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恋する巫女、そして遊び人






 大丈夫か、とも。

 下がれ、とも。

 危ない、とも。


 一言も喋らず、ただ気遣わしげに一瞬視線を送っただけで勇者じみた青年はその場を去った。

 ロレンシオはただ呆然としていたが、暫くしてここが戦場である事を思い出した。そんな大切なことすら忘れてしまうほど、どぎつい印象を与えられる人間だった。

 まるで、自分に杖という新たな武器を与えた少女のように。



 圧倒的すぎるものを見た所為か、少し落ち着いたように思える。

 ロレンシオは相変わらず杖を振り回し、次々と敵を倒し、そうしてレベルを順調に上げていった。


 そしてその日の功績はかなりのものとなり、彼は後に“杖の騎士”として名を残す事となる。







 レマリー・セラーテ・レイスティアは救護班として来ていたものの、案山子相手にそうそう怪我をする人間もいないため暇であった。

 近頃世話になっているジーナ・カロッタは戦っている筈だ。もう1人、アデライド・シュアリナ・ジュベレは貴族であるためこんな場所に来ている訳は無い。


(暇ですね……)


 恋となるとつい暴走してしまうのだが、根は善良である。神殿は清浄ではないが、彼女は名実ともに清純なる巫女。そしてその性格は、極めて普通である。

 笑いもするし、泣きもする。ごくごく一般的なティーンエイジャーだ。


(……レオ様、来てますかね)


 アデライドには“なってない”とよく言われる丁寧口調で、組み立て式の簡易椅子に座ってぼんやりとする。怪我人はたまに来るものの、下級神官で足る程度のものなので、レマリーの仕事と言えば微笑みかけてやるくらいのものだ。

 何せ、レマリーは治療も安売りできない身なのである。巫女というものは、そういうものだ。


 暫く待っていると、ぼろぼろになった青年騎士がやって来た。

 恋する乙女は愛する男以外には辛辣である。内心でどうせ身の程を知らず突っ込んだのだろうと予想しながら見ていると、治療を受けながらも闘志を失わない様子に少し感心した。

 貴族の騎士の方が、傷を受けることに慣れていない。多かれ少なかれ打ちのめされ、泣きそうな様子のものも居れば本当に泣くものまでいるというのに、彼はしっかりとしている。


「感心なことですね」


 声を掛けると一瞬目を大きく見開いて、それから頬を紅潮させた。

 レマリーはもともとは学者の娘で、地位はさほど高くない。だが巫女という付加価値があれば、貴族の男ですらこうなるのは何故なのだろうか――そう思いつつ微笑みかける。


「随分と叩きのめされたようですが、背に傷がないのは感心です。逃げなかったのですね」

「……。あ、は、はいっ」


 妙な含みがあるが、こくこくと頷く。

 レマリーはふと、レオに相対しているときの自分もこうなのだろうか、と思った。


 ――レオに惚れたのは純粋な気持ちだが、想い続けた事は純粋な気持ちとはいえない。

 助けられたときの、腕一本で魔物を倒したその強さ。圧倒的すぎて、いっそ神でも見ている気分になった。さらにはその容姿――物語の勇者のようで、見とれずにはいられなかった。

 けれど、その時はそれだけだった。


 神殿に所属する神官は、欲に溺れることはもちろん許されないが、婚姻そのものは禁じられていない。とはいえ、巫女の身ともなればその相手を選ぶには慎重にならざるを得ない。

 相手に要求されるのは地位や身分ではない。巫女の伴侶として、後ろ暗いところがあってはならず、容姿に関してもあまり醜悪では困る。心身共に清潔感は必須だ。

 また、あまり年のいった相手でもいけないし、性格面もかなり考慮される――となると、大抵は神官と結婚することになるのだが、レマリーは暫くレオについて行ってから心に決めた。


 容姿、問題なし。性格、おそらく問題なし。この若さ、そしてあまり頭がいい訳ではなさそうな様子から、悪い人間ではない。――このひとだ、とそう思った。


 ジーナは美人だがもう20代後半で、この国では行き遅れと言われても仕方ない年齢だ。

 アデライドはレマリーよりひとつ上でまだ若いが、身分上、今のレオを夫にするのは難しい。

 その点、自分は問題ない。重視されるのは相手の人格と、何より自分の意思だから。


 ――そんなささやかな優越感は、先日見事に打ち砕かれたが。


 嘘ではなく、恋愛感情はないのだろう。十年来の親友どころでなく、生まれた時から一緒だったというのに納得いくような仲のよさ。共に居れば安らぎ、信頼しあえる関係。

 自分の思い描く関係ではない。けれど、とても羨ましい関係だ。


 もちろん、嫉妬はした。したが――それ以上に、嬉しかった。

 良くも悪くも、今まで感情が揺らぐことが無かった。だから、浮き沈みの激しい感情を持て余すのはなかなか楽しかった。


 一時だけ見る夢でも、構わない。

 ただ今だけは、恋する乙女で居るのが楽しくてたまらなかった。

 そういう意味では、不純である。恋に恋する、とでも言うのだろうか。

 やはりよくも悪くも、彼女は“普通”なのである。


「あ、あ、ありがたきお言葉っ」


 ともあれ、憧憬を瞳に浮かべ、顔を赤くしてそう言う青年は哀れなものである。 

 頭を下げ、そわそわとしつつ去っていく彼を見ながら、レマリーはまた溜息を吐いた。







 流石に、そろそろ数が減りすぎてやる事がなくなった。

 地面に座り込んだかと思えば、大の字に寝転がって空を見上げ、溜息。


「死んだ……」


 青い髪が散らばる。唇を噛みながら暴れた余韻の心地よい疲れに身を任せつつ、改めてここが自分にとっての現実であることを自覚する。

 走り回ったから足の裏が痛いし、息は上がって胸が苦しいし、頭がぼうっとする。


 もう、黒髪に黒い目の自分は還ってこない。跡形も無く焼けてしまったのだ。


「死んだ」


 悲しいのか、それとも哀れなのか。

 自分に対してはよく分からなかったが――ただ、父を思うと泣きたくなった。


 リノの父親はそれはもう出来る男だった。かなりの色男で、仕事も出来る。若い頃から会社では出世株で、それなりに遊んでもいた。

 リノの母親はお嬢様だった。容姿は十人並みだが、優しげで儚い女性で、おぼろげに思い出せる顔はほとんどが笑っていたような気がする。最後だけは別だったが。

 出会ったのは、会社に入社して一年ほどのことだったらしい。母に惚れこんで、ハーレクイン顔負けのラブストーリーが繰り広げられ、そうして父が26歳の時に結婚。

 そして翌年、リノが生まれた。


 ――それで終わればよかったのだ。


 リノが生まれて数年、父が昇進した。母は仕事をやめて専業主婦となったが、どうやらあまり家に帰らない父のせいで、ボタンを掛け違えてしまったらしい。

 そして、リノが小学生になったばかりの頃だ。ある日、リノは母の携帯がリビングに放置されているのを見て、ふと手に取った。そして、着信履歴にあった見知らぬ番号に掛けてみたのだ。

 知らない男が出た。驚いて無言で居たリノに怪訝そうにしていたが、彼は「志乃さん? 約束の時間はまだだけど」と言った。志乃とは、リノの母の名前である。


 子供にしては頭がよかったリノは、気付いてしまった。

 今日の母の予定。カレンダーを見れば、そこには友人との食事を示す旨が書かれている。


 子供が気付けた事実に、父が気付くのはそう時間が掛からなかった。

 浮気を許せるほど、父は寛容ではなかった。母はリノに付いてきてほしいと言ったが、リノは父を選んだ。まあ、この家から離れたくないという理由が大きかったが、父が哀れに見えたのだ。


 母はその相手と結婚したらしいと聞いた。会おうと思えば会えたらしいが、リノは一度も会おうとはしなかった。それは、母へのささやかな報復だったのかもしれない。


 そういえば――


(あれ……?)


 ――つい、最近、どこかで見たような気がする。

 どこで見たのだろうか。街中だったような気もするし、卒業前に父や隣の一家と一緒に行った旅行先だったかもしれないし、入学後の学校のオリエンテーションで行った合宿所であったもしれないし――あるいは家の側だったような気もするのだ。


 じっくりと考えていると、影が差した。


「帰るぞ」


 冗談のような姿だと、改めて思った。

 よくよく考えてみればコスプレもいい所である。顔立ちは綺麗だが、元の面影がある状態で鎧にマントである。笑いが込み上げて来て、リノは腕を伸ばした。


「起こして」

「……お前な」


 手を引っ張って起こし、だるいと文句を言うリノを背負って帰るレオは、英雄には見えなかった。

 おかげであまり話しかけられることもなく、比較的平和に宿に帰りつけたが。


 そして王都襲撃イベントは終わりを告げ――


「お前って本当にあれだよな」

「うるさいな」


 リノは、見事に体調を崩して寝込んだのであった。





しかし詰め込んだタイトルだ。

レマリーは普通の娘。

ジーナとアデライドは次かその次あたりで……


という訳でちょろっとリノの家庭事情。

父・理人まさひとと母・志乃しの

合わせて理乃。はい単純。

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