14. 勘違い
───数日後
「フンフフーン♪」
「エドゥイナ様……?」
「何やら、ご、ご機嫌ですね?」
「ふふふ、そうかしら?」
鼻歌を歌う私の様子を見たメイドたちが困ったように顔を見合せている。
「は、はい、殿下と昼食を共にしたあの日からずっと……」
「相変わらず、殿下の夜のお越しはないというのに……」
あれからも殿下との進展はないのにご機嫌な私をメイドたちは何故? と思い首を傾げている。
彼女たちには分からないだろうけれど……
(───これでいいのよ)
だって私の目的は果たせそうなのだから!
殿下は相変わらずセオドラに夢中のままだし、離縁の話にも頷いた。
これは思っていたより案外トントン拍子で事が進みそう……
(とはいえ……)
考えなきゃいけないことはたくさんある。
特にこの先、離縁が成立した後のことがまだノープラン。
もちろん実家に帰るなどという選択肢はない。
でも、幸いお金だけはたんまりあるし……
前世の記憶のおかげで働くことに対して抵抗がないから、衣食住を確保して仕事を見つけて地道に働くのもアリかもしれない。
(よくある追放された令嬢が街で働くってやつみたいね~)
かつての前世のコレクションの内容を思い出してクスッと笑ってしまう。
それも、だいたいこういうパターンの時の展開は決まっている───……
追放生活を満喫していたら、ある日道端に男が落ちている。
そしてその男を拾って介抱したら、実は隣国の王子様で溺愛されちゃいました……ってやつ。
自立した令嬢がそのまま一人で生きていくことはほぼないし、なにより行き倒れてる男の登場率の高さとそいつのイケメン率と身分の高さよ……
遠い目をしながらふぅ、と息を吐く。
「あの頃は、ヒロインご都合主義のそんなベッタベタな展開は物語だからこそ───なんて思っていたけれど」
私が小さな声でブツブツ呟いているとメイドたちが反応した。
「エドゥイナ様? どうされました?」
「今、なにか?」
「───いいえ、なんでもなくってよ」
私は静かに首を横に振る。
(いざ本当に“物語の世界”にいると……)
“何でもあり”みたいなことが起きそうで少し怖い─────……
しかも、この世界はセオドラによると知っている話とは変わってしまっているらしいから。
“ヒロイン”だからと言って絶対に無条件に幸せになれるわけじゃない気がする。
それに、だ。
(やっぱりどう考えてみてもセオドラの方がヒロインっぽいし……)
コンコン……
そんなことを考えていたら部屋の扉がノックされる。
「誰でしょうね?」
「エドゥイナ様、確認してまいります」
「ええ、よろしく」
メイドが入口に向かって扉を開けて訪問者を確かめる。
「エ……殿、────びだ」
(───っ! この声……!)
扉の隙間から聞こえて来た聞き覚えのあるその声に私はビクッと肩を震わせる。
くつろいでいたソファから勢いよく立ち上がるとダッシュで扉へと向かった。
その際にギュッと自分の胸を押さえる。
(変なの……)
どうして私はこの声を聞くと胸がドキドキするんだろう───……
「ライオネル様!」
「妃殿下!?」
訪問者のライオネル様は突然勢いよく横から現れた私の姿を見てギョッとした。
その反応に私は少しムッとする。
「わたくしに用事なのでしょう? その驚き方は少々大袈裟ではありませんこと?」
「大袈裟!? ち、違っ……います! エドゥイナ妃がいきなり勢いよく現れたから、す、少し驚いただけで……」
ライオネル様はツンツンしていることが多いから、こういう慌てた様子の顔を見るとちょっとだけ可愛……ゲフンッ、……溜飲が下がる。
「ふーん……まあ、いいですわ。そ・れ・で? なんの用事かしら?」
私は先を促す。
先日申し出た離縁に関する話ならさっさと聞きたい。
ライオネル様はコホンッと軽く咳払いをしながら言った。
「殿下がお呼びです」
「え?」
「執務室ではなく私室に来るように、とのことです」
「し、私室……?」
後ろでは、キャー! ついに私室にお呼び出しよ! と騒ぐメイドたち。
───違ーーう! そんな素敵なお誘いではなくってよ!
なんて思いながらも、とりあえずはしゃいでいる彼女たちのことは放っておく。
「なぜ、私室なんですの……?」
私が怪訝そうな目を向けるとライオネル様は首を傾げた。
「我々、側近には聞かれたくない話でもあるのかと俺は思いましたが?」
「あ……!」
執務室だと人の出入りが激しいから───?
ということは、やはり離縁に関する話!
何か進展があったのかも。
私の胸が高鳴る。
「分かりましたわ。すぐに向かいます」
私は慌てて支度を整えて殿下の部屋へと向かうことにした。
そうして殿下の私室に向かう途中、私はライオネル様の機嫌が悪いことに気付いた。
迎えに来た時はいつもと変わらないと思ったけれど、いざ殿下の元へ向かうために並んで歩き出したら彼は不機嫌オーラが全開だった。
「……」
(いったい、そんなに何に怒っているのかしら?)
「ライオネル様」
「…………なんでしょう」
ほら、返事が来るまでの間よ……
いったい今の間にどんな言葉を飲み込んだ?
「怒ってます?」
「……………………ははは、妃殿下! まさか俺が? いったい何に! 怒るというのでしょう?」
ははは、と笑ってるくせに全然目が笑っていない。
「……」
(むしろ、めちゃくちゃ怒ってるじゃん……)
「怒っていますわよね? わたくしの目は誤魔化せませんわよ?」
「……妃殿下」
「はっきりと言ってくれません? 見ていて気持ち悪いですわ」
「う……ぐっ」
ライオネル様がぐっと押し黙る。
しばらく逡巡していたライオネル様は、やがて決心したようにポソッと言った。
「───あれだけ言ったのに」
「え?」
「まさか本当に殿下に話して直談判するなんて……」
(……あ! 離縁の話!)
側近には聞かれたくない話では? なんて他人事のように言っていたから、てっきりライオネル様も呼び出した理由を知らされずにいたのかと思っていたけどちゃんと知っていたらしい。
(あれか……ライオネル様は私の好感度アゲアゲキャンペーンしようとしてたから……)
殿下もライオネル様にだけは話したのかもしれない。
「……それで? どうされるおつもりなんですか……」
「え? どうって?」
「そのままの意味ですよ! り! コホンッ……貴女は望みを叶えた後はどうするおつもりかと聞いているのです」
「ああ……」
(ノープランよ!)
なんて答えたらライオネル様の性格的に怒り狂いそうだなぁ……と思った。
なので少し見栄を張ることにする。
私は手を口元に添えて高らかに笑う。
「ホホホ、このわたくしが何も考えていないとでも思って?」
「はい」
「……っ」
(……即答かよ!)
内心でガクッと肩を落とす。
ライオネル様のエドゥイナに対する理解度が高すぎてビビるわ!
「俺には! ……その、エドゥイナ……妃が殿下に見向きもされていないことに対してヤケになっている……としか……」
「ライオネル様……」
「い、今の貴女、ならもしかしたら殿下だって貴女のことをちゃんと知れば……」
モゴモゴしながら言われたその言葉を聞いて思った。
ライオネル様は本当に私のことを心配してくれているんだなって。
「ライオネル様、ご心配なく」
「え?」
顔を上げたライオネル様と私の目が合う。
私は胸に手を当ててにこっと笑った。
(この先のことはノープランだけど)
「わたくしはちゃんと幸せになりますわ───」
すると一瞬、目を瞬かせたライオネル様がハッとした。
「ま……まさか! エドゥイナ妃! 実はあなたにはすでに将来を誓い合った別のお……ゴニョゴニョが!」
「は?」
将来を誓い合った別のゴニョ……じゃなくて男!?
ライオネル様の顔色がどんどん悪くなっていく。
「望みが叶ったらそいつの元に……? だから幸せになる……と?」
「は? ちょっとライオネル様、落ち着い……」
「てっきり、ずっとあの顔と権力欲しさにバカみたいに一途に真っ直ぐ殿下だけを想ってるのだと……」
(待て待て待て! それは以前のエドゥイナだからーー!)
堅物男の思い込みは面倒臭いわね!?
もう!
私は思いっきり息を吸い込む。
「───ライオネル!」
「!」
私がいつものように敬称をつけずに彼の名前を呼び捨てたらとライオネル様の肩がビクッと跳ねた。
同時に足を止め、目をまん丸にして私の顔を凝視してくる。
「わたくしの嫌いなものを特別にあなたに教えてさしあげますわ」
「え?」
「───浮気、よ」
ライオネル様が、え? と首を捻る。
私は憎々しい顔で告げた。
頭の中にはあの浮気され失恋した前世の最後が甦る。
「浮気だけは許せない……だいっっっ嫌いなんですの」
「浮気……」
「ですから! されるのはもちろん、自分がするなんてのも以ての外! ですわ」
「……つまり?」
私はライオネル様の顔をジロッとひと睨みしてから、フンッと顔を背ける。
「わたくしは! たとえ、どんなに不本意であっても結婚が成立している身で“そういうこと”はしません!」
「……」
「よーく、その頭に叩き込んでおいてちょうだい!」
そう言い切るとライオネル様は少し呆けた顔でポツリと口を開く。
「……つま、り? 貴女に新しい男は……」
「いませんわよ、そんなもの!」
「いない……」
「そうですわよ! だってそもそも男性に頼って生きるだけが“幸せ”ではないでしょう!?」
私のその言葉にライオネル様の目が大きく見開かれた。
なにか言いたそうに口をパクパクさせている。
「ふんっ! さあ、さっさと行きますわよ」
「あ……」
そう言って私は再び歩き始める。
その場に置いていかれそうになったライオネル様は慌てて私のことを追いかけて来た。
そうして殿下の私室の前に到着し私は扉を見上げてゴクリと唾を飲み込む。
(この先に待っている話は果たして……)
私にとって良い報せであることを願って扉をノックする。
そして返事はなくガチャッと扉が開いた! と思ったその時だった。
「エドゥイナ! ─────す、すまない」
(え……!?)
扉が開いたと思ったその瞬間、助走をつけたジャイルズ殿下が膝で滑りながらながら私に駆け寄って来た。
この、余りにも覚えのあるこれ……は!
跪いておでこを低くして地面にすりつけるかのような体勢……
そして膝を使った滑らかなスライディング……
(バリバリ既視感があるんですけどーーーー!?)
どっかの誰かと違って体当たりされることもなく、見事に私の目の前で止まったそれ。
それはそれは、とても一王子がやることとは思えない完璧なスライディング土下座だった。