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泣き女と遊び人








 べったりとリノを抱き込んで離さないヴィヴィアンを適度にあしらいつつ、カウンター裏のスタッフルームに案内される。

 1番いいソファに座らされ、店員らしき女性に紅茶を出され。きびきびと店員に指示しながらも、きらきらと輝く赤い瞳は視線で抉りぬかんばかりにリノを見つめている。

 ヴィックルの様子で想像はしていたものの、実際向けられると凄まじい忠誠心……もとい、執着または偏執、である。

 

「ご主人様……私、私ずっと待っておりました……うふ、ふふふ、なんて幸運かしら。私が1番にご主人様に会えるだなんて……」

「ハンシンとヤンバルとクイナには会ったけどね」

「あうっ! ……あいつら、どうして知らせないのかしらっ、もう! ぬか喜びじゃない! でもお会いできて……うふ、うふふ、嬉しいですわ!」


 とろけるような目で見つめながら腕が伸びてくる。リノは僅かに、ほんの僅かに口元を引き攣らせながらも笑顔を崩さなかった。見上げた精神力である。

 

「えーと。ここ、支店なんだよね」

「はい! 第二号支店ですわ!」

「……いくつあるの?」

「五つございます! 店舗の維持と資金集めは万全です!」


 何に使えばいいんだろうかそんなに、とリノは一瞬暗澹たる気持ちになった。

 貨幣価値の変動で恐ろしい大金を手にしてしまったというのに、更に増やす気なのか。というか既に手遅れである。


(通帳見て気絶しないかなあ……や、通帳は無いか)


 変人だが分類的には小市民であるリノは、遠い目でそう思った。


「そうですわ、ご主人様」

「……え、何?」


 突然意気消沈した様子で目を伏せたヴィヴィアンを見て、リノは思わず身構えた。

 

「……ご主人様のご命令もなく外へ出てしまい……今更ながら、申し訳ございませんわ……」

「え、あ、うん……いいけど」


 しかし言う事は案外まともである。なんだ、とほっとしたリノだが――


「ですから……ご主人様、お仕置きをっ! お仕置きをしてくださいませっ!」


 その言葉には流石に脱力してカップを取り落としかけたのであった。





 なんとか宥めすかしてヴィヴィアンを諦めさせ、夕方近くに宿に帰った。

 ひどく体力を消費した気がする。昨日と同じにベッドに体を投げ出し、ぽい、と靴を床に投げた。


 部屋に1人でいると、何もする事が無くなる。

 

 元の世界に居た頃は、日がな一日ゲームに熱中していた。学校から帰ればゲーム、夜中までそうして、朝起きてからも偶に顔を出して、学校に行く。

 遅く寝て早く起きるのが生活スタイルだった。そして、それが苦にもならなかった。

 金曜の夜からは、殆ど寝ずにゲームに没頭していた。ネトゲ廃人、まさにそれかもしれない。課金こそ学生ゆえに人より少なかったが、掛けた時間たるや有数のものであろうと思う。


 読書だとか、音楽鑑賞だとか――興味は無いでもなかったが、それはほぼ学校のみで終わってしまうような希薄な興味。図書室で、音楽の時間で。それだけでよかった。

 体を動かすのはあまり得意ではない。体力が無きに等しいからだ。勉強は、授業さえ聞けばそこそこ出来た。本当に、やる事など何も無いような気がしてくる。


 娯楽のないこの部屋で、一体何をすればいいのだろうと、ぼんやり思う。


「せめて」


 その先の言葉は無い。 

 ゲームを始める前は、何をしていただろう。自分には何があったのだろう。


(探検とか? ……あー)


 よくよく考えてみると、現実から電脳世界に舞台が移っただけで、あまり変わっていない。


(要するに悪ガキだった訳だな)


 無茶ばかりして、興味があれば突っ込んで。他人などどうでもよく、自分本位に生きて。

 そうしているうちにトラブルが降って湧いて、嬉々として首を突っ込んだ。

 そのストッパーに……なりきれてはいなかったが、一応止める役が幼馴染だった。


 リノは暫くぼーっとした後、悩む自分がなんとなく恥ずかしく思えて、体を起こした。


「風呂……」


 面倒臭そうに服をぽいぽいと脱ぎながら裸足でバスルームに歩いていく。

 ドアを開けた時には全裸になっていた。

 いくら何でも適当すぎるが、幸いにも見ている者は誰も居なかった。



 風呂に入ってすっきりし、着替えて髪を乾かす。

 生活系魔法のひとつ――熱風を出す《ドライヤー》。何の用途があるんだと思っていたが、案外便利だ。タオルと併用しつつ手早く髪を乾かした。

 辺境の魔女が割とホイホイ教えてくれる生活系の魔法。生きていたなら是非とも礼を言いたいものだが、代替わりしているかもしれないな、と思う。


「はぁ……」


 どんなに適当に洗っても艶々と美しい青の髪。ブラシやらは持っていなかったので、風呂場にあったものを使っている。

 化粧品もそれなりに揃っていて、細やかなサービスの行き届いた本当にいい宿だ。

 とはいえリノはあまり化粧品には手を出していない。元々あまり興味が無いので、精々化粧水と乳液を使ったくらいだ。

 

 この体は、文句無しに美しい。

 顔立ちこそ面影があるし体つきはあまり変わらないが、艶々とした肌や髪が嬉しくもあり悲しくもある。自分の生まれ持ったものでもなければ、努力で得たものでもない。

  ――持っているものだって、自分の体を張って手にいれた訳では無い。


 だから、早く会いたい。

 唯一対等であれる幼馴染と。

 あるいは、他のプレイヤーと。



「相席してもいいかな?」

「よくない」

「あははは」


 食事しに行くと、昨日の男が現れた。返事を無視して向かいに座った男は、相変わらず胡散臭い雰囲気を撒き散らして微笑んでいる。


「耳が悪いのかな、君」

「良くないんだろう? 駄目とは言っていないじゃないか」

「駄目」

「遅いよ」


 殴りたい。

 パスタをくるくると巻きながらリノは食べるスピードを早める事にした。味わって食べたいが、この男の前に居て平然としていられる訳が無い。

 具体的に言うと手が出そうなので早めに去りたい。


「そうそう。これ、プレゼント」


 す、と差し出されたのは白い封筒だった。

 封蝋も何も無い、ごく普通の封筒。元の世界にもありそうな有り触れた封筒だ。

 しかし、


「……」


 右下に小さく書かれた名前を見て、リノは迷わずそれを手に取った。

 開いた封筒から素っ気無い便箋を取り出し、書かれている文字の筆跡を見て唇の裏側を噛む。

 

 そうしないと、もう笑ってしまいそうだった。


「嬉しそうだね」

「そう?」


 リノは封筒に便箋を戻すと、今度はゆっくりと食事を再開した。

 これを持って来てくれたのなら、許してやろう。 

 そんな寛大な気持ちになれるほど愉快だ。


「なるほどねえ。面白い関係だよ」


 向かいに座る男がそう言って笑っていても、あまり怒りが湧かない。

 リノはグレープフルーツのジュースが喉に染みるのを感じながら、今更な自己紹介をした。


「僕、リノっていうんだけど」

「はは、ありがとう。僕はゼディーギス・ガーズ・レーベルント。ゼディでいいよ」

「そう。よろしく」


 その名前に、周りで食事を取っていた人々が僅かにざわつき、ちらちらとこちらを見た。

 有名人か、と思いつつリノは気にせずジュースを最後まで飲み干す。


「レオもだけど、本当に気にしないんだね」

「貴族か何かだろう? 何でこんな所にいるのか知らないけどね。どうでもいい」

「一応、伯爵家の長男だよ。放蕩息子なのさ」

「ふうん」


 金茶の髪に、緑の目。それなりに整った高貴そうな顔。……それは兎も角、仕立てのいい服、何よりポケットに無造作に突っ込まれたハンカチに紋章らしきものがある。

 見れば分かる、とリノは呆れたように笑った。


「……ごつい名前」

「よく言われるよ」


 口説かなくなれば、それなりにゼディーギスはいい話し相手だった。

 知識は豊富だし、噂話も良く知っている。放蕩息子は放蕩息子なりにいい所があった。

 

 その日の食事は満足できるもので、心地よい疲労に身を任せ、リノはぐっすり眠れた。






好感度↑

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