第33話 風と共に新たなる地へ
宿場町オルト。
街道の要所であるこの街は、今日もまた、欲と熱気にまみれた旅人たちを飲み込んでいる。
システィアはその空気を懐かしむように一歩先に踏み出し、大きく背伸びをして深呼吸した。
「はぁ〜……やっと着いたぁ! ねぇヴァー君、リアたん、早く宿に行こうよぉ。アタシ、もうヴァー君の匂いに包まれて今日は寝たいわぁ」
システィアはそう言いながら、シルヴァの腕に鼻を擦り寄せる。だが、アリアがムッとした視線を送る。
「あんたは別部屋でしょ」
「あはっ、はぁ〜い」
システィアは笑って少しだけシルヴァから距離を取る。システィアにとって、この二人の間に流れる空気は、何よりも尊く守るべき「至高の光景」であり、そんな二人の間に溝を作るような言動は本意ではない。
ただ、時にはこうやって刺激をして、アリアの言動を引き出すことでシスティアの空腹は少し満たされるのだ。
物足りなさはあるものの、常に満たされていては飽きが来るかもしれないし、胃もたれしてしまうかもしれない。
そのため、今の状況がシスティアにとっては一番よかった。
オルトのギルドで一番と紹介された宿『黄金の蹄亭』の食堂で、アリアは目の前でシルヴァの服の袖をくんくんと嗅いでいるシスティアを見つめ、静かに問いかけた。
「システィア。あなた、出会った時や里での戦いを見る限り、ただの獣族の斥候じゃないわね。その身のこなし……外で何をしていたの?」
システィアは満足げに鼻を離すと、懐から一枚のプレートを取り出し、テーブルに置いた。
「これ、昔アタシがちょっと気まぐれで冒険者ごっこしてた時の名残。今は殆ど出番のないただの板きれだけどね」
置かれたのは、淡く蒼白な光を放つミスリルで出来た幻鋼級の証。
冒険者の頂点である「神鋼級」に次ぐ、人外に足を踏み入れていると言われる領域、少し前までアリアとシルヴァもそのランクだった。
「なるほど、幻鋼級……納得だわ」
「リアの魔法を掻い潜るだけの力があるわけだな」
アリアの淡々とした様子と、出会った時のことを思い返しながら素っ気なく評価するシルヴァ。
普通なら腰を抜かすはずのランクを「及第点」として扱う二人の反応に、システィアは頬を染めて身体を震わせる。
「あはっ……! 全く動じないなんてやっぱりヴァー君もリアたんも最高よ。そんな異次元な二人のそばにいられるなんて、アタシ、幸せすぎておかしくなりそう……! でも、二人の極光の名に恥じないように、アタシもまた上を目指さないとねっ」
システィアは、身をよじるようにして自身の肩を抱いた。
普通、これほどの実力差を見せつければ、相手は萎縮するか、あるいは警戒の色を強めるものだ。
しかし、目の前の二人は違った。彼女が「幻鋼級」であることを、まるで「朝食にパンを食べた」と聞くかのような自然さで受け入れたのだ。
その傲岸不遜とも言える絶対的な強者の余裕。
システィアの瞳は、陶酔しきった熱を帯びて潤んでいく。二人が放つ眩いまでの「格」の高さに、彼女の心臓は、獲物を追い詰めた時よりも激しく、甘い鼓動を刻んでいた。
翌日、アリアはシルヴァを伴い、街の図書館で「スプレンドール」の記述を漁った。だが、一般向けの蔵書には彼女が求める深淵の知識は一片も存在しなかった。
「……やはり、ここには何もないわ。無駄足だったわね」
図書館を出て、アリアは悔しげに唇を噛む。
「どうするんだ?」
「決まっているわ。ヴァリエへ戻る。屋敷に置いてある古代書なら、スプレンドールに関する記載がどこかにあるかも」
そこへ、ギルドから戻ってきたシスティアが合流する。彼女は二人の顔を見るなり、嬉しそうに駆け寄った。
「リアたん、ヴァー君、お待たせ! 面白い話拾ってきたよ。西の“肥沃な大地テラフェルテリス”、その一画に不自然に土地が枯れ果て荒れている場所があるんだって」
システィアは二人の間に割って入るのではなく、少し後ろから二人の肩を抱くように手を置いた。
「リアたんが言っていた魔力を送らないといけなかったっていう場所っぽくない?」
古の森の祭壇からどこかへと転送されていた魔力。
その供給が途絶えている今、供給先は魔力が枯渇しているはず。
それがアリアの推測だった。
「そこが本当にそうだとしたら、スプレンドールの遺跡があるかもしれないわね」
「直接行くのか?」
目的地が定まらないが故に一度ヴァリエへと帰ると言っていたこともあり、シルヴァはアリアに問いかけたが、アリアの答えは変わらなかった。
「どの道、テラフェルテリスは西でしょ? あそこは広いし、ヴァリエ経由でも行けるから、一回マリーに顔を見せてあげたいかな」
“マリー”という第三者の名を耳にしたシスティアは耳をピクピクとひくつかせる。
「あら、二人の仲間って他にもいるの?」
その声には若干の妬ましさを帯びているように聞こえた。
「仲間だけど、屋敷の守護者よ。あとは管理人を任せている幻鋼級冒険者が三人いるわ」
「じゃあ二人と旅に出られるのはアタシだけってことね! よかったー!」
システィアの安堵する様子に首をかしげながら、アリアは僅かに頰を緩める。
こうして純粋に好意を向けられることは好きではないはずなのだが、システィアのものにはあまり抵抗を感じない。
それはシスティアの真っ直ぐな感情表現が織りなす人徳なのかもしれない。
そんな無邪気に笑うシスティアとは対照的に、シルヴァは考えごとをしているかのようで、深刻な顔でアリアへ話しかけた。
「なぁリア。最近、俺の試練のことばかりで、お前の目的が後回しになってる気がするんだが、いいのか?」
「何を考えてるのかと思ったらそんなこと? いいのよ。どこにいるのかわかんないんだし、私達の名を耳にして、便りなり何なりあればいいかなってレベルなんだから。イーストユニオンでは名を轟かせるような出来事はなかったけどね。持ち帰れる成果は転換転送の理の古代書と古き森の壁画の情報くらいかしら」
「その成果はその成果で十分だとは思うけどな」
システィアは、二人の会話を肴にするように、満足げに目を細めた。世界を揺るがすような古代の英知や禁忌の術式を手にしていながら平然とするアリア。そして、彼女の隣で当然のようにその歩幅に合わせるシルヴァ。
やはりこの二人は自分が思う以上の『特別』であると感じ、システィアは自分の指先をそっと唇に当てた。
二人の間にある、誰にも介入できない完成された世界。
それを特等席で眺め、時にはその縁に触れることができる。その幸福感に、彼女の細い尻尾は、服の下で歓喜のダンスを踊るのを止められなかった。
「ヴァー君の言う通りだと思う。不満ならあの魔法のこと、アタシが轟かせてあげようか?」
「ダメ。あの魔法は多分、禁忌認定されるし、研究者達の耳に入れば術式を公開しろと纏わりつかれるだけだわ」
「ふぅん。アタシのリアたんとヴァー君の名声が高まるとは思うんだけどなぁ」
これに関しては名声は度外視だ。
変に纏わりつかれてはただの時間の無駄でしかない。
「いいのよ。名声なんて、これからいくらでも勝手についてくる。私達の旅はそういうものなんだから」
「ふぅ〜! リアたんかっこいいー! しかもアタシはその旅でゆっくり二人の仲睦まじい姿を見られる。一番のご褒美だわ」
「仲睦まじいって、俺らは別にいつも通りに一緒にいるだけで、そこにシスティアが過敏に反応してるだけだろ」
「それがいいのよん。二人にとって特別でないただの一瞬が、二人の幸せを願うアタシには最高の時間なのよ」
「本当、シスの好みはよくわからないわ」
夕暮れに染まるオルトの街並みを、三つの影が長く伸びていく。
先頭を行くアリアの凛とした背中、その少し後ろを、守るように歩くシルヴァの逞しい肩。そして、その二人の足跡を慈しむように、軽やかな足取りで追うシスティア。
これまではアリアとシルヴァ、二人の世界だった。
しかし今、そこには二人の仲睦まじい様子を時に揶揄い、時に聖域のように崇める、風変わりな「観測者」が加わっている。
システィアが放つどこか危うくも真っ直ぐな愛情は、アリアの頑なな心を解き、シルヴァの無自覚な献身に新たな光を当てていた。
「ねぇねぇ、次はテラフェルテリスでしょ? ヴァー君、夜道は怖いから、アタシの手を引いてくれてもいいんだよ?」
「断る。あんた、俺より鼻が利くだろ」
「あはっ、バレちゃった? リアたん、ヴァー君が冷たいのぉ!」
「……勝手についてきなさい。逸れても探さないわよ」
突き放すような言葉とは裏腹に、アリアの歩調は微かに緩められていた。
互いの実力を認め合い、それぞれの目的を胸に抱きながら、三人の絆は奇妙で、けれど確かな形を持って結ばれつつある。
黄金色の夕刻が終わり、星々が瞬き始める空の下、彼らの進む先にはまだ見ぬ混沌と、それを凌駕する輝きが待っている。
それは決して消えることのない極光が、新たな仲間と共に闇を照らし出す物語の序章に過ぎなかった。
ハイエルフの聖女。神獣の加護を持つ男。そして、二人を愛でる幻鋼級の獣族の元里長。
彼らの旅は、単なる知識の探求や知名度の向上から、世界の理を奪い合う熾烈な闘争へと変貌を遂げ、それは運命を自らの手で切り拓く、新たな旅路の始まりだった。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
一旦、これにてアリアとシルヴァの旅は一区切りです。
続きを書いていこうと思いましたが、他の活動と同時並行で進めていくには難しさがあり、ここで区切らせていただきました。(文庫本1冊分の読み切り的に思ってもらえれば幸いです)
ご要望を多数いただけるようでしたら、第4章以降にも手をつけていこうと思っています。




