第16話 聖なる闇と裏切りの盟約
聖光特区、大神殿の最奥に位置する教皇庁。
そこは光の国の聖教会の支配者が執務を執る、最も神聖で権威ある場所だ。
教皇レオナルド・アポロンのデスクの上には、大会終了後にばら撒かれた一枚のチラシが置かれていた。
それは、アリアが優勝した神聖魔法大会とシルヴァが優勝した戦技大会の結果を伝えるものだったが、その見出しは教皇の逆鱗に触れる内容だった。
「二大大会、制するは極光。神獣の加護を有する牙、聖女を護る」
教皇はそのチラシを骨が軋むほどの力で握りつぶした。
「許さん……! 断じて許さん! 獣が人の上に立ち、神の代行者であるこの私を侮辱するなど、あってはならぬ!」
教皇の顔は、その荘厳なローブに不釣り合いなほど怒りで歪んでいた。彼の信じる教義では、人型の神こそが絶対の頂点であり、神獣などただの獣で獣憑きは忌み嫌うべき穢れでしかない。
にもかかわらず、その獣憑きが「神獣の加護」という教義の根幹を揺るがす称号を冠して、聖域で勝利を収めたのだ。
「レオナルド猊下、どうかお気を静めてください」
教皇の傍らに控えていた枢機卿の一人、シャムロック・ゴドウィンが恭しく頭を下げた。
彼は教皇の寵愛厚い保守派の重鎮である。顔に貼り付いた薄っぺらい笑顔は、教皇のご機嫌取りに徹している証拠だった。
「なんとかしてみせます。あの獣憑きと、彼を従える傲慢な女、アリア・ヴィルミリア。このまま放置すれば、世論が彼らに傾き、我らが長きにわたり守り抜いてきた教義の根幹が崩壊します」
シャムロックはチラシを指差し、言葉を続けた。
「彼らはすでに我らの『敵』です。教義と秩序を守るため、早急かつ断固たる措置を取るべきかと」
教皇の目が、狂気に満ちた光を帯びる。
「……よかろう、シャムロック。お前に任せる。あの獣憑きと魔女を、この世から消し去れ。速やかに。獣が人の上に立つことなど、あってはならないのだ」
「御意に」
シャムロックは深く頭を下げ、その口元に冷酷な笑みを浮かべた。
◇◇◇
聖光特区の宿に戻ったアリアとシルヴァは、大会での出来事を分析していた。
シルヴァは窓から外の喧騒に耳を澄ませている。
すでに街は「極光の聖女」と「神獣の加護持ち」の話題で持ちきりだった。
「卑怯な手を使った聖騎士隊長を、枢機卿ヴィンセントが公の場で捕えさせた。あれは演出よ、シルヴァ」
アリアは、お茶を啜りながら静かに言った。
「演出? 騎士がお前を襲ったことが?」
「いいえ。あの聖騎士は教皇庁の保守派なんだと思うわ。この国にも差別があることがそれを表している。あなたを排除するために、あの場で卑劣な手段を選んだ。それが正義だと疑わず。だけど、ヴィンセントはそれを公衆の面前で断罪することで『差別を是としない高潔な者がいる』という印象を観衆に与えた。同時に、教皇庁上層部の神経を逆撫ですることにも成功したはずよ」
「ただのちゃんとした奴じゃないのか?」
「ちゃんとした奴ってのは間違いじゃないわ。でもあの目、何か企んでる」
アリアは聖教会の上層部では何かが衝突していることを確信していた。獣憑きと呼ばれるシルヴァが神獣の加護持ちと言われること、それは彼らの教義にとってあってはならないことなのだろう。
「彼らにとって私たちは、教義の根幹を崩壊させる『毒』。ヴィンセントは、その『毒』を利用したいと考えたのでしょうね」
「ヴィンセントが俺たちの味方だと?」
「どうでしょうね。ただ彼はあの場で、私たちを庇うことで自身の支持基盤を固めたのは間違いないわ。私の見立てが間違いじゃないのなら、何かしらの接触があるは――」
「何の用だ?」
「え?」
窓に寄りかかっていたシルヴァは、部屋の扉に鋭い言葉を飛ばした。
シルヴァの視線を追うように、アリアも扉に目を向ける。
すると扉の下から紙が差し込まれる。
シルヴァは咄嗟に扉を開くが、そこにはすでに誰の姿もなかった。
「ほら。私ってやっぱり天才?」
嬉しそうに口元を緩めながら、指先で摘んだ紙をひらひらとシルヴァの前にぶら下げる。
それは、聖光特区内にあるヴィンセント枢機卿の屋敷への道のりと、待ち合わせの時刻が記された招待状だった。
「罠かもしれないぞ」
シルヴァが剣に手をやりながら警戒する。
「そうね。でも、行かなければ何も始まらないわ。大司教に会うことが最初の目的だったけど、思わぬ大物が釣れたわ。枢機卿なら属性鑑定も出来るでしょうし、行かないという選択肢はないわ」
アリアは招待状を懐にしまうと、いつもの自信に満ちた笑みを浮かべた。
「行くわよ、シルヴァ。まずはあなたが獣憑きじゃないってことを証明するわ」
「っておい、時間は!?」
「そんなの関係ないわ、向こうもこちらの都合を無視してメモを置いていった。ならこちらも都合を無視させてもらいましょ」
「……どういう理屈だよ」
竜鱗革の外套を羽織り、シルヴァの分を手渡すとそのまま部屋を出ていくアリアをシルヴァは慌てて追いかけた。
アリアとシルヴァはメモに記載された道のりを歩き、豪華ながらも簡素で、ヴィンセントの清廉な人柄を感じさせる屋敷へと辿り着く。
「ようこそ、アリア殿、シルヴァ殿。お早いお越しだな」
屋敷から出てくると、ヴィンセントは枢機卿という肩書に相応しい威厳を持ちながらも、友人を迎えるような穏やかな笑顔で二人を出迎えた。
「こんなチャンス逃したくなくて、時間を無視して来たことはお詫びするわ。さぁ、話を聞かせて貰おうかしら」
「そんなに焦らずともまだ夕刻だ。時間はたっぷりある。まずは入ってくれたまえ」
アリアが一歩踏み出そうとするのをシルヴァが肩に手を置いて止めると、先に踏み出した。
「リアに危害が及ぶようなら、枢機卿だろうと容赦はしない」
その力強い翠色の瞳を見つめ、ヴィンセントは笑みを深める。
「あぁ、構わない。私は君達に一切の危害を加えないと約束しよう」
応接の間へ案内されると、ヴィンセントはまず、昨日の聖騎士の無礼について、深く頭を下げて謝罪した。
「私の監督不行きだ。しかし、君達も察していると思うが、聖教会の腐敗は末端まで及んでいる。特に、教皇猊下とシャムロック枢機卿を中心とする保守派は、教義を歪曲し、真実から目を背けている」
ヴィンセントは表情を引き締める。
「彼らは『人型の神こそが唯一の頂点であり、獣が神聖な力を有するなど、教義を根底から揺るがす冒涜である』と固く信じている。経典の真実すらも隠して」
「経典の真実?」
「君達、特にシルヴァ殿の『神獣の加護』の存在は、彼らにとって最も恐ろしい真実なのだよ」
「どういうことよ、ちゃんとわかりやすく話しなさい」
アリアは冷めた目でヴィンセントを見つめた。
そして、唐突にそれは突きつけられる。
「シルヴァ殿のその力の真実、それは本当に神獣の加護ということさ」
「えっ!?」
「リア、やったな! 流石だ!」
アリアの言葉が間違ってなかったことに喜ぶシルヴァ。しかし、アリアは驚きながらも、そんなシルヴァを手で制止する。
「証明できる? 私は属性鑑定でシルヴァが闇属性でないことを証明したかった。経典も、見せてもらうわよ?」
「あぁ、もちろん。経典に記載されていることも開示しよう。それに私も“聖者”に会ったことはないから、本当にシルヴァ殿が“聖者”かどうか、属性鑑定をするつもりだった」
「“聖者”?」
「いわゆる加護持ちや祝福持ちなどのことさ。一般的な言葉ではないが、秘匿された経典にはそう書かれている」
情報量が多過ぎる。
いや、求めていたものが急に目の前に提示されて思考が止まっているのかもしれない。
アリアは深く一息つくと、思考を整理した。
「それで? 私たちにどうしろと?」
「さすが極光の聖女様だ」
「どういうことだ?」
状況がわかっていないシルヴァは、アリアとヴィンセントの顔を交互に見遣る。
そんなシルヴァへの助け舟として、アリアが補足した。
「ここで属性鑑定をしてシルヴァの加護持ちが証明されて、私達がはいじゃあねとなっても、得をしたのは私達だけ。それに見合う対価をよこせと言っているのよ」
「私は聖教会の真実を取り戻したいだけだ。神獣の加護が真実であるなら、それを認め、人々が獣憑きを忌避する歪んだ思想を正さなければならない。そのためには私自身が教皇となる必要がある。教皇の持つ秘匿された経典を手にし、教会の頂点から真実を宣言する必要がある」
ヴィンセントはアリアとシルヴァを交互に見つめた。
「君達『極光』の目的は、シルヴァ殿の真実の証明。私の目的は真実に基づく教義の是正。その二つの目的は、『神獣の真実を表に出すこと』という一点で完全に一致している」
「いいわ、手伝ってあげる。ヴィンセント枢機卿、あなたの教皇狩りをね」
「ヴィンスでいい」
アリアは不敵で最高な笑みを浮かべながらヴィンセントと握手を交わす。
なにせそこには『名を知れ渡らせる』というアリアの目的も含まれているのだから。
「それで、あるんでしょうね? 教皇を引き摺り下ろす策は」
「あぁ、それは――」
極光と枢機卿による、教皇狩りが始まる。




