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沈黙と覚悟の境界線

 セレスティアのもとに手紙が届いた。マルセロからの手紙だった。

 これからも隣に立ちたい、危険から守りたい。

 そんなものだった。


 セレスティアはわからなかった、自分の考えすらわからなかった。

 でもマルセロに会いたくないわけでもなかった。

 だけど、“状況がそうさせるなら”、会うしかないでしょう。

 マルセロは自分のことを追いかけてくるが、嫌ではなかったのかもしれない。


 だからセレスティアは手紙を書いた。


「追うかどうか決めるのはあなた。でも、逃げるかどうか決めるのはわたくし。それでもわたくしに会いたいなら、覚悟を見せて頂戴。」


 一文字一文字、自分の気持ちを手紙に綴った。


 自分の心が乱されるのは怖い、情報員としての自分が許せない。


 でも、大丈夫。主導権はいつでも自分のもとにあるから。



 深夜。

 ランプの炎が揺れたとき、

 扉の下に“静かに滑り込む”封筒があった。

 差出人の名は、ない。

 

 けれどマルセロはわかっていた。その沈黙こそが、セレスティアの署名だった。

 マルセロは触れる前から、

 それがセレスティアからの手紙だと。


 封を切る手が、わずかに止まった。

 セレスティアが送ってくるということは、“会わない”という距離さえ、彼女の意思で管理しているという証だ。


 手紙を開いた瞬間、空気がわずかに冷たくなった。


「追うかどうか決めるのはあなた。でも、逃げるかどうか決めるのはわたくし。それでもわたくしに会いたいなら、覚悟を見せて頂戴。」


 読み終えたあと、マルセロはしばらく動かなかった。

 怒りでもなく、困惑でもなく、

 ただ――セレスティアに完全に主導権を握られた事実が、胸に深く刺さっていた。

 その事実も、嫌ではない。


 会わない女ほど手に入れたくなる。これは諜報の法則でもあるし、恋の法則でもある。


 マルセロはゆっくりと息を吐いた。


「覚悟、か。 どちらが試されているのか、分かっているのだろうな。」


 炎の灯りに照らされた横顔は、

 これまでにないほど静かで、危険だった。


 追うかどうか......ではない。

 もうすでに追っていた。

 セレスティアのたった一通の手紙で、彼は逃げ道を失った。

 ただし、彼女の望む“覚悟”が何かは分からない。

  だからこそ、彼はひとつだけ決める。


 ――セレスティアの条件を、必ず読み解き、必ず応える。


 それ以外は、ない。


「逃がす気は、ない。」


 マルセロはセレスティアからの手紙は何度も読み返した。机に置き、また手に取り、炎にかざして光に透かした。


 でも手紙はそれっきりだった、届かないどころか、セレスティアの気配さえ掴めなかった。


 沈黙は暗闇より強い。脳裏にセレスティアの声が残って離れない。


「追うかどうか決めるのはあなた。でも、逃げるかどうか決めるのはわたくし。」


 この言葉が、彼の胸を締め付けた。


 追いたい。


 だが、追えば追うほど、セレスティアが逃げる恐怖があった。

 そんな矛盾を仕込んだのもセレスティア。

 だからこそ、マルセロの理性は、静かに限界を迎えた。


 机が静かに倒れて、椅子が壁に当たり、マルセロの呼吸が乱れる。


 怒りではない。

 不安でもない。

 渇望だ。


 欲しくて、届かなくて、追いたくて、逃げられて、理解できるけど傷ついて、それでも惹かれて......

 もうセレスティアなしで思考できない。


 手紙を胸に押し当て、マルセロはかすれる声で呟いた。

「......沈黙か。本当に......俺の心をかき乱すのが上手い。」


 セレスティアの沈黙は、マルセロにとって最大の刺激であり、最大の罰であり、最大の誘惑になった。

 そしてついに、彼は決意した。


 ここは誰もが恐れる場所だ。

 仲間の情報、任務の秘密、そして、追うべき人間の“全記録”が眠っている。

 セレスティアのファイルも当然ここにある。


 触れてはならない。

 開けてはならない。

 それはルールであり、倫理であり、彼女への礼儀だった。


 マルセロはずっと守ってきた。

 でも、今夜は違う。

 マルセロは記録室の前に立ち、

  長く深い息を吐く。


「......沈黙の意味を知るには、もうここを開けるしかない。」


 彼女が沈黙しているのは、「本気なら来てみなさい」という試験。


 そう思えてしまった。

 いや、違うと分かっていても、

 そう思うしか耐えられなかった。


 そして、彼はついに “禁忌” に触れた。

 彼自身も迷う。それでも、彼女の沈黙の意味を理解するためには、情報が必要だった。


 マルセロは奥へ進み、鍵付きの棚を開いた。

 そこに、封のされたセレスティアの記録が眠っていた。

 手を伸ばす前に、一瞬だけ目を閉じる。

 セレスティアがこの行為を知ったらどう思うか。

  失望するか。

  呆れるか。

  それとも......


 そこまで考えてしまう自分が、彼女にどう見えるだろうか。

 

 彼の指は確実に前へ進んだ。

 ファイルは手の中に落ちた。





最後まで読んでいただきありがとうございます!

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