第二章 第一話 発熱
6月2日夕方、九州製鉄社長室長岩崎俊平の長男太郎が、38度の熱を出した。鼻水や、軽い咳、眼の充血など、風邪症状だった。俊平の妻、愛子は、母親の日東紡績社長の長女である良子に電話をした。
「太郎が、熱を出したんだけど。今からでも先生に診てもらおうかしら。」
良子は、
「明日でもいいとは、思うけど、あなたが、心配なら、先生に来ていただいたら。」
「初めての、熱だし、先生はいつでも、声をかけてくださいとおっしゃってくださってるから、お電話して聞いてみるわ。」
愛子は、やっぱり、すぐに、診てもらうことにした。
一家の主治医の後藤は、午後の診察も終わっていたので、すぐにやってきた。
「風邪という感じですが、今のところは、なんともいえませんね。少し経過をみないと。」
「そうですか。検査とかは、しないのですか?」
「ウイルスの検査ぐらいなら、もってきましたし、あまり痛くありませんから、しておきます。一応インフルエンザの検査もしておきます。」
「え、インフルエンザ!」
「ええ、時々、あるんですよ。ただ、さっき、熱が出たところでは、たとえ、かかっていたとしても、検査をするのが早すぎてうまくでませんので、まだ明日以降も熱が高いようでしたら、他の検査とあわせて再検査をします。」
といいながら、後藤は、細い綿棒でのどの奥のほうをこすって検査をした。
「アデノウイルスも、インフルエンザ、溶連菌もでませんねえ。今日は、これぐらいで、機嫌もそう悪くないようですし、様子をみてください。明日、診療所のほうへ連れてきてください。」
検査結果ををもう一度チェックしながら、後藤は、思い出したように言った。
「奥様は、はしかにかかられましたか。」
「いいえ、ワクチンは、うっているとは、思うんですけどかかっていないと思います。明日までに母に確認しておきます。」
「ええ、お願いします。」
「先生、なぜそんなことをお聞きになるんですか。」
「はしかが、東京都内で流行しているのは、ご存知ですよね。」
「ええ、大学生とか、高校生の間ででしょう。」
「それは、ひとつは乳幼児の間に流行っても、ニュースにならないということもありますし、年齢的には、千葉市などでは、0才児や1才児、それと7,8才というところも決して少なくないのです。」
「え、はしかの可能性が、あるのですか。」
「ええ、まあ、一応、頭の隅には、置いていてください。この後の経過が大事です。それと、ここ2週間ほどの間、大学生とか高校生の親戚に方がこられたとかということはありませんでしたか。」
「ええと、あの、10日ほど前に赤沢の兄のところの翔子ちゃんがカナダへ行くからっていうので、食事会みたいなことをしました。」
「ああ、あの翔子ちゃんですか、ちょっと待ってください。どこかの学校がカナダではしかで出国できない状態になってましたよ。お聞きになってませんか。」
「はあ、私には、何も、仕事上のことは話しませんので。」
「そうですか。私も、詳しく知っているわけでは、ないのですが、一人だけはしかになったそうです。」
「翔子の学校なら、何か連絡があると思うんですけど。」
「そうでしょうね。」
「まあ、じゃあ、明日、お越しください。お大事に。」
太郎は、すこし、ぐずりつつも寝息をたてていった。