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麻疹  作者: 三善清行
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第一章 悲劇の足音

 首相官邸は、朝から重苦しい雰囲気に包まれていた。半年前に生まれた、首相の初孫が数日前から高熱を出していた。ほんの2日前に熱がさがって祖父である首相や父親である、九州製鉄社長室長岩崎俊平がほっとしていた矢先、熱が、さがるか、さがらないか、といううちに、顔に赤い発疹が現れたのだった。はしかであった。

 厚生労働大臣をしている首相の義理の弟にあたる赤沢一郎の一家と先日、私邸で夕食をともにしたことがあった。。カナダへ高校生の長女が修学旅行に行くので、忙しい合間をぬって一緒にご飯を食べたことが、今回の事態を招くことになった。

 岩崎俊平の妻、愛子は、ごく普通に1才の時にいつも家族でお世話になっている主治医のところではしかの予防注射を受けていた。ただ、お嬢様学校であったため、周囲で、はしかがはやっているということは、聞いたことがなかったし、友達がはしかで、学校を休んだということも聞いたことがなかった。結婚前に、確か、はしかと風疹の抗体価は、はかったようなおぼえがあるが、何もいわれなかった。赤沢一郎の長女、高校2年生の祥子は、明日から、カナダへ行くのだとはしゃいでいた。もともと、花粉症があり、鼻水をかんでいて、目が少し潤んでいたので、体調はどうなのと聞かれていたが、すこし熱っぽいけど、いつものことだから大丈夫ということだった。

 別れ際に、赤ちゃんを抱かせて、と、いつものように愛くるしい笑顔で頼んできたので、愛子は「まさか、祥子ちゃん、あなた、はしかは大丈夫なんでしょうね?」と聞くと、

「まさかね、カナダに修学旅行にいくことができるような高校だから、うちの生徒は、みんな大丈夫よ」

と答えていた。

 

 赤沢一郎の妻、陽子は、少し気がかりだった。じつは、祥子は、1才の時には、はしかの予防注射はしているものの、やはり、お嬢様育ちであったため、周りではしかにかかった子供がいたということを聞いたことがなかったからであった。また、陽子自身は、父である、牛島駐米大使についてアメリカに数年間住んでいたため、現地のルールにより、あらゆる予防注射を済ませていた記憶があったからであった。幼稚園に入るにも、小学校に入るにも、予防接種済み証明書がなければ、受け付けてもらえなかった。そのたびに母親が、ホームドクターに予約を入れ、予防接種をしてもらっていた。一度などあやうく、サマーキャンプにいきそこねるところであった。友達のスーザンが、予防接種の注射はきらいだけど、あれをしないとキャンプにもいけないのよねと何かの拍子にいうのでびっくりして学校に確かめると、「そのとおりですが、なにか」という、いまさら何を聞いてくるのかという感じだったのであわてて、ドクターのところにつれていかれたことがあった。日本に帰ってきてから、予防注射の数が少なく、これでいいんだろうかと思うこともあったが、そのうちに、祥子も大きくなり、病気もしなくなったので忘れていたのであった。

 その陽子でも今年の4月ごろから、大学生の間ではしかがはやっているという報道をテレビで見ることが多くなると、やはり、アメリカみたいに2回ワクチンを打ったほうがいいのじゃないかしらと思うようになっていた。そうこうするうちに5月になり、はしかで休講の大学で、全学生にワクチンを費用を大学が負担してうってくれるところがあるということを聞き、厚生労働大臣である夫に、

「ねえ、祥子は、1才のときに、一度だけしかはしかのワクチンをうっていないのだけど、アメリカみたいに2回うたないとだめじゃあないの?」と尋ねると、

 「ああ、WHOもそう言っているし、ほとんどの先進国ではそうなっている。わが国でも国立感染症センターの岡林君をはじめとして、小児科学会のほうからは、何年も前からj言ってきている。石川県の小児科の集まりなんかはそれはもう熱心でなあ。」

 「じゃあ、なぜ、しないの。」

 「まず、いちども、しない人をなくすのが、先だったのさ。みんな、なかなか、ちゃんとしてくれなくってさ。それと、お金の問題だな、2回目うつのは。MRワクチンというのをうつほうがいいので、ひとり1万円ほどかかる。1学年100万人以上いるからまあ、100億はいるなあ。それと、このところ、あまりはしかははやってないいんだよ。」

 「国全体のことは、今はおいといていいわ。祥子が一度しかうってないいんだけど。」

 「おれは、かかったよ。おれの友達は、ほとんどかかったのじゃあないか。」

 「あなたのことは、どうでもいいのよ。祥子よ、祥子。」

 「陽子。落ち着いて聞いてくれるか、おれは、今、厚生労働大臣をしている。」

 「知っているわよ、医療行政の親玉でしょう。だから、ワクチンの1本や2本ぐらいどうでもなるでしょ。明日、先生に声をかけておいてね。夕方にでも祥子をつれていくわ。」

 「だめなんだ。ワクチンが足りないんだ。そんなときに、自分の娘だけ、先にうつわけは、いかない。優先順位があるんだ。うちの省で決めたんだ。それをおれが、破るわけにはいかない。」

 「どんな順番なの。」

「まず、第一は、1才になったばかりの赤ちゃんだな。なんといっても一番重症化しやすいからな。予防注射がなかった時代には、はしかだけで1年間に9000人死亡した年もあるくらいだからな。」

 「いつの時代のことよ。明治時代じゃないでしょうね。」

 「昭和26年のことだよ。今年、56,7才ぐらいの人たちが生まれたころだよ。0才と1才児だけであわせてわかっているだけで6400人が犠牲になったよ。このほかにも肺炎という病名で届けられた人もいただろうからもっといただろう。」

 「最近は、どうなの。医学が発達したし、みんなも予防注射をしているから死なないじゃないの。」

 「それが、そうでもないんだ。平成10年に大阪で流行したときは、800人がかかって、9人が死んだんだ。沖縄でも平成10年から11年にかけて2000人ほどかかって、やはり、8人が死んでしまった。ほとんど1才前後の乳幼児だ。毎年、数十人は助けられないよ。」

 「予防注射は、どうなってるのよ。みんなしているんじゃないの。」

 「もともと、1才を過ぎないとしないのと、みんながちゃんとしてくれるわけじゃあないんだ。副作用は、どんな、予防注射にもすこしはあるんだが、本当の病気になるほうが、はるかに危険なのに、理解してもらえない場合もある。自然にかかったほうがいいという人もいる。これがだめなのは、予防接種がない時代には、はしかだけでも毎年数千人なくなっていたのだから、わかると思うのだが。今、生きている人は、はっきりいって、はしかにかかって生き延びてきた人といってもいいぐらいなのに、どうしてわからないのか不思議だよ。」

 「でも、早く見つけて、入院すれば、助かるんじゃないの。」

 「麻疹ウイルスに効く薬はないよ。殺す薬を見つけたらノーベル賞じゃないか。今でも世界中で毎年3000万人がかかって、80万人が命をおとしているとWHOが報告しているからな。」

 「もういいわ。そんなこと。それよりもワクチンよ。赤ちゃんはしかたがないとして、2番目は、だれよ。新型インフルエンザの時みたいに、病院の先生とか、看護士さんとか、警察官、消防士、自衛隊のひとたちとかっていうの。」

 「ちがうよ。来年、小学校に入学する6才の子供たちだよ。去年から、やっと麻しんワクチンを2回うつことにしたんだ。でも、これが、みんな、うってくれなくてね。でも、今年からは、ちゃんとしてくれるだろう。それから、いままで、一度もうっていない人ということになるかなあ。ほんとは、このひとたちも急がないといけないのだけど、半分は本人、本人といっても親の責任だから、税金では、だせないよ。」

 「あれ、東京都とか、さいたま市なんか、手紙とか、学校でお知らせをもらえるって言ってたのは何。」

 「あれは、お金があるところが、勝手にやっていることで、国は知らないよ。」

 「それは、ちょっと。ひどいんじゃあない。じゃあ、たとえば、夕張市はどうなんのよ。あそこの子供たちは、自分でお金を出せっていうの。けち!」

 「うちからは、頼んでいるんだよ。大蔵省が予算をつけないんだよ。子供には、選挙権はないから、票にはならないから、政治家もあまり、強く要求しないんだ。」

 「ばかじゃないの。よくそれで、少子化、少子化っていえるわね。」

 「ここで、国会みたいにおれを追及してどうするんだ。それでな、翔子みたいに一度でも1才のときにうっている人は、今のようにワクチンが足りない時は、少し、待っていただけないかということなんだ。」

 「でも、大学全体で、うったところもあるんじゃない。」

 「まあ、先見の明があったいうか、災い転じて福となすというか。早く、はしかにかかった学生が、大学のえらいたちに決断力があったということだろう。もちろん、お金もかかっただろうが、もう心配はない。」

 「じゃあ、翔子はどうなるの。ある程度の確率でかかるかもしれない。でも、たいしたことはないだろう。」

 「ワクチンを一度しているから?」

 「まあ。そうだ。」

 「信じていいのね。そうじゃなっかたら、翔子にあやっまてもあやまりきれないわよ。いいのね」

 「ああ、わかった。」


 5月24日、翔子はカナダへと成田から出発した。3クラス、123人、先生が7人だった。翔子は、バンフのホテルに着くやいなや、発熱した。本人は出発前から微熱があったし、旅の疲れだろうと、思っていた。担任の速水先生が、フロントに連絡してくれて、ホテルに勤務している看護士さんが、様子を見てくれることになった。

 看護士のハースは、部屋に入ってくるなり、翔子のから首すじに赤い発疹がでているのを見つけた。

 「熱は、ありますか、鼻水や、咳とか出てましたか。」

 「その、発疹はいつから。」

 「麻疹ワクチンは、2回していますよね。」

 翔子は、熱については少し前から微熱があった。鼻水や、軽い咳は、花粉症の影響です。と答えていたが、首すじの発疹については、いわれるまで気がつかなかった。

 「ワクチンについては、したと思いますが、回数は、わかりません。」と答えた。

 ハースはフロントに、

 「ドクターに連絡して。このグループは全員部屋から出してはいけません。全員同じフロアでしたっけ。」

 「そうです。学校側の希望でしたので、そうしました。」

  フロント係は、ドクターに連絡を取りながら、答えた。

 「それは、よかった。この子達は、ホテルへ着いてからまだ、どこにもいってないのよね。」

 「はあ、そうです。着いたところです。」

 「ハースさんどういうことなのでしょう。風邪ぐらいで大げさじゃないでしょうか。」

 「担任の先生ですね。よくお聞きください。この生徒さんは、麻疹の可能性が高いと思われます。だから、これぐらいの注意は必要なのです。」

 「麻疹?はしかですか。たしかに、東京では、大学生や、一部の高校生の中では流行していましたけど、うちの高校は、中学校ともどもだれひとり、でていませんたし、みんな、ワクチンは、1回ですけど調査しましたが、うっていましたので、大丈夫だろうと思っていました。」

 「非常に、甘いお考えですね。医学的知識のない、先生にこれ以上説明しても無駄だと思いますので、ドクターの到着を待ちましょう。」

 「はい、わかりました。」

 ドクターは、一目見るなり、カナダ衛生当局の担当のドクター・ハワードに連絡した。

 「麻疹と思います。看護士のハースが、手際よく、全員を隔離してくれていましたので、助かります。これから、全員の聞き取り調査と、抗体検査を行いたいと思いますので、スタッフの派遣をお願いします。本人については、様子を見てだめなら、入院をさせましょう。」

 ここまで、いつものように日本からの輸入麻疹の扱いに沿って話を進めていた二人に、担任の速水が声をかけた。

 「お話中、申し訳ありませんが、是非とも聞いていただきたい、お願いがあるのですが、・・・」

 と申し訳なさそうに、言い出した。

 「なんですか。この病気については、例外はありませんよ。」と

 ドクターは、すこし、つきはなしたように、電話を手にもったまま、向き直った。

 「この生徒なんですが、日本の厚生労働大臣のお嬢さんなのです。その娘さんが、外国で、はしかで、入院となると、お父様の立場が、なんとも、申し訳なくて・・・」

 「お国の事情は、わかりますが、それは、公表をふせろということですか。それは、無理でしょう。すぐさま、このホテル中はおろか、空港、バスターミナルなど、接触の機会があったところに、周知徹底するために、プレスに発表することになっています。ご心配なく、誰が発病したかなど、個人名は、出ませんので。それは、そちらのほうで、おさえられたほうがいいのでは、」

 「わかりました。カナダ日本大使館に連絡をとってみます。誰か来てくれるかと思います。」

 「じゃあ、こちらは、手順どおり、やっていきます。生徒さんの名簿などを御用意ください。」

 バンフのホテルは、衛生局のスタッフが到着すると、あっという間に、聞き取り調査や麻疹抗体のチェックのための採血が終わり、結果が出るまでの間、各グループごと、部屋で待機ということになった。

 翔子は、カナダ日本大使館の書記官とともに入院することとなった。生徒たちには、隠すことができないので、ていねいに説明をして、誰が入院をしたか言わないようにお願いをした。

みんな、自分が同じ立場にたったことを考え、気持ちよく、納得してくれた。

4日間、抗体検査の結果が出るまで、ある程度、外出も許されたが、ほかのグループとの接触は、禁止された。結局、二人の付き添いの教師と39人の生徒たちが麻疹抗体価が、低く、感染している可能性があるということで、10日間ほど飛行機には乗れないことになった。しかたがないので、抗体価が、高かった89人については、残りの予定を短いながらも、こなし帰国することとなった。最終的に誰も発病せず、二次感染は、なかった。祥子も入院はしたが、特に、治療をするわけでもなく、熱がひいてから3日後に退院し、ホテルで、帰国できずに残ったみんなと帰る日を待っていた。

 このことは、日本にも報道されたが、学校関係者には少なからず、衝撃を与えたが、その後、日本に来ていたオレゴン州の米国人の青年が、帰国後に発病するなど、次々と、似たようなことが起こったため、大きな話題には、ならなかった。

 このとき、まだ、だれも、このあと、起きる悲劇が、静かに小さな赤ん坊の中で進んでいるとは、気がつかなかった。いや、全国各地の小児科医のなかには、以前から、ずっと、悲劇の危険性を指摘していた人々がいた。でも、実際、悲劇が目の前に起こらなければ、世の中は、変わらなかった。

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