第13話 禁じられた力
聖光特区の境界付近で確保した宿の一室。
アリアはテーブルの上にイルミナの地図を広げていた。
外では、聖都独特の荘厳な鐘の音が時折響いている。
「大司教に直接会う。これが最短の道よ」
アリアは大司教が教会内でどれほど厳重に守られているか、そして獣憑きという存在を教義上、いかに避けているかを改めて確認した。
直接謁見を求めるのは、神鋼級という立場をもってしても、不可能に近い。
「正面から門を叩いても、無駄ということか」
シルヴァが、アリアの差し出した大司教の肖像画に目をやりながら言った。
「ええ。それに、彼とプライベートで接触しようとしても、ほぼ間違いなく聖光特区よ。ハッタリや騙くらかしは通じない」
アリアは窓の外、白く輝く特区の境界をちらりと見た。看破の魔法が充満するあのエリアでは、自分の言葉として発することが許されるのは真実のみであり、虚飾は許されない。
「なら、どうするんだ?」
シルヴァは純粋な信頼の眼差しをアリアに向けた。
アリアはしばし思案した後、地図上の記号を指差した。それは闘技場だ。
「正面が無理なら、彼がこちらに来る場所を作ればいい」
アリアが指差したのは、年に一度、盛大な公の行事が開催される場所だった。
一つは、光属性の魔法使いがその力を披露する『神聖魔法大会』。
もう一つは、魔法使いや戦士、冒険者たちが純粋な『強さ』を競い合う『戦技大会』。
「これよ。この二つの大会には、枢機卿を含む大司教以上の高位聖職者が必ず臨席する。この公の場で、獣憑きという噂を超越した『実力』を見せつければ上層部の連中の目に留まる」
シルヴァは腕を組んだ。
「俺とリアが同時に目立てる場ということか」
「その通り。シルヴァ、あなたの役割は『戦技大会』よ。圧倒的な強さを見せつけて、神鋼級の中でも突出した存在だと認識させる」
アリアは、光属性を扱えるハイエルフという立場を利用して『神聖魔法大会』に出場し、光属性の能力者として最大限の尊敬を集める役割を担う。そして、その従者であるシルヴァに注目を集めさせる。
「ただ、一つ制約があるわ」
アリアは真剣な眼差しで、シルヴァの翠色の瞳を見つめた。
「シルヴァ。あなたは戦技大会で決して瞳の色を変えちゃダメよ」
シルヴァの本来の瞳の色は翠眼。しかし、その力を行使する際、彼の瞳は「獣憑きの証」と噂される黄金の輝きを放つ。
「一対一の対人戦闘なら、問題ないと自負している」
「リスクを無視してはダメ。強敵が来たことを考えなさい」
「そうは言ってもな…ヤバいと思って力を入れると出ちまうし、一度出したら後は緩急は別にして歯止めが効かないからな」
金色の瞳や牙、爪を見せずに、圧倒的な力で勝利する。
獣憑きではない証明にはならないが、聖教会上層にはシルヴァの名を刻めるはずだ。
そうすれば、コンタクトも取りやすい。
だが、当の本人がこの調子だ。
アリアがそばにいなくても力の発現を抑えることが必要だった。
「あ。危なくなったらこの間のリッチの時のアリア特製の聖水を飲めばいいんじゃないか?」
ヴァリエ近郊の嘆きの森の先の遺跡で戦ったリッチ。
その時、我を忘れかけたシルヴァに浴びせた聖水のことを言っているのだ。
「あれは……」
あれはアリアの血を聖水で限りなく薄めたものだ。
実はシルヴァにはそれを言っていない。
「どうした? あれがあれば抑えられるだろ?」
「……怒らない?」
「何がだ?」
何が何だかわからないと、シルヴァは眉間に皺を寄せる。
いつまでも黙っているわけにはいかない。
いつか白状しなければならないのなら、あの聖水が話題の矛先になっているこの瞬間しかなかった。
「ごめんなさい。あれにはね、実は、私の血が入ってるの」
「あぁ、知ってるぞ?」
「え!? 気付いてたの?」
シルヴァの想定外の回答にアリアは動揺して声が大きくなる。
「俺の嗅覚を舐めすぎだろ」
「そんな……というか、嫌じゃないの? 見た目わからないくらい薄まっていても、血を浴びたり、ましてや飲むなんて気持ち悪いとか――」
「俺はリアに救われている。そんなリアの血を気持ち悪いものなんて思うわけがない」
そう言い切るシルヴァの瞳は、普段通りの優しい翠色で、そこに嘘はないようだったが、急に焦ったように言葉を付け足す。
「あ、いや、でもやっぱり血はダメだな」
「そう……よね。ごめんなさい」
シュンとするアリアを見てシルヴァは焦ったようにアリアのそばに寄って膝をつく。
「違う、気持ち悪いわけじゃない。ただ、俺のためにリアの血を流させることが俺は嫌なんだ。血を流すってことは、身体を傷つけるってことだろ。そんなん許せるわけがない。だから、血じゃなければいいんだ」
確かにあの聖水を作るのに、アリアは指先をナイフで切らねばならない。
だが、傷は小さなものだし、気にするほどのことでもないが、シルヴァの様子はそれすらも避けたいと思っているようだった。
「血じゃないもの……?」
確かに、アリアを構成するものであれば恐らくは何でも効く。
だが、アリアに思いつくものは血しかなかった。
「そうだな。唾液とか?」
「え、それは私が嫌かも」
何を言っているんだと、アリアは冷ややかな目を向けて即答する。
「うぐ……だが、髪の毛は口の中で絡まりそうだから食いたくはないな」
「私もあなたが私の髪の毛を食べてる姿は見たくないわよ」
「そうすると、あとは……いや、やめとこう。やっぱり唾液が一番理想的だ」
シルヴァは頭をかきながら、目を逸らして口を噤む。
意図的な隠し事が下手な男だが、そこがまたアリアの気に入っているところであった。
しかし、今はそういう話ではない。
「何よ、他に候補があるなら言いなさい」
「いや、絶対怒るから言わない」
「あなたの主の命令よ、怒らないから言いなさい」
「ぐ……そりゃズルいだろ。言いたくない」
頑なに拒絶をするシルヴァにアリアは最後の手段を使った。
「あなたの忠誠はそんなものだったのね、残念だわ」
シルヴァの忠誠心を煽る。
これは本当に言うことを聞いてほしい時だけに使うべき切り札だった。
「あぁもう! 怒るなよ?」
「だから怒らないわよ! 早く言いなさい」
観念したようにシルヴァはアリアの目を見つめると、
「……小――いや、えっと、リアの聖水」
「は?」
今まさに聖水の話をしていて何を混ぜるかという話をしているのに、そこにアリアの聖水が候補と言われてアリアは思考が一瞬止まる。
しかし、シルヴァの言いづらそうな仕草や言い切ったあとの恥じらう表情で、それが何なのか察しがついた。
「言い方が気持ち悪い!」
流石にアリアは手が出てしまうのだった。
「……ほら、怒ったじゃないか」
「血よ、血で決定!」
「む……それは……」
「何でもかんでも受け入れ過ぎ! どういう神経してんのよ」
「だから、俺はリアのだったら――」
「だぁー! バカ!」
アリアは顔を真っ赤にしてシルヴァの腕を叩いた。
彼が自分を救うためとはいえ、自分の一部を求めるその狂信的なまでの忠誠心に、愛おしさと同時に焦燥を覚える。
しかし、それは今、議論すべきことではない。
嘘やハッタリが通用しない以上、シルヴァの自己抑制こそが鍵なのだ。
アリアは乱れた呼吸を整え、意を決して立ち上がった。
「次は真面目な話。準備を整えなさい」
アリアは窓から外を見た。宿の数メートル先が、白い大理石の特区の境界線だ。
アリアは外套をまとい、その境界線へと向かった。シルヴァは不思議な顔をしてアリアを見守る。
境界線に足を一歩踏み入れると、アリアは小さな呼吸をした。
看破の魔法の魔力が充満している。ここでは何一つ飾れない、嘘もつけない。
そのことを確かめるのだ。
「私はハイエルフ、私はクロノスフィアの叡智の一部を手にしている、その全てを手に入れれば私はか――」
神になると言おうとしたが、言葉が出ない。シルヴァを振り返り、促す。
「俺はリアの最強の剣となる、俺はリアのことなんか大き――なるほど、これは中々面白い魔法だな」
シルヴァは口元をさすりながら、魔法の効果に感心している。
そして次の一言にアリアは驚きを隠せなかった。
「俺は神獣の加護持ちである」
「は!? なんで!?」
嘘やハッタリが言えなくなる。
それが看破の魔法だ。
なのにシルヴァは平気な顔をしている。
「私のシルヴァは加護――くっ! 何でよ!」
シルヴァは言えるのにアリアは言えない。
ここに突破口がある。
アリアは事態が飲み込めないながらも、そう感じたのだった。




