第23話 神獣の試練、傲慢な聖女
神殿前の広場での感動的な承認の儀式を終えたアリアとシルヴァは、新教皇となったヴィンセントの執務室へと招かれていた。
執務室は、先代教皇の時にはあり得なかったらしい山積みの書類で埋め尽くされている。ヴィンセントは教皇就任によって多忙を極めている様子だった。
「アリア殿、シルヴァ殿。本当に、心から感謝する」
ヴィンセントは深く頭を下げた。教皇としての威厳と同時に、一人の人間としての温かさが滲み出ている。
「君たちがいなければ、イルミナは滅び、邪神イグニールが世界を支配していたかもしれなかった。この恩は一生忘れない」
「お礼なんていらないわ。ただ、私は私が知りたかった情報を手に入れたいだけよ」
アリアは豪奢なソファに身を埋めながら、素っ気なく答えた。
ヴィンセントは苦笑し、執務机の奥から厳重に保管されていた二冊の書物を取り出し、アリアに手渡した。
「約束のものだ。これは聖教会に古くから伝わる『聖神ルミナス経典』と、同じかそれよりも更に古い時代に書かれたとされる『古の断片』。古の断片はほとんど判読不可能だが、恐らくはそれが教皇の邪神降臨の儀式に関係するものだ」
アリアはまず、古びた羊皮紙に書かれた『古の断片』を手に取り、目を凝らした。
「ふぅん……文字が掠れて碌に読めないわね。あ、これ……『イグニール』って読めなくもない?」
アリアは微かに読める文字を指でなぞった。
「見方によっては『ルミナス』と見えないこともないか……なるほど。教皇レオナルドは、この古代書に書かれた『神降臨の儀式』の記述を、邪神イグニールの降臨ではなく、聖神ルミナスの降臨だと読み間違えたのね」
アリアは鼻で笑い、書物をテーブルの上に戻した。
「全く、浅はかな愚か者だわ。よりによって邪神に関するものと聖典を読み間違えるなんて。そのせいでこの国が滅びかけた。本当に馬鹿馬鹿しい」
シルヴァは教皇の最期を思い、複雑な表情を浮かべた。教皇は少なからずルミナスの降臨を望んでいた。
しかし、その想いに恐らくは私欲――アリアとシルヴァ、ヴィンセントを許せないというノイズが入ったせいで書物の内容を誤認し、悲劇を生んだのだ。
「まぁ……愚か者は愚か者か」
何を言っているのかとアリアはシルヴァをチラリと見るとすぐにもう一冊の書物に目を移す。
次にアリアは、分厚い羊皮紙で装丁された『聖神ルミナス経典』を開いた。経典の奥深いページには、聖教会の歴史から抹消されたような、獣憑きに関する記述が残されていた。
アリアがそれを読み上げる。
「……獣憑きは、獣人を喰って呪いを受けたものではない。それは、神獣の試練を与えられた者が、その途方もない力と苦痛に耐えきれなくなった時に、自我を失い暴走した姿である。しかし、その試練を乗り越え、力を我が物とした時、その者は『聖者』として絶大な力を有し、『世界を救う存在』の守護者として、永遠に生き続ける」
読み終えたアリアは、静かに経典を閉じた。
「……世界を救う存在、か」
ヴィンセントが口を開き、アリアを見遣る。
シルヴァも隣に座るアリアの顔を見つめながら、その言葉を噛み締めるように反芻し、呟いた。
「それは……リアってことか?」
二人の言葉に、アリアは不機嫌そうに顔を顰めた。
「やめてよ、世界を救うなんて柄じゃないわ。私にそんな大層な使命感はないもの」
アリアは目を細めて、傲慢さを漂わせながらさらりと素直な気持ちを口にした。
「私は、私が救いたいと思う人しか救わないの。私の知的好奇心を満たしてくれる場所や、私が大切にしたいと思う人や物だけをね」
その言葉を聞いたシルヴァとヴィンセントは、顔を見合わせて静かに微笑んだ。
なぜなら、アリアの言う「私が救いたい人」の中に、彼ら自身が含まれていたことを、二人は知っていたからだ。彼女のそのエゴイスティックなまでの愛と傲慢さが、この国を救ったのだ。
「ともかく、獣憑きに関する情報が得られたのは大きいわ」
アリアは経典をヴィンセントに返すと立ち上がった。
「シルヴァが『神獣の試練』を受けていることは判明した。けれど、試練を完全に乗り越えたわけではない。真獣化から自力で戻れていない時点で、その不安定さは獣憑きに堕ちる可能性を秘めている。油断はできないわ」
シルヴァも真剣な面持ちで頷いた。
「この試練を完全に乗り越えることが、俺の目標だ。リアのためにも」
「うん、楽しみにしてる。じゃあひとまずヴァリエに帰ろっか。マリーが寂しがってるはずよ」
思いの外あっさりとルミナスを離れる決断をしたアリアにヴィンセントは寂しそうに答える。
「そうか、もう旅立ってしまうのか」
「必要なものは手に入れたもの。私は私の目的と相棒と研究を優先するわ」
その瞳は決意に満ちており、引き留められるものではないと感じたヴィンセントは、シルヴァとアリアに向き直り、深々と頭を下げた。
「この神聖国ルミナスは、永遠に君たちの味方だ。私は、この国の歴史書に極光の聖女アリアと極光の牙シルヴァの名前を刻むことを約束しよう」
ヴィンセントは二人に手を差し出す。
「また会える日を楽しみにしている。いつか、試練を乗り越えた姿を見せてくれ。そして、いつでもこのルミナスに戻ってきてくれ。心から歓迎する」
ヴィンセントは友としての誼を込めて、力強くシルヴァの手を握った。新教皇として多くの責任を負うことになっても、彼らの存在がヴィンセントにとってどれほど大きな支えとなったかを物語っている。
「良いパトロンが出来たわね」
アリアはその様子を横目に見て悪戯っぽく笑った。
「ったくリア……」
「ハハハッ! 構わない。君達のためにならいくらでも支援することを約束しよう」
ヴィンセントは豪快に笑い飛ばしたが、その目には真剣な光が宿っていた。
「バカね、冗談よ」
アリアはフッと微笑む。その笑顔は、執務室に入ってから初めて見せる、心からの穏やかなものだった。
「わかっているさ。君は金の亡者ではなく、ただの傲慢な聖女なのだから」
「言ってくれるわね。じゃあ傲慢ついでに、ちゃんと私達の宣伝、よろしくね」
「あぁ、しかと承った。彫像も建てよう」
「別にそこまでしなくてもいいわよ」
「世話になったな、ヴィンス。困ったことがあったら呼んでくれ。ヴァリエの俺達の屋敷には常に誰かいるから」
シルヴァは最後にヴィンセントと再び固く握手を交わす。
ルミナスの救世主という名を背負い、二人はヴィンセントの執務室を後にするのだった。
街中を歩く二人を見送る視線の数々は、今まで感じたことないものだった。
英雄だ聖女だともてはやされるのはむず痒い想いだったが、悪い気はしなかった。
アリアはシルヴァにこの空気を感じさせることが出来たことが何より嬉しかった。
どこか諦めたように、出会った時は死すら受け入れようとしていたシルヴァが照れ臭そうに笑っている。
最初はただの興味本位だった。
獣憑きと呼ばれる存在。
その謎を検証したくて行動を共にさせたことがシルヴァとの出会いだった。
「あ!」
「どうした?」
思い出を振り返っていて、アリアはとんでもない忘れものをしていることに気がついた。
何故アリアがシルヴァの力を抑えられるのか。
そのことを調べることをすっかり忘れていた。
だが、あんな別れ方をしておいて今更戻るのも恥ずかしい。
またいつでも来ればいい。ヴィンセントもそう言ってくれていた。どこにも手掛かりがないのであればまた来ればいい。
今は自分が聖女だから、と割り切ろう。
シルヴァと共に居続けることは変わらないのだから。
不思議そうにアリアの顔を見つめるシルヴァに、アリアは微笑み返す。
「なんでもないわ。良い国だったわね、ルミナス」
小高い丘からルミナスを振り返る。
街の中心は復興の最中にあるのが遠目で見てもわかるが、その様子は活気に満ちている。
「あぁ、初めて友と呼べる者もできたしな」
「あら、じゃあ私は?」
「お前は俺の主だろ」
真顔で即答するシルヴァにアリアの笑顔が引き攣る。
「バカ。どうやってその姿に戻ったのか思い出せっ」
不満そうにシルヴァの肩を小突くも、記憶が朧げなシルヴァは真剣に頭を悩ます。
神聖国ルミナスの喧騒は、そんな二人を温かく見送っていた。




