロクサーナにトビアスはわたわたと弁解した。

 窓の外に見える景色はいつの間にか雪を被り、一面真っ白になってしまっている。


 そこはヴァイエホーブ修道院の一角にあるトビアスの自室だった。大陸の南では晩秋と呼ばれるこの季節も、トビアスの生まれ故郷では既に冬だ。


 トビアスがアザーディを斃し、ロクサーナと共にルエダ・デラ・ラソ列侯国を離れてから、早くも二ヶ月が過ぎていた。

 一時は満身創痍だったトビアスも今では快復し、再び旅に出られるだけの体力も戻っている。


 あれからトビアスは、すべての事の顛末を一度教会に報告すべく、ヴァイエホーブ修道院へと帰還していた。

 列侯国で失ったと思っていた荷はウニコルニオの街の人々が集めてくれており、トビアスはそれを受け取ってこうして帰ってきたわけだ。


 ウニコルニオでは、トビアスはいつの間にか化け物から街を救った聖人として人々に崇められていた。

 ロクサーナは街を出るまでの間終始居心地が悪そうにしていたが、真実は伏せておくべきだとジャックに言い含められたらしい。


 そのジャックはあの一件のあと、自分の仕事はここまでだと言って黄皇国へ引き揚げていった。その後彼が無事に隠居を許されたのかどうか、トビアスは知らない。


 ロクサーナの暴走――結局現地では侯王に罰を下すために現れた神々の使いということになったらしい――と侯王の遁走でついに真実が暴かれた列侯国は、あれ以来内戦状態になっていた。

 トラモント黄皇国の皇子の言葉を借りるならば、列侯国の民は〝自らを救う〟選択をしたということになる。


 修道院へ戻り、一通り為すべきことを為したトビアスは、その列侯国をもう一度訪ねてみるつもりでいた。

 今度は内戦によって様々な災厄に見舞われているかの国の人々を、何とかして救えないかと考えたのだ。


 教会はそんなトビアスを全面的に後押しすると公に約束してくれた。トビアスは列侯国で人を殺めたことを正直に告白したが、今回は特例中の特例ということでその罪を赦され、修道士としての身分を剥奪されずに済んだのである。


 それはひとえにロクサーナのおかげと言って良かった。

 教会が崇める光神オール、その神子たるロクサーナが忽然と現れ、トビアスの罪を赦すようにと命じたのだからこれに逆らうわけにはいかない。


 トビアスがロクサーナと引き合わせた教会上層部のお歴々は、彼女の胸の大神刻(グランド・エンブレム)を見るなり平伏した。

 ≪始世期≫に入ってよりおよそ千年、まったく所在の分からなかった≪光神刻オール・エンブレム≫の主がいきなり目の前に現れたのだから無理もない。


 教会はオールの神子を連れ帰ったトビアスの功績を賞讃し、かつての扱いからは想像もできないような様々な栄誉を与えようと言ってくれた。


 けれどもトビアスはそれを断り、今日また宣教の旅に出ようとしている。

 それはトビアス自身の意思でもあり、ロクサーナの願いでもあった。


 彼女はぜひとも教会の頂点に立ってほしいとの哀願を拒み、トビアスと共に列侯国へ旅立つことを選んだのだ。そんなことより今は自分が列侯国で犯した過ちを償いたいのだと彼女は言った。


「まったく、しょーがにゃーのう。ほいならわーは、一足先に院長のところへ挨拶にでも行ってこようかの。と言ってもついさっきまで世間話をしとったんじゃけんじょ」

「大丈夫です、私もすぐに伺います……って、ロクサーナ。その腰の袋、何ですか?」

「うん? ああ、これきゃえ」


 全身をすっぽりと覆う毛皮の外套をまとったロクサーナは、その外套から覗くほど大きな袋を腰に括りつけていた。トビアスがそれに気づいて尋ねれば、ロクサーナは得意気に袋の口を開け、中身を見せつけてくる。


 そこにこれでもかと言うほど詰め込まれたそれは――大量の、諸国連合銀貨だ。


「……!? ろ、ロクサーナ、そんな大金、一体どこで手に入れたんですか!?」

「ふふん。これはわーがそもじに貸していた金でおじゃる。まあ、この程度の金、わーが光神系教会にせびればいつでも手に入るんじゃがの」

「ま、まさか……それじゃああなたが今まで湯水のごとく使っていたのは、そうやって各地の教会から巻き上げたお金だったんですか!」

「巻き上げるとは人聞きの悪い。これは神子の役得でおじゃる。どの教会もわーが金に困っておると申せば、自ら進んで〝寄進〟してたもうほどにの」


 くすり、と口に手を当ててほくそ笑むロクサーナに、トビアスは頭を抱えた。


 確かに役得と言えば聞こえはいいが、やっていることは体のいい喝上げだ。

 ロクサーナは自らの正体がトビアスに知れてからというもの、完全に開き直っているような気がする。


「はあ……しかしオール神も、どうしてこんな人物を神子としてお選びになったのか……」

「もし、何ぞ申したきゃえ?」

「いえ、何も」

「いんや、わーには確かに聞こえたぞえ。そもじは今、に罰当たりなことを申したじゃろ。あーあ、良いのかのー。神僕が己の信奉する神を貶めるようなことを申すなぞ、左様な不信心が許されるのかのー」


 わざとらしくそっぽを向き、ロクサーナはいかにも白々しい口振りで言った。


 それを聞いたトビアスは、机に向かいながらぐっと押し黙る。間違ったことを言ったつもりはないが、自らの崇める神を疑うなど、確かに神僕としてあるまじき発言だったかもしれない。


「ま、とは言えきちんと跪いて謝罪すれば許してやらんこともないぞえ。――と、わーの中のオール神が仰せでおじゃる」

「そう言う自分も、オール神のお言葉を捏造してるんじゃないのか……?」

「今、何と申したのきゃえ?」

「いえ、何でもございません」


 仕方なくトビアスは椅子を下り、腕組み立ちをしたロクサーナの前に片膝をついた。

 そうして深くこうべを垂れ、何か納得いかないと思いながらも懺悔の言葉を口にする。


「我らが道行きを照らす神、清麗にして聡明なるオールよ、どうか寛大なるお心で我が身の不浄をお許し下さい――」


 こうでも言っておけば、かつては王の座にあったという少女の自尊心も満たされるだろう。そう思い、トビアスが目を閉じて一礼したそのときだった。


 不意に頬へ手が添えられ、顔を上へ持ち上げられる。

 何事かと驚いて目を開けるよりも早く――唇に触れる、やわらかな感触。


 その正体を察し、トビアスが目を見開いたとき、そこには澄んだ夜明け色の瞳があった。


 ロクサーナは呆気に取られたトビアスを見つめて微笑い、言う。


「許す」


 ロクサーナからトビアスへ注がれた微笑みは、あまりにも眩しかった。


 そこに至って、トビアスははたと気づく。


 ああ、思えばこの少女が笑った顔を見るのは、これが初めてのことなのだと。


「ほいなら先に院長室に行って待っとるぞえ。そもじも早う来んしゃい!」


 無邪気な声でそう言って、ロクサーナは足取りも軽くトビアスの部屋をあとにした。そのロクサーナを見送りながら、トビアスは自分の口にもまた笑みがあるのを自覚する。


 それでは行こうかと立ち上がったところで、机に広げた日誌が目に入った。


 そう言えばまだ今日の分を書いている途中だったことを思い出し、トビアスは最後の一文を書き記す。




≪何故なら私はもう少しだけ、この光に満ちた世界を、彼女と共に旅してみたいと思ったからだ≫






(完)


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