第30話 刻・生命刻印
「シルヴァ! しっかりしなさい! シルヴァ!!」
アリアは、胸からおびただしい血を流し、倒れ伏したシルヴァを抱きかかえた。
システィアと、その姿を見て即座に動いたカレナの追撃を弾き、里から即座に消えていく襲撃者の男たちの足音。しかし、アリアの意識には、そのすべてが遠い雑音としてしか届いていなかった。
アリアの碧眼は、すぐさまシルヴァの傷口の状態を見つめる。治癒魔法を頭の中で展開し、魔力を流し込む。
しかし、傷は塞がらない。
「そんな……嘘っ!」
治癒魔法は、生が前提となっているからこそ成り立つ魔法だ。
生が前提となっていない、つまり、死が前提となっている状態では治癒魔法をかけてもその効果は現れない。
目の前の現象――シルヴァに死が迫っているという状況を受け入れることが出来ず、アリアは叫んだ。
「ダメ、ダメよ! そんなの許さない!許さないんだから!」
「リアたん……」
そばに戻ってきていたシスティアの声も、里人たちの視線も、すべてがどうでもよかった。アリアの脳内を埋め尽くすのはただ一つ。
シルヴァの命の灯火が、ゆっくりと、しかし確実に消えかけていくという冷酷な事実だけだった。
普段、いかなる困難にも知性で立ち向かい、感情を揺らがせないアリアの頬を、熱い涙が止めどなく流れ落ちる。それは、彼女が「従者」を失うという、この世界における唯一の絶望に直面している証だった。
「シルヴァ……私の……」
絶望の淵で、アリアは震える手を広げた。その時、視界の端に、里の祭壇から持ち帰った古代書の厚い表紙が捉えられた。
――『転換転送の理』。
その瞬間、アリアの魔術師としての才覚、そして思考が、一筋の光明を得る。
転換転送の理は、古き森の原生魔力を現代の魔力と同一なものに転換し、遠く離れた、指定した街へ転送していたものだ。
この世の全てには魔力が備わっている。
空気、植物、動物、人間、そして、その命にも。
命の魔力……すなわち、生命エネルギー。
「できるの? そんなことが。そんな魔術書、読んだことない」
アリアは頭を振りながら弱音を吐く。
しかし、その瞳にはすぐに光が灯った。
「でも原理は同じはず。可能性があるのであれば手を伸ばすしかない」
シルヴァの命を救う。その目的のためならば、禁忌だろうと、自らの命を削ることになろうと構わない。
「私に取れる選択肢は、これしかないのだから……!」
アリアは涙を拭うと、意を決して集中した。最大限の魔力と膨大な生命エネルギーを持っていかれることを想定する必要がある。失敗は許されない。
アリアは頭の中で古代魔法の理論構築を開始し、『転換転送の理』の術式を解体し、組み替えていく。それは、単なる知識の応用ではなく、常識や倫理観を完全に無視した、魔術師としての領域を逸脱した行為だった。
現代魔法は、決められた術式を頭の中で展開し、詠唱によって自身の魔力を世界に献上し、その術式の効果の恩恵を得るものだ。
しかし、古代魔法は違う。
決められた術式があるのは同じだが、献上などという低姿勢なものではない。術式、そして自身の思い描くイメージを詠唱に乗せて世界に刻み込み、強引に事象を発現させる。
発動者の才と意志と魔力が高ければ高いほど、世界に干渉出来ることになる。故に、古代魔法は現代魔法よりも高度で威力が高い。
アリアは今、その古代魔法の理論をもって、自身の生命エネルギーをシルヴァの体へと転送し、彼の失われつつある命の核に刻印するという、新たな術式を展開していた。
「私はハイエルフ。ただでさえ永遠を生きると言われる種族。そんな私の命は、あなたがいない時代に生きる価値はないわ」
血まみれのシルヴァを抱きかかえる。
「帰ってきなさい。勝手に逝かせはしないわよ、あなたは私の従者なのだから――刻・生命刻印!!」
アリアから放たれる膨大な魔力光は、里全体を覆うほどに強烈な輝きを放った。
それは、彼女のハイエルフとしての長命の魔力、そして生命エネルギーそのものである。
光は夕闇を突き破り、やがて収束し、一条の光となってアリアとシルヴァを繋いだ。二人の体が光に包まれ、アリアの頰には汗が流れ、やがてその表情は苦悶に満ちていく。
凄まじい魔力の奔流が流れ終えると、光は一度激しく明滅し、静かに消え去った。
里人たちが呆然と立ち尽くす中、シルヴァの胸の傷は、まだ生々しいものの塞がっており、命の脈動がわずかに安定を取り戻していた。
しかし、その代償はやはり大きかったのか、シルヴァの上に重なるように、アリアもまたぐったりと倒れ込み、その場に意識を失っていた。




