2.宿
宿に入ってすぐのフロアには誰もいなかった。明かりはついているが物音も話し声も何一つしないため、何処となく暗い雰囲気だ。
ユセムは入ってすぐのカウンターに向かう。そこにもまた誰もおらず、呼び出し用のベルだけが残されていた。
ドアベルで出てこないなら意味無いんじゃないかと思いつつ、ベルを振って来店を知らせた。
待つ間に荷物を床に置かせてもらう。
少し待つと、カウンターの奥の扉から中肉中背の店主らしき男が出てくる。白いシャツによれたエプロンを着けて、めんどくさい、と言わんばかりの表情だ。
早速、ユセムは宿泊したいと告げる。そうか、とだけ返された。本当にやる気がないようだ。
「……名前は。」
「ユセム・ヘヴォートです。」
「何日泊まる。」
「2、3日の予定です。シャワー付きの部屋は空いていますか?」
店主に訪ねるが聞いてないのか、答える気がないのか、何も言わずに奥に引っ込んでしまう。
ユセムは思わず苦笑いした。ここまで態度が悪い店も珍しい。よく潰れないものだ。
少しして店主が戻ってきた。手に何かを持っている。それをカウンターの上に置くと、ユセムの方に滑らせた。部屋の鍵だ。部屋は空いているらしい。
「……前払いだ。」
ユセムが鍵を受け取ろうとすると、店主がぼそりと言った。
ユセムはポケットから財布を引っ張り出すと、店主が示した額を払う。店主は満足そうに頷いた。
もう行ってよさそうなので、床の荷物を担ぎ直す。その際にジャラリ、と音がした。店主が音の原因を一瞥する。
「……お前さん、鍵師か。」
「ええ、どうかしましたか?」
不思議に思いそう尋ねると、店主は何が気に入らなかったのかギロリとユセムを睨みつけた。いきなりの敵意にユセムは思わず怪訝な表情を浮かべる。
「何でもねぇよ。」
それきり口を閉ざしてしまった。睨みつける目線は相変わらずだ。疑問に思って見つめても一向に口を開く気配はない。
ユセムは諦めて、一礼すると部屋へ向かった。
無事に宿をとれたので、鍵に書いてあった番号の部屋に荷物を置く。
部屋はドアから一番遠い壁際に一人用ベッド。水色のラインが入った布団が乗っている。部屋の中央には木製の小さなテーブルと椅子があり、右手には服などが掛けられる用に突き出た棒が固定されている。左手には小さな棚が一つ。その隣にはすりガラスの入ったドアがあり、その先はシャワールームだ。
シャワー付きの部屋は少々値が張るが、この街で鍵師として依頼を受ければ問題ないだろう。
鍵師は通常、国からの依頼を受けて仕事をする。
もちろん、生活する中で闇を見つけたなら鍵師としての仕事を行うが、数が少ない鍵師が普段の生活の中ではほとんど発見出来ないのが普通だ。
これは旅をする鍵師が多い理由でもある。ずっと同じ街にいては、仕事はほとんどないのだ。
闇はどこにでも侵食してくる。
人里離れた山の中という事もあれば、ある日仕事から家に帰ったら、朝には無かった闇が居座っていた、なんて事もある。
そんな場合、その場に鍵師がいたならば良いのだが、そう都合良くはいかない。
そうした時、『ギルド』と呼ばれる場所に鍵師派遣の要請がいき、それが依頼となって近くの鍵師に届く、そういうシステムだ。
ちなみに、ギルドでは魔術師や魔導師への依頼もしている。
魔術師とは攻撃魔法を使える者、魔導師とはサポート魔法を使える者の事である。
彼らには鍵師とは別に、人に被害を与える魔物や盗賊などの討伐依頼が主だ。たまに、魔物からしかとれない素材の採取依頼などもある。
これらが、ギルドの役割やこの世界でのシステムである。
背負っていた荷物を机の上に置き、『鍵』を壁に立て掛ける。先程の受付で音をたてた正体はこれだ。
鍵とは、鍵師にとって必要不可欠なものだ。
綻びを塞ぎ闇を押し返す、この事を鍵師は施錠と言う。そして施錠する時には、この『鍵』と呼ばれる杖に似たものが必要となる。
鍵が鍵師達の力を引き出してくれるので、これがないと施錠出来ない。
鍵師の資質は言い換えると、この鍵を扱える能力とも言えるのだ。
鍵は、頭部は錫杖に似た造りで、一つの輪の中に数個の輪が通されていて、動く度にジャラリと音がする。下の方には鍵の形をした出っぱり。
見た目からも、鍵そのものだ。
鍵師達はどこに行くにも、この鍵を持ち歩く。鍵が鍵師達の証であった。
簡単に荷ほどきしてしまうと、もうやることがなくなってしまう。早速依頼を受けに行くのもいいが、今日この街に着いたばかりでそうも焦る必要はない。
少し考えた結果、街の様子を見るついでに昼食や買い出しに時間を費やす事にして、ユセムは宿を出た。
説明ばかりだ…