A side 1 -2
こんなものを書いた自分が怖い。悪い意味で。
不都合なことに僕の家周辺には交通機関というものが存在せず、最寄のバス停まで歩くということは、すなわち僕が通う学校の目の前まで行くことと同義なのである。そんな訳で自転車を所持していない僕の移動手段は自ずと徒歩になる。
その学校を挟んで自宅とは反対方向にはやけに大きな駅があり、まるで学校から『こちら側』と『あちら側』で何があったと、この周辺の土地計画に携わった責任者に問いたいほど経済的格差が大きいと思う。もちろん僕の住む『こちら側』が劣等である(それでも学校周辺はまだマシな方で、僕の家周辺があまりにも何もなさ過ぎる)。
その駅付近に行くまでに学校からさらに二十分程度の時間を所要するが、多種多様な店舗が連なっている為、商店街だけでは入手困難な品を購買するのに週に一度はこちらに来るようにしている。
ついでに知り合いの店にも寄ろうかと思っている。
今日、こちらに来た主目的は単純に管理人さんと同空間内で呼吸したくなかったとか、そういうことじゃなくて、遁走でもなく、たまには外食しようと思っただけである。一人暮らしをしているためか、ある程度の調理能力は有しているけど特別好きという訳じゃないので、こうしてサボりたくなる時だってあるのだ。
ただし現在時刻は五時過ぎ。食事と洒落込むには存外に早すぎる。歳を取ればこういう生活になるんだろうけど、十代のうちからここまで規則正しく生活したくない。原因たる原因はやっぱり管理人さんにあるわけで。でもこれ認めちゃうと、管理人さんと居たくないから早めに出てきたと思われて癪だし。
一体誰に思われるのかさえ検討つかないまま、僕は歩き出した。たまにはのんびり散歩もいいだろう。そんなこと考えて一人悠々と街中を闊歩するのであった。
駅前のショッピングモール。軒を連ねる店舗の数々。混み合っているファーストフードショップ。急ぎ行く雑踏。夕暮れの町並み。破綻した一人ぼっちの道化。
やがて日が完全に沈み、駅方面に歩を進める人も増えていく中、僕はどこで食事しようかと考えていた。普段はその場の気分で決めていることも多かったため、手持ちの少ない今日は注意しなければならない。誤って高級レストランにでも入ってしまったら水以外注文できなくなってしまうだろう。
結局の所、よく通っている馴染みの店に行くことに落ち着いた。人と話すのを不得手としている僕でもあの店では平気なのは、マスターが気さくでいい人だからかもしれない。
人の多い大通りから少し外れた場所にポツリと佇む古風な店。その筋では有名な焼き鳥専門店だ。木製の二重構造になった扉を開け中に入る。
「いらっしゃいませ」
活気のある店員達の声がカウンターより聞こえた。
店の四分の一を占めるカウンター内の右側––––入り口側にある焼き台の正面に立つ、六十を過ぎたとは思えない若々さで調理作業をしていたマスターもこちらに気がつき、覇気ある声をかけてくる。
「毎度様」
僕はそれに会釈で返しいつもの指定席に向かう。店にはテーブルが三箇所、カウンター席が八席あり最大で二十人ほどが座れるようになっている。僕がいつも座るのはカウンター席の焼き台の目の前。つまりマスターと向かい合う場所が指定席だ。
今日が給料日前だからかもしれないが、客が少なく空席が目立った。混雑しているのは苦手なので都合が良かった。
席に座った所でタイミングよく、適度に温められたおしぼりを出される。
僕はメニュー表をめくり、飲み物といつも頼んでいる定番のものと、ここには載っていないオリジナル商品を注文した。
「味付けと焼き加減はいつも通りで?」
「ええ。いつも通りで」
何となく常連の優越を誇っている僕である。特に意味なんか介在しないけど。
入れ替わるかのように飲み物が運ばれる。烏龍茶だ。
グラスを傾け、液体を嚥下する。
今後のことを考えるともどかしいとも表しがたいおかしな気分になってくる。もう一口。奥歯に少ししみた。
それからすぐに焼き鳥の乗った皿がテーブルの上に並べられる。
それらをゆっくりと食べながら、マスターと世界情勢やら経済事情やらの話で盛り上がること十分。
ガラッ、と音がしてお客が来たことを店内に知らせる。
「いらっしゃいませ」
横目でチラリと様子を窺うと、意想外にも入り口に薬袋柚瑠と他数名と人間が立っていた。
「あれ、黒坂明夢?」
どうして声をかけちゃうかなこの人は。知らない振りをしてくれれば良かったのに。柚瑠はそんな器用なことが出来そうにもないからしょうがないけど。というかフルネームは止めて欲しい。せめてどちらかに統一を。
しかしすごい偶然だ。高校生が入るという感じの店には思えないんだけどな。僕も高校生ではあるんだけどさ。ある種僕は達観している様な気もするし。
柚瑠はテーブル席が空いている中、なぜか僕の隣の椅子を引き、あろうことかそこに座った。
陸上部の同輩とおぼしき人たちも、マジですか、そこ行っちゃう? みたいな苦い顔をしていた。気がつかないのは座った当人だけ。渋々、その隣に掛けていく陸上部メンバー達。中には話したことはないもの同じクラスメートと思しき人間もいた。
「イヤーすごい偶然だね。さっき部活が終わってさ、お腹減ったから皆で何か食べようってことになってここに来たんだけど、驚いたねー」
必要最低限の言葉で返答しつつ、急いで食事を終えた僕は、何を注文しようかと迷っていた柚瑠とその他を放置し、マスターにお金を丁度支払い店の外に出ようとした。柚瑠がそれに気がつき、何か言いかけたが、その前に扉を閉め、音を強制終了。
これで終わり、と思ったんだけど、柚瑠が何のためか店からとび出してきた僕の手を掴む。
「なに柚瑠?」
「そんなにダメなの? 誰かと一緒なのは嫌い? 誰とも関わりたくないの?」
彼女にしては珍しい強めの口調。
「何言ってるの。そんなつもりはないよ。ただ他の人たちが迷惑そうだったし丁度用事があったってだけで」
「そうやって他の人ばかり気にしてたら友達なんて出来っこないよ。そもそも君は自分から他の人と距離を取ろうとするじゃない」
僕と君は何もかも違うんだよ。一緒にするな。思わずそう叫んでしまいそうだったが、柚瑠の言うことも正論だ。しかし正論ゆえにどうしようもなく破綻し、整合ある論理を求めるがゆえに矛盾を抱えているのはあくまで彼女が常人の思考で通常の世界を生きてきたにこの上ない。
「友達が待ってるよ。僕と一緒にいると君まで在らぬ迷惑を被ることになるよ。だから」
もう僕とは関わるな。
「じゃ、急いでるから」
踵を返し、さらに闇色の深まる路地に走った。
明日柚瑠に会った時どんな顔をすればいいのかわからなかった。謝ればいいのか、もう僕とは関わらないように拒絶すればいいのか。いっそのこと、学校にも行きたくなくなってきた。
そんな風にずっと考えていたからだろうか。
ほとんど街灯もない路地の曲がり角で人と衝突してしまった。さほど衝撃もないため倒れることはない。
「いて。す、すいません」
目の前で尻餅をついた人物は顔もスッポリと隠してしまうほどの外套で身を包みこんでいた。その人物はコンクリート壁に手を掛け立ち上がろうとするが、呻き声をあげ、力が抜けたのか再び倒れてしまう。ぶつかった時に怪我をさせてしまったのだろうかと心配して、僕はその人物を注視した。すると、薄暗くて先ほどまでは分からなかったが、外套に染みのようなものが付着していた。足の位置だ。気のせいか鉄くさい匂いがする。
間違いない。これは……血液だ。
尻餅をついた以上、あの位置からは血が出ない。なら、元々怪我を負っていたことになる。
じゃあどこで? 訊くべきだろうか。
本能的に、あるいは経験則から警鐘が鳴っていた。
かかわるなかかわるなかかわるな。
関わるな、係わるな、拘わるな。
カカワ/ルナ/。
……/カカワレ/。
瞬間。思考回帰。
とにかく救急車を呼んだほうがいいかもしれない。
携帯電話を取り出そうとしたとき、外套の人物が来た方向から多くの足音と怒号が聞こえた。
「いたぞ。あそこだ。逃がすな、追え」
何がどうなっているのか。一瞬僕を捕らえにきたのかとわけの分からない被害妄想癖を発揮したが、外套の人物が慌てて立ち上がり逃げようとするのを見てほっとする。……いやいやダメだろ。
慌てて立ち上がったためか、外套のフードから顔があらわになる。ショートヘアーの女の子だった。
険しい顔の少女は今にも倒れてもおかしくないほど動きが弱々しかった。それでもまだ何かを諦めきれない顔。
……重なる。類似じゃない。同一だ。
どうするべきか。やばい雰囲気だ。
思考とは裏腹に体が勝手に動いた。少女の手を取り、走り出す。
「こっち」
後方からの声はもう聞こえない。少女は驚いたようにこちらを見つめながらも大人しく、ついてくる。この街一帯の地図は暗記している。少女を追っている集団に気を配りながら、とにかく走る。走りきる。
向かう先は知り合いの店。