回顧録1
「人の子よ、目を閉ざすな。私は常にそこに在る」――光神オールの言葉
≪通暦一四五七年 金神の月・光神の日
ついにこの宣教日誌も五冊目となった。初めて宣教の旅に出てからまだ一年も経っていないというのに、まったくもって早いものだ。
先日マイヤー院長に提出した過去四冊の日誌は、教会本部へ送られ厳重に保管されることとなった。
手元に返ってこないのは少々残念だが、あのような事件の経緯がつぶさにしたためられているとなればやむを得ない。
しかし同時に、私の書き留めた異国の見聞録が評価されたというのもあるのかもしれないと思い、院長に話を伺いに行ったら、「君は文的記録より絵画的記録に紙幅を割きすぎだね」とやんわりお叱りを受けた。
(取り消し線)だって文章より絵の方が楽(取り消し線)
まったく院長の仰るとおりである。次からは気をつけねば。
院長から記録についてのご指導を賜ったついでに、改めてここ数ヶ月の出来事を振り返り、お話し申し上げた。
何か書き漏らしていることはないかと言われ、過去の日誌を読み返しながら回想したが、それにしても当時の私はまったくの無知であった、と改めて恥じ入るばかりだった。
それは世間というものに対してもそうだし、彼女のことについてもそうだ。
修道院という閉ざされた世界で育ったのだから仕方がない、などと開き直って言い訳したのでは、オール神と言わずすべての神々からお叱りを受けてしまうだろう。
そう言えば、トラモント黄皇国の都ソルレカランテへの、我が教会の進出が正式に決定したことも院長から伺った。
驚いたのは、それに伴い新設されるソルレカランテ支部の責任者(つまり司教ということだが)に私を任命したいと言われたことだ。
一介の修道士が、助祭や司祭といった位階を飛び越えて、いきなり司教に叙聖されるだなんて話は聞いたことがない。これは前代未聞の大出世だろう。
加えてソルレカランテは良い街だ。景観は実に美しいし、人々も陽気で温かい。
かの国を知る人々は口々に言う。あれほど美しく住み良い国は、世界広しと言えども黄皇国だけであろうと。
その意見には私も諸手を挙げて賛同したい。
けれども私は、その場で迷わず司教就任の話を断った。
何故なら