血の色より深い影
日曜日お休みさせていただきました。
今日からまた更新します。
その日は皮肉にも雲ひとつない晴天だった。
施設内部を巡回している最中、古い機材がかすかな唸りを上げた。
次の瞬間、金属片が弾け、薄い煙が立ち上る。
「セレスティア様!」
護衛の一人が身を投げ出し、彼女を覆うようにして衝撃から守った。
幸い爆発は小規模で、誰ひとり命を落とすことはなかった。
しかしセレスティアの腕には、鋭い破片による切り傷が走っていた。
血が薄く伝った。
袖が裂け、細いラインを描いて血がにじみ出た。
だが彼女は眉ひとつ動かさなかった。
「......止血用の布を。」
セレスティアは淡々と告げ、左手で右腕を押さえる。
護衛たちは動揺し、現場の責任者は顔面蒼白になる。
「セレスティア様、いったん退避を――」
「必要ありません。状況を確認しなければ対処はできないわ。」
そう短く言い切った。
声は冷静だったが、その静けさが逆に周囲を震わせた。
止血しながら、彼女は改めて周囲の安全確認を指示し、事故の原因を解析する技術者を呼んだ。
――これは、本当に事故なのかしら?
そう胸の奥で呟いたとき、セレスティアは袖の下で血がゆっくりと乾いていく感触を感じた。
セレスティアが負傷した、という知らせは、政庁の別室で資料を整理していたマルセロのもとへ届けられた。
「......負傷、だと?」
報告役の側近が息を呑む。
マルセロは書類を机の上へ静かに置いた。
マルセロの声は静かだった。
いつもより、あまりにも。
机の影がひどく濃く見えるほどだった。
「腕を切った程度との情報です。護衛が数名軽傷で――」
「......誰に許可を得て、彼女を傷つけた?」
声は低かったが、刃のように研ぎ澄まされていた。
側近たちは一瞬、呼吸を忘れた。
怒鳴り声などではない。
むしろ静かなほど冷酷で、背筋に走る寒気は、怒声より遥かに鋭かった。
マルセロは席を立つ。
その目は、張り詰めた暗闇のようだった。
「裏の連絡網をすべて動かせ。事故ではない可能性がある。」
「しかし証拠が――」
「証拠がなければ作る。動機がなければ暴く。......一体誰なのだ。彼女を狙ったのは。」
淡々とした口調のまま、しかしひとつひとつの言葉が重かった。
側近はすぐさま動き出した。
マルセロは窓際に立ち、遠くを見つめる。
あのとき、彼女が自分を拒絶するような目をした理由。
自分から距離を置こうとした理由。
理解しているつもりだった。
だからこそ、近づき過ぎないと決めた。
なのに......
(......そんな時に限って、なぜあなたは傷つくのですか、セレスティア。)
マルセロの胸の奥に、抑えきれない感情が渦を巻いた。
理性にかけていた重石が、ひとつ外れるような感覚がした。
政庁に戻ったセレスティアは、報告書を片付けるように執務室へ向かった。
「セレスティア様、本日は休まれたほうが――」
「必要ないわ。予定通り処理する。」
侍女の心配を切り捨てて、いつも通り机に向かった。
腕の傷はすでに包帯で覆われていた。痛みはあるが、意識するほどではなかった。
淡々と書類に目を通しながら、彼女はふと手を止めた。
視察中に護衛が動揺したとき。
自分の袖から血が落ちたとき。
その瞬間に、なぜか脳裏に浮かんだ顔があった。
......マルセロ。
今日の彼は視察に同行していない。
会っていないはずだった。
それなのに、あの一瞬で思い出したのは、
以前、衝突事故が起こったときの彼の顔――
あの、抑えきれないほど苦しげな、怒りにも似た表情。
どうして......あんな顔をするのかしら?
腕の傷の痛みより、その記憶が胸を刺した。
書類に集中しようとしても、ふとした拍子に彼の声が蘇った。
『あなたが傷つくことを、私は許さない。』
そんな言葉、彼は言っていない。
それでも、あの表情がそう語っていた。
「……馬鹿げているわ。」
誰に聞かせるでもなく呟き、顔を伏せた。
しかし胸の奥で、何かがわずかに揺れた。
それは痛みでも恐怖でもない。
もっと静かで、もっと厄介な――
すぐには認めたくない種類の感情だった。
深夜。
執務室の重い扉が閉じられると同時に、ようやく彼女は小さく息を漏らした。
......会わないほうがいいのに。
でも、なぜあなたの顔が、こんなに離れないの?
初めて、セレスティアはその問いから逃げられなかった。
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