A side 1 -3
ありえない急展開。わかりやすい複線の数々。
知り合いの店は、ここからある程度近くなおかつ、少女を匿うことができそうな場所だ。
途中傾斜の厳しい坂になっており、少女が辛そうにしているので肩を貸して登る。
会話はしなかった。そんな余裕はなかった。
坂を登りきると高級住宅街が広がっている。その一角。
豪奢な邸宅ばかりが並ぶそのほんの隅っこでせせこましく建っている荒屋には入り口付近にこのように書かれていた。
『情報屋兼探偵事務所』
少女の様子を窺いながらも、入口の呼び鈴を鳴らし、返答を待たずに扉を開ける。普段だったらそんな無粋なことはしないけど、緊急事態だ。
「ここにいる人は、まあ信用は出来るから大丈夫。とりあえずここで怪我の具合を見ないと」
しかし先ほどの人たちは一体なんだったのか。いや、それを考えるのは後でいいだろう。
外とは違って意外としっかりした造りの店内(といっても数台のパソコンにでかいサーバー、大量のケーブルが大半を占めているので広くはない)は照明がついていないので薄暗いものの、パソコンのディスプレイからの薄明かりでその不機嫌そうな顔だけは窺えた。
「あのさ、呼び鈴を押しておきながらそれを待たずにズカズカと入り込んでくるのは反則だと思うのだけれど。そのあまりにも堂々とした勇気は評価してあげなくもないのだけれどね。まあ君が良質な情報をもたらしてくれるということならばありがたいし許してあげないこともないと思うのだけどいくらなんでも夜分遅くに女の子の家に許可なく入り込むのはいただけないな。それとも君が常軌を逸した変態であるという証拠つきの情報を世間一般に公表して欲しいというならば僕としても前面協力でだね……」
「悪いが、今はお前の饒舌に付き合っている暇はない」
鬼無里南萌。
パソコンや機械関係に関してはこいつの右に出るものはいないだろう。その能力を持て余しながら、彼女は情報屋や探偵業をやっている。
日本人形みたいな大和撫子の彼女がパソコンを操作する姿は似合わないと思うのだが。そもそも南萌とまともに会話できるのは奇しくも友達なんて皆無に等しい僕だというのだから世の中不思議なものだ。類は友を呼んだのかはさておき。
「ん? 誰だいその子は?」
今になって気がついたのか、南萌が興味深そうに僕の肩につかまっていた少女に目を向ける。
「とりあえずソファーを貸りるよ」
少女をソファーにゆっくりと寝かせ、足の様子を観察する。専門家でもなんでもないので痛そうだな、くらいの自分勝手な感想しか思いつかない。
少女は疲れからか、はたまた安堵からか、眠ってしまったように動かない。本当に眠ってしまったのかもしれない。
「それで、その子は一体何なのかな?」
正直言って、僕も彼女が何者なのか知らないので、とりあえずここに至った経緯を簡単に説明した。
「ふむ、随分と切迫した状況のようだね。面白そうだね」
一言多い。
南萌は十字の記号が入った箱から消毒液やら包帯やらを取り出し、てきぱきと処置していく
「それと、その追跡者達と仮称しておくが、彼らの服装はどんなものだったか分かるかい? 他にも人数や歩き方とか情報があるなら教えてくれたまえ」
たしか、はっきりと見た訳ではないが服装は黒のスーツで、人数は少なくても四、五人程度いたと思う。歩き方は音がほとんどしなかったのと、軍人のそれに近い気がした。
そういえばここに来るまでの間誰にも会わなかった。そこまで遅い時刻ではないはずだが。
「とするとだ。規制できる能力を持っているから追跡者達はどこかの権力者の駄犬か。正式かどうかは判断がつかないな。ましてやサイレンサー付きであったとしても街中で発砲する始末。やはり間違いない」
「何か分かったのか?」
「君も随分と悠長に身構えているじゃないか。僕でなくても多くの人が気づくことができる重要なことがあるじゃないか。……まあいいけどね」
南萌は呆れたように笑う。その上品な笑い方は育ちの良さを窺わせた。
「しかし、君のその無駄に満ち溢れた才能には驚嘆するばかりだ。畏敬の念さえ払ってしまうよ。こうも頻繁にトラブルに巻き込まれるその体質、いや性質といい直そう––––非常に厄介極まりない代物ではあるが、面白いよ。実に面白い」
褒められているのか、貶されているのか全く分からなかった。
「褒めているのだよ。君と敵対するつもりははなから毛頭ないのでね。その点は安心してくれていい。ましてや君は……いやこれは言うべきではないな。君が一番分かっていることなのだから」
「それで、結局なにが分かったんだ?」
「そうだね。馬鹿らしくも明瞭で簡潔な言葉を用いるならば、彼女は『世界の敵』とでも言うべきかな。そんなくだらないものは立場や時代でいくらでも異なってしまうのだろうが、ここでは敢えて世論の大多数意見に従ってそういう表現をするのが妥当だろう。これは君にも少なからず共通するところがあるのではないかと、僕は思っているのだが。おや、よく分からないといった顔だね。それはまた今度として。彼女の正体だが彼女の顔をもう一度見てごらん? 本当に見たことがないかい?」
彼女の言っていることは全く分からなかったものの、とりあえず従い少女の顔を初めてじっくりと見入る。
…………!
髪型が短くなっていたのも相俟って、気がつくのに遅れてしまったが、やっと今、僕は彼女の正体に気がついた。
「分かったみたいだね。詳しい話は本人から聞きたいのだけれど。……いいかな?」
南萌は僕に向かってではなく、ソファーに声を掛けた。
やがてソファーで眠っていたはずの少女は起き上がりこちらをしっかりと見据え一言。
「気がついていたのだな」
「いやいや、言ってみただけだよ。本当に眠っていても問題はないしね。怪我はどうかな? 応急処置をこの僕にさせた以上、死ぬことは許されないよ」
すごい傲慢な物言いではあったが、鬼無里南萌だからこそ許される、そんな雰囲気があった。
少女が感謝しようとするのを南萌は手を突き出し制す。
「感謝するならば黒坂明夢という変人にしておくといい。君をここまで連れてきたそこにいる男のことだ」
少女が南萌から僕のほうへ顔を向ける
「危険な所を助けていただき誠に感謝する。紹介が遅れたが、私は」
「知ってるよ。確か『仄火』って名前だよね。本名かどうかは分からないけれど」
間違いなく偽名だとは思うのだが、本当にその名前が本名だとしたら驚きではある。
「ふむ、そうか。私の名前の知名度も高くなったものだな。広めたつもりはなかったのだが、こう突飛なものではいた仕方がないか」
僕は改めて確認をとる。
「それで仄火が本当にあの映像に出てた人なの?」
彼女は肯き言った。
「ああ。私が彼女の言う世界の敵だ。三ヶ月前、世界に向けて宣言した主張は今も何一つ変わることはない」
『私はこの世界を完膚なきまでに壊す。現在の腐敗した世界を無慈悲なまでに消滅させる』
「そっか。そうなんだ」
僕の言葉を聞いて怪訝な顔になる仄火。
「何を納得している? そもそも君は私の正体を知らずに助けてしまっただけだ。ならばこれ以上義理を通す必要性が在する理由はないだろう」
自分の世界の敵なのだから、これ以上関わるな。そう言いたいのだろうか。
確かに僕と似ているのかも。
それでいて何もかもが遠い。とおすぎる。いや、距離という概念で表現不可能なほど決定的に違いすぎた。
それでも。
「……理由ならある」
僕は壁にもたれかかり半ば呟くように言った。思考がついてきていない。考える前に口先から出てしまっている。
「何だと?」
「理由ならあるんだ。三ヶ月前のあの映像が流れたとき、応援したくなったんだ。死んでほしくもなかった」
これは本当だ。
「世界は恐ろしいから、だからもし止めるなら止めてほしい」
これは本当だ。
「もし、などという仮定条件はありえない。ましてや、私は世界の恐ろしさを十二分に理解している。
その愚鈍さも、卑劣さも、傲慢さも、緩慢さも、凄惨さも、終焉さも、奇矯さも、懊悩さも、滑稽さも、軋轢さも、詭弁さも、奇傑さも、恐慌さもな」
「解ってるよ。だから、その世界を壊すというなら、その覚悟があるなら僕も仲間に入れてくれ」
これはほんとう?
「もう僕には居場所がない。希望もない。絶望しかない恐怖しかない」
これは本当だ。
「君の役に立ちたい。世界に対抗するというなら一人じゃ無理だ。仲間が必要だよ。僕を仲間に入れて欲しい」
これは……
南萌が愉快そうに笑った。
「また随分と大きく出たね。それは君が世界の敵、わかりやすく言えばテロリストになるということだけどいいのかい?」
「南萌。解っているだろ。遅かれ早かれこうなる可能性は高かった。どのみち選ばなきゃいけない。なら、道を選び進むしかない」
「そうかい。なら僕が言うことは何もないな。それで君は明夢をどうするのかな。彼の言うとおり仲間に入れるつもりなのかい?」
呆気に取られていた仄火は、南萌の言葉で我にかえった。
「……あ、ああ。私には一蓮托生の仲間はいないが、それでも簡単にテロリストになれと、一般人に対して言えるはずがないだろう」
一般人か。
「それなら大丈夫だと思う」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。どうせそのうち解るって。だから仲間に入れて?」
仄火は考える素振りをし、やがて一つの条件を出した。
「ならば、世界屈指の人材を探し出し仲間に加えて欲しい」
やっぱり仲間は欲しかったみたいだ。
「私は戦闘能力が皆無の策士だからな。仲間が多くいることに越したことはない」
「うん、分かった」
交渉を終えた途端、南萌が声を上げる。
「おや、そんな簡単なことが条件で良いのかい?」
「早々見つかるものではないし簡単なことではないと思うのだが。それとも何か当てがあるのか?」
顔に微かな期待の顔を浮かべる仄火。
「当てかい。なくはないのだけれどわざわざそんなことをするよりももっと簡単な方法があるじゃないか。時間がかからず且つ現実的で絶対的に仲間が増える方法がね」
……まさか。いやいやそんな短絡的に決め付けるのは良くない。でも世界に匹敵、いや超越するほどの人材を簡単な方法で仲間に引き入れる方法––––それが当て嵌まるのはこれしかいない。
「明夢は気がついたようだね。そう……」
相変わらず豊かな表情で彼女は言う。
「世界に匹敵できる逸材。僕がいるじゃないか!」
言い切った! 言い切っちゃったよこの人!
「信用していない顔だね。ではどうするかなー。うん、じゃあ君に有益な情報を差し上げるとしよう。君を追っていた犬共だけど、もうとっくに引き上げたよ。方向的にはうまく偽装しているつもりかもしれないが世界政府の日本支部といったところか。あと、明夢の顔は向こうに知られちゃったみたいだから」
ついでに、とばかりに重要事項をあっけらかんと告白する情報屋。
完全にテロリストと同じ扱いですかそうですか。というかいつの間に調べていたのか。
「なぜ分かったんだ?」
未だに疑問符で一杯な仄火は南萌に問い質す。
「信じるかどうかは君次第だ。だが僕は情報屋であると同時に探偵だ。知らないことなんてないのさ」
かっこよくポーズを決め、確固不動の所悪いが、結局なぜ分かったのかは謎のままだった。
迷宮入り。
信じるかどうかなんて、南萌は言っていたけど、間違いのない情報なのだろう。そう彼女は何でも知っている。そう、なんでもだ。
仄火は何やら納得したみたいで、首を縦に振り頷いている。
「では、明夢、南萌。私の為に力を貸して欲しい」
「もちろん」
「面白くなりそうだ」
「では明夢、早速仕事頼みたいのだがいいか?」
「うん。何の仕事?」
「今のメンバーでは世界を破壊するのには時間がかかるのだ」
時間はかかっても、目的は達成出来るんだ、と僕はその後の言葉も分からず感心していた。
「そこでこれから君には新たな仲間を捜索する任を与える。ああ、もちろん私も協力するぞ。南萌には情報収集に専念して欲しい」
「…………」
「…………」
結局は仲間になろうとならなくとも、仲間探しをすることになるらしい。南萌も一杯食わされた顔をしている。
でも、どうせなら飛び切り最高のメンバーを連れてこよう。せめてそれが僕の役目だろうから。
これが僕らのチームの最初のメンバー達の出会いであった。