王都来訪の遊び人
騎士であるヴィックルがいるため、王都に入るのは簡単であった。本来身分のない者はもう少し手続きに時間がかかるのだが、ヴィックルは下っ端ではなく多少の地位があるので割と融通が利くらしい。
「権力もあれば便利だね」
「……まあ、その分責任も伴うがな。で、どうする?」
「んんー……まあ、居心地の良さそうな宿を紹介してくれるかな。高くてもいいから」
初めて見る街並みを興味深そうに見る。ゲームでの街並みよりもリアルさは増し、人は多い。雰囲気はヨーロッパとアジアの中間だが、あまり発展はしていなそうだ。衛生状態は悪すぎる程では無いが良いとも言えない。
今いるのは外から二枚目の壁の内側だ。1番外側の層にはのどかな田園地帯が広がり、内側に行くに連れて家々が並んでいた。そしてもう一枚の内側に入れば打って変わって賑やかな街が広がり、喧騒を見せている。
「どうせならもう1つ上の層に行くか? 治安も良いし」
「別に治安はどうでもいいんだけど」
「いくら強くても数の暴力は侮れん。集団で襲われたらどうする」
「……まあ、そうだけど。体力は無いしね」
治安は確かに良くはない。基本的に冒険者や傭兵はこの層を拠点にしているから、荒々しい男たちが闊歩しているのは仕方ないのかもしれない。
1つ上の層には下級貴族の屋敷や高級店が並んでいるらしい。
「ここだけの話だが、殺人事件が増えている。巻き込まれたくないだろう」
「それはそうだね。よし、あの宿にしようか」
「人の話聞いてたか?」
「よく聞こえたよ」
リノは今日1番のいい笑顔を浮かべた。
安宿に泊まろうとするのを引き止めつつヴィックルが紹介したのは、この付近では高めだがしっかりした建物の清潔な宿だった。四角く白い建物の外側には洒落た窓やベランダがあり、観葉植物なども置いてあって中々美しい外観である。
中に入ればちょっとしたホテルのロビーのような空間が広がっている。建物自体がそう大きくないため広さは無いが、幾つかテーブルや椅子が置かれ、談笑している者も居た。
「部屋、空いてるか?」
「おやおやこれは。2人部屋でございましたら丁度空いております」
「……何をニヤニヤしてるんだお前はっ! 1人部屋だ1人部屋。俺は宿舎に住んでると知っているだろうが」
「ええ、存じておりますよ。しかし騎士団の宿舎に女性は連れ込めませんしねえ」
「だっ……!」
どこにいても苦労人らしい。放っておけば際限なくからかわれ続けそうだったので、リノは助け舟を出した。
「ヴィックルには牛頭族の可愛い彼女が居るから。僕は友達だよ」
「おまっ……おい!」
全く助け舟になっていないが。
受付の男性は白髪の混じった初老の男性だ。10日滞在で三食付きと伝えつつ、ポケットに手を突っ込んで見えないように金貨を取り出す。代金は日本円に換算するとかなり高いが、そもそも向こうでホテルに泊まる経験もさほど無かったリノは、これくらいか、と思いつつカウンターに金貨を置く。
男性は驚く様子もなく受け取り、お釣りを返す。幾らかの銀貨と晶貨、銅貨だ。よく考えると全て始めて見るものだが、今は観察したりせず無造作にポケットに入れた。
「こちらが鍵になります。宿を出る際はこちらにお預けください」
「うん」
「お食事はあちらの食堂で。前日までに仰ってくださればお部屋にお届けする事も出来ます」
「なるほど。……ああ、じゃあ朝食は毎朝、7時に部屋によろしく」
「畏まりました」
つまりルームサービスだろうか。なかなかサービスの行き届いた宿で、説明を聞くたびリノは感心した。高いのも頷ける。
にこやかに案内を申し出てきたが、ヴィックルにやらせるから、と断る。どうやら何度も泊まった事があり、しっかり建物を把握しているようだった。
鍵に書かれた部屋番号は、7号室。階段を上がって、廊下の1番奥にある部屋だった。
「じゃ、ありがとね」
「ああ。何か用があったら、第7小隊の屯所に来い。場所は人に聞け。いいな?」
「世話焼きだねえ、本当に。わかったって」
すっかり情が移ったのかもしれない。何度も確認しつつ、ヴィックルは去って行った。取っていた休暇の日数的には既にアウトらしいが、クビにならなきゃいいな、とリノはとりあえず祈っておく。もはや認識はリストラ寸前の過保護なサラリーマンお父さんである。
部屋に入ると、そこは小奇麗なごく普通のホテルの一室のように見えた。白い壁、落ち着いた紫のラグ、これまた白いテーブルと椅子、ベッド、カウチ。
この部屋だけを見れば、全くゲームの世界とは思えない。リノは靴を手早く脱ぎ捨て、ぼすんと柔らかなベッドに埋もれる。
(疲れた)
1人になると、途端に気持ちが沈む。人が居るのも疲れるが、人が居ないのも嫌いだ。
こういう時、いつも居てくれたのは幼馴染だった。
(……居ないなんて訳、無い)
リノは白い指でシーツを握り締めた。
同じ世界にいないなど、想像も付かない。それほどまでに、常に繋がりがあって、離れることなど無かった幼馴染。
それが、今は一筋の糸すら見えない。
(そんなわけ、……)
浅い息を繰り返す。抱いたことのない感情が、じわじわと喉からこみ上げるようにして溜息に変わる。ぽつりと、吐き出すように何かを呟いて、リノはそっと目を閉じた。
――寂しくなんてない。
目が覚めると日は暮れていた。ぼんやりと空の一部だけが僅かに明るく、日が落ちたばかりだと判断する。
「ごはん……」
きゅう、と腹が鳴る。着替えも面倒なので、アイテムから服を選択して一瞬で着替えた。
モノトーンの落ち着いた感じのワンピースにニットのカーディガン。装備アイテムではなく、効果のあまりない衣装アイテムだ。こうして見れば、どこぞのお嬢様に見えなくもない。
リノは鍵を手に取り、部屋を出た。
食堂は案外広く、落ち着いた雰囲気だった。白いテーブルクロスの掛けられた丸いテーブルが幾つも並んでいて、食堂という言葉に付随する大衆的な印象があまり無い。間接照明で照らされていて、ムードがある。なかなかやるな、とリノは感心した。
適当なテーブルに着くと、すぐに給仕がやって来る。食べられないものは無いかだけ聞かれ、リノは「虫と蛙と蝸牛は食べられない。あと酢豚のパイナップルとキムチ」と述べた。正直すぎる回答に少し笑われたが。
この世界の食事事情は、日本とさして変わらぬ和洋折衷ぶりで、珍味の類はあまりない。精々モンスター類の肉が出たりする程度だ。そのモンスターに色々とアレなものが含まれていたりするのだが。
昔、というかゲームでは食材としてドラゴン肉などがあったが、今となってはレア食材になっている。単純に、倒す事が出来ないのだろう。
百人がかりの力押しでやっと150~180レベルのドラゴンが倒せる程度だ。そもそもステータスに非常に恵まれているドラゴンは、レベルが低くとも脅威となる。
「お待たせいたしました」
つまりドラゴンを狩れば一攫千金じゃないだろうか。
リノの脳裏にそんな思考が過ぎったとき、料理が運ばれてきた。人だった時よりもかなり鋭敏な嗅覚が、その匂いを捉える。
(これは……)
ごくりと喉を鳴らした。給仕の青年が笑みを浮かべ、テーブルの上にそれを置く。
「キリャニカ卵のオムライスですよ」
(待て、なんかまた子ども扱いされてないか!)
オムライスの天辺に旗が立てられていた。
茶髪に鳶色の目をした温厚そうな青年は、にこにこと微笑ましげな顔で料理の説明を一通りして去っていった。リノは不服げにしていたものの、一口食べるなり満足げに微笑む。
美味い。とてつもなく、美味かった。
キリャニカ鳥は鶏にも似た姿の、しかしやや大型で色も様々な鳥だ。モンスターではあるが、ノンアクティブ、つまりプレイヤーを見ても攻撃してこないタイプである。
その卵は最高級品らしく、クエストでもよく対象になる。
リノはこれでもかというほどゆっくりじっくりと味わって食べた。ちまちまと口に詰め込んでいく様子が小動物のようで可愛らしく、やたら視線が集まる。
やがて食堂も混んできて、テーブルが埋まり始めた。
「お嬢さん、相席して構わないかな」
ふ、と影が差す。顔を上げると、背の高い男であった。リノはまだ口に物が入っていたため、こくりと頷く。
テーブルは2人用らしく、向かいにも椅子がある。
「ありがとう。いやあ、こんな可愛いお嬢さんの前が余ってるだなんて幸運だね」
なんとも気障な台詞に、リノは嬉しがるでもなく嫌そうに眉根を寄せた。気色悪い。
金茶のウェーブした髪に緑の目をしていて、顔は整っている。美形すぎるという程でもないが、モテそうだ。
「……口説きたいのなら、あそこに綺麗な女性がいるじゃないか。ロリコン?」
自ら子供扱いしたが、それはそれ、これはこれである。利用する時は利用する。
男は怯まずに笑う。
「やだなあ。立派なレディじゃないか」
ぞわりと鳥肌が立った。リノはこの手の男が嫌いだ。というか口説かれるのが嫌いだ。
隠す事無く不機嫌さを出すが、男はにこやかに給仕と会話して全く意に介さない。小娘の癇癪程度、どうにも思っていないかのように。
更にリノの機嫌は悪化した。子供扱い以上に腹の立つ扱いだ。
(とっとと食べて帰ろう)
憤懣やる方ない気持ちでスプーンを握り締める。握力が強化されている所為で、僅かにぐにゃりと形を変えた。それに気づきもせず、リノは食事を続ける。
先程までとは打って変わって早食いだ。
「まあ、そう急がないで。ちょっと聞きたいんだけど」
「……チッ」
隠す事なく舌打ちが出た。言う事を聞く気はないのだが、次に男が言った言葉に、リノはスプーンを動かす手を止める。
「金髪に青い目の戦士についてね」
軽く目を見開く。驚いたが、余裕は捨てない。
リノはスプーンを置き、心を落ち着けるためにグラスを手にとって、入っていた果物のミックスジュースを喉に流し込む。またも子供扱いされている事は頭から飛んでいた。ちなみにこの世界では16歳から酒が飲める。リノは合法的に飲酒が出来るというのにこの扱いであった。
「聞かせてもらうよ」
にや、と眼前の男が満足げに笑った。
「レオ、という青年が王都に現れたのはつい5日前」
レオ――玲央。本名と同じ、キャラクターの名前である。
慣れ親しんだ幼馴染の名。嘘ではないようだ、と少し警戒を緩める。
「彼、とても巻き込まれ体質みたいでね。ついでにハーレム体質みたいで、本人は逃げてるのにやたらと事件に巻き込まれて、今は3人くらい女の子侍らせてたかな?」
「……」
びき、とリノの周囲の空気が凍った。笑顔が怖い。前例が大量にあるため、その様子は簡単に想像が付いた。
容姿が変わっていようと――いや、むしろ良くなってしまっているため、確実に、その体質は悪化しているのだろう。
「確か公爵令嬢と巫女と冒険者だったね。……おや、怒ってるのかな?」
「……いいや。人が探してあげてる最中に、女の子とキャッキャウフフしてると思うとねえ……腹が立つなあ。ああ、怒ってるのかな。で?」
「青い髪に金色の目をした猫妖精を探してる、て言ってたよ。……今時珍しいからすぐに分かったけど、君の事だろう? でも、周りの子たちの所為でなかなか探しにもいけないらしくてね。で、僕らが買って出た訳なんだけど」
更にいい笑顔になった。それを見て、男が楽しげに問う。
「で、実際どんな関係なの?」
「幼馴染」
「へえ?」
からかうように言われると、リノの浮上しかけていた機嫌が急降下する。
男は柳のように受け流し、涼しい顔で運ばれてきた食事を口に運びながら話を続けた。
「そうには見えないけど。彼、いくら言い寄られても流すし、あげくの果てに幼馴染がー、とか言ってさ。面白いよね」
「わあ面白い。……そういう発言が回りに勘違いさせるっていくら言っても分からないんだからなあ。悪癖というか、もうね……」
言葉を切る。にっこりと笑いながら、内心で呪詛を吐く。
「君には全く気がない訳だね? なるほど」
「で、居場所は?」
話に付き合う気もないらしく、リノは笑みを浮かべたまま言う。男はにこにこと笑いながら、告げた。
「王城に滞在中だよ」
「それはどーも」
グラスを置く。デザートの最後の一口を胃に収めると、リノは立ち上がる。
「もう行くの? 残念だな」
「道化と道化じゃ相性悪いからね。手足が出ないうちに帰るよ」
「おやおや。愛しい彼に繋ぎを取ってほしくはないのかな」
「うざい」
最後に心底嫌そうな顔をして、リノは立ち上がった。一刻も早く、この胡散臭い男から離れたい。王城に滞在中のレオと知り合えているという事は、城にいるような身分なのだろう。
まあそんな事はリノにとっては知った事ではないのだが、関わりたくない人種である事は確かだ。城くらいなら、行こうと思えば行ける。難しいことを考えなければ普通にジャンプして壁くらい飛び上がれる筈だし、体裁を気にするなら普通に行けば良い。
ゲーム時代の話だが、冒険者は城に入る事を許されていた筈だ。今でも然るべき手順を踏めば簡単に入る事が出来る、とヴィックルに聞いている。
嫌な視線を背後に受けながら、リノは不機嫌顔のまま食堂を去って行った。
強気な女の子の弱ってる以下略は以下略




