20. 嫌われている、はずだった
ドキドキ? バクバク? とにかく今、私の心臓が大変なことになっている。
私を抱きしめているのは、ライオネル様。
そして、先程からどこをどう聞いても私への“愛の言葉”が炸裂している。
(好き……ってどういうこと?)
ライオネル様は私のことを嫌っていたはずなのに───
これは冗談? なんて思ったりもしてしまった。
……でも、頭ではちゃんと違うと分かっている。
だって私はまだ殿下の側妃。
堅物なライオネル様は冗談でこんなリスクの高いことは口にしない。
「───……っ」
そう考えたら私の頬がますます熱を持つ。
何か言わなくちゃ、と思っていても混乱の方が大きくて上手く言葉が出ない。
それでも何とか絞り出して私のこと嫌いだったわよね? と聞いたら大真面目に肯定するような言葉を口にするライオネル様。
(なんてバカ正直な人……)
そう思ったら今度は笑いが込み上げてきた。
───好き。
私も……あなたが好き。
口を開けば言い合いになることも多いけど。
呆れた顔をしながらもあなたは……あなただけは“私”を見てくれている。
なんだかんだで私を助けてくれて、私のことを心配してくれて……
それは特別なことじゃないかもしれない。
それでも、私にとってはすごく意味のあること。
────エドゥイナ。貴女は男性に頼って生きることだけが幸せではないと言いました
────でも、俺は貴女に頼られたい
────これから先、貴女が困難に差し掛かった時───エドゥイナ、いつだって貴女に手を差し伸べて助けるのは俺でありたいんです
「……っ」
(こんなタイミングで“エドゥイナ”と呼ぶのはずるい)
そんなずるい男……ライオネル様が私に手を差し出している。
────俺は貴女が困った時、真っ先に思い浮かべてもらえる男になりたい
(そんなの……もうとっくにあなたよ?)
すでに何度も助けられていて、私の頭の中に浮かぶ顔はいつだってライオネル様───あなた。
全部、全部あなた。
そう告げたい。
そうしたらあなたはどんな顔をする?
堅物なその顔を崩して笑ってくれるのかしら?
けれど……
──……
「分かっています、の? …………今、ここでわたくしがあなたの手を取ったら」
「うん?」
「こ、これまであなたが築いて来た地位が一気に……崩れ去る、んですのよ……?」
こんなの後ろ指さされるくらいじゃ済まないかもしれない。
私がそう口にすると、ライオネル様はふむ……と頷いた。
「まあ、確かに───そう、ですね」
「え」
こっちの気も知らず、あまりにもあっさり肯定されて拍子抜けする。
私が目を丸くしているとライオネル様は更に続けた。
「それでも! 俺はこの気持ちを無理に押し込んで隠し続ける方が後悔するでしょう」
「ライオネル様……」
ライオネル様は、はっきりきっぱりそう口にする。
その目に躊躇いとか迷いは一切感じなかった。
「それに────」
「…………それに?」
私が聞き返すとライオネル様はニッと不敵に笑う。
え! なんでここで笑うの? と不思議に思いながらもその仕草と笑顔にドキッとした。
「俺───優秀なので」
「……」
(は?)
一気に甘~い気分が吹き飛びそうになるくらい驚いた。
ライオネル様はドヤ顔でそう宣言した。
「ゆ、優秀……」
「はい。よく考えてみてください。いったい誰が普段からあの殿下のフォローをしていると思っているんですか?」
「……」
それにはぐうの音も出ない。
それは誰に聞いてもライオネル様だと答えるだろう。
「“エドゥイナ妃”に手を出したと後ろ指さされて追放されたとしても、直ぐに成り上がってみせますよ? ───絶対に貴女に苦労はかけません」
「~~っ! あ、あなた……」
どれだけ自信満々なのよ!
その鼻をへし折ってやりたくなる。
ただ、この発言が単なる強がりやハッタリに聞こえないのが悔しい。
ものすごーーく悔しい。
「そもそも、俺はこれでも我慢しているんです」
「はい? 我慢って何を……?」
「……」
ライオネル様がじっと私を見つめる。
ただ、これまでと違ってその瞳の奥からは熱いものを感じた。
「もしもエドゥイナ。今の貴女がすでに殿下の“妃”という立場ではなかったのなら」
私はゴクリと唾を飲み込む。
「髪の毛へのキスだけじゃすみません」
「……ひぇっ!?」
「もっと強く強く貴女をこの腕の中に抱きしめて離しませんし、その頬や顔にもたくさん触れて───」
ここでライオネル様の視線がそっと私の唇に向かう。
「あなたのその唇にも……」
「わーーーー! 分ーーっかりました! もう充分過ぎるほど分かりましたから! そ、その先は言わなくても結構でしてよっっ!!」
何を言われるのか理解して焦った私は慌ててストップさせる。
しかし……何故かライオネル様は止まってくれない。
「いいえ、それだけでは足りないですね」
「た……りない?」
え?
今話してたのって、キス……のことよね?
キスだけじゃ足りないってどういう意味!?
分かるけど理解したくなくて私の脳が考えることを全力で拒否してくる。
「はい。ですから、このままあなたをソファに押し倒して───」
「は? えっと? ライオネル様……」
押し倒す!
やはり会話の雲行きが一気に怪しくなって来た。
「そして貴女のドレスの紐を緩めて脱がしていき……貴女の素肌を思いっきりた…………んぐっ」
「ラ────ライオネルッ!!」
焦った私はライオネル様の口を両手で塞いで思いっきり彼の名を叫ぶ。
「ちょーーーーっと! お待ちなさい! その発言はお、お待ちになってくださるかしら!?」
それはダメ!
この世界の物語が一気に年齢制限付きのものに変わってしまう!
なので慌てて必死に止めた。
「あ、あなたね……! 今、ご自分がどんな発言をしているかわかっていますの!?」
「……」
私に口を塞がれているせいでモゴモゴしながらも大きく頷くライオネル様。
そして私の手を掴むとそっと口から離す。
「もちろん、分かっていますが? 俺は貴女が欲しい───という正直な気持ちを口にしたまでです」
「ラ、ライオネル……様。直球過ぎます……」
「分かっています───さすがに今は実際に行動したら、成り上がる前に命が危険なのでしませんが」
「!」
(命の危機が無かったらどうするつもりだったのよーー!)
思わず内心でそんなツッコミを入れてしまう。
堅物で真面目な人が暴走するのって危険すぎる……!
「ですが……」
「……な、なんです?」
しかし、何故かここでいきなりトーンダウンしたライオネル様。
キュッと顔を引きしめると、少し寂しそうに笑った。
「それだけ───俺は貴女のことが好きなんですよ、エドゥイナ」
「──っ!」
その真っ直ぐで真剣な言葉に……そしてどこか寂しそうに笑ったその顔に胸が打たれる。
私も気づいたばかりのこの気持ちに応えたい。
でも……
「わ……わたくしは“まだ”ジャイルズ殿下の妃……なんですの」
「…………ああ」
ライオネル様が分かっていると言わんばかりの顔で目を伏せながら頷く。
私の胸がキュッと締め付けられた。
「……」
私はおそるおそるそっと手を伸ばす。
そして差し出されているライオネル様の手の指先にちょっとだけ指先で触れてみた。
「え……?」
私の行動に不思議そうな顔をするライオネル様。
私は恥ずかしい気持ちを堪えて照れながら告げる。
「エドゥイナ……?」
「で、ですが、王子の妃ではないただの“エドゥイナ”としては────」
「……」
「あ、あなたを……お、お慕いしております、わ……! ライオネル・デイヴィス様……」
「───!」
目を大きく見開いて息を呑み込んだライオネル様の表情が固まる。
(め、めちゃくちゃ恥ずかしいーー……!)
でも、真っ直ぐに想いを口にしてくれたライオネル様には“殿下の妃だから”なんて理由で誤魔化したりせずに私も自分の正直な気持ちを伝えたかった。
「……」
ポカンとしているライオネル様に続けて告げる。
「り、離縁が成立するまで……わ、わたくしからは“これ”が精一杯でしてよ……!」
これ───つまり指先にちょっと触れるだけ。
キスとか……ましてやその先なんてとんでもない!
そして、堂々と手を握ることも……
「……」
「そ、それでもいいと言うのなら─────」
「待ちますよ」
ライオネル様は迷う素振りもなく即答。
私は顔を上げた。
私と目が合ったライオネル様は頬を緩めるとそっとはにかんだ。
(───え)
ドクンッ
初めて見るライオネル様のそんな柔らかな笑顔に胸が高鳴りときめく。
…………知らなかった。
(こんな風に笑う人だったんだ……)
「貴女が……エドゥイナが俺の唯一になってくれると言うなら──そんなのいくらでも待ちます」
「……」
今度はその言葉に胸がキュンとなる。
どうしよう。
こんなのドキドキが止まらない。
「……エドゥイナ」
「は、はい!」
名前を呼ばれてハッと我に返る。
「貴女の望む“幸せ”…………無事に願いが成就して自由を手に入れたら───まずは何をしたいですか?」
「え?」
私は目を瞬かせる。
するとライオネル様はフッと優しく微笑んだ。
「貴女のしたいこと、やりたいこと、どんな些細なことでも構いません……俺と一緒に一つずつ叶えていきましょう」
(ライオネル様……)
どんな些細なことでも一緒に……
私はそっと自分の胸を押さえた。
その言葉で私の胸の奥がじんわりと暖かくなっていく。
(───全くもう。そんな安請け合いしちゃって……知らないわよ?)
でも、嬉しい!
私はライオネル様に向かってニンマリと笑う。
「でしたら───約束、ですわよ? …………ラ、ライオネル!」
一瞬、ハッと目を見開いたライオネル様が慌てたように頷く。
「……っ! ああ、約束する───エドゥイナ」
互いの指先だけをちょこんと触れ合わせた私たちは、そう言って微笑み合った。