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【短編小説】鍋


 世界が煮込まれた。

 いや、それは収縮や圧縮に近いのかも知れない。

 全ておれのせいだったが、今さらどうすることもできず、ただ絶望的な景色を見ている事しかできなかった。




 おれはただ、捨てただけだった。

 引越しを機に家のものを一新しようと思ったからだ。

 ズルズルと座って形の崩れたソファも、派手に汚したコンロも、食器も調理器具も何もかもだ。

 そのひとつに鍋があった。

 一人暮らしを始めた頃に買った鍋で、切れ味の悪い包丁や欠けた皿を買い換えてもこれだけはずっと使い続けていた。



 愛着もあるが、単純に使いやすかったのだ。

 片手で使える取手があり、炒め物にも使える深さや大きさで実に機能的。どこかのホームセンターで買ったこれが、まさかこんな活躍するとは思いもしなかった。



 ただそれも終わりだ。

 新生活では二人暮らしになる。その大きさでは少し心許ない。

 さすがに使い込んだボロボロの鍋をネットで売る気にならず、おれは不燃ゴミの袋に入れて表に出した。

 その時だった。



「簡単に捨てやがって」



 低い声が聞こえた。

 辺りを見回したが誰もいない。

「ここだよ」

 声は足元から聞こえる。

「そうだ、お前が捨てた鍋だ」

 鍋が、自己紹介をした。



 仕事の繁忙期と引越しが重なってるとは言え、幻聴まで始まるとは思ってもみなかった。

 知り合いに心療内科でも紹介してもらうか……と思っていたところ、鍋が「おい、幻聴じゃねぇからな」と笑った。


「は?」

「ちょっと早い付喪神とでも考えろ」

「100年使うと化けるってアレか?」

 たった10年かそこらだぞ。ちょっと早いとかじゃない。

「あぁ、今までお前に散々いろんなうまいメシを食わせてやったのに、こんな簡単に捨てるんだな」

「は?調理をしてたのはおれ……」

 そこまで言いかけて、ふと思い当たるフシがある。



 確かにこの鍋は焦げつきが少なかった。

 火加減を間違えたとか、ちょっと長めに目を離しても焦げた事はほぼ無い。

「まさか……お前……」

「フン。今さら遅いわ」

 目の前に灰燼回収車が止まった。伴走してきた作業員たちが手際よくゴミを回収していく。


「覚えていろ、今まで胃袋を支えてやったのにこの仕打ち……恨みはらさでおくべきか……」

 クラシカルな呪詛を吐きながら、鍋は灰燼回収車に放り込まれて曲がり角に消えて行った。



「……はっ」

 立ったまま寝てたのか?挙句に変な夢まで見た。それほど疲れていたなら問題だ。有給でも取ってスパ銭でも行くべきか。……いや、繁忙期だからせめて峠を越えてからにしよう。



 だがその願いは叶わなかった。

 その晩、おれが捨てた鍋が突如としてブラックホールに変化して処理場を飲み込み始めた。

 いや、アレをブラックホールと呼ぶのかは分からない。ただひたすらに、鍋の中へ全てを凝縮していった。



 地獄の炉と化したおれの鍋だったものは、ゆっくりと世界を飲み込みながらそれを食べてくれる何かを探しているようだった。

 そしてそれは、もうおれでは無いことだけが確かだった。

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