近付く距離 ②
ヒクッと自分の顔が引き攣ったのが分かった。
(あの独り言を聞かれていた!?)
「……り! 離縁…………?」
「ああ。確かにそう聞こえた」
咄嗟にとぼけてみたものの、ライオネル様は大真面目な顔で頷く。
「ほほ……ほ、本当に離縁、でした?」
「ああ。離縁だった」
ダメ! ちっとも流されてくれない!
しかも、ライオネル様の目が逃さないぞと言っている。
(いやいや勘弁してーー!!)
もしも、ライオネル様がこれからの私の離縁計画に協力してくれたなら最高に心強い。
でも……
(この人は唯一、私を妃扱いしてくれてる……)
むしろ無理やり妃の座についておいて今更何を言ってやがる!?
くらいにはキレられるかも。
殿下から喜んで離縁に応じてくれそうな気配がプンプンするのに、ここで他の人に邪魔されたら困る。
「……」
「エドゥイナ妃?」
黙り込んだ私をじっとした目で見つめてくるライオネル様。
言葉で急かしてくるわけではないけれど、もう彼の全身が“どういうことだ?”と言っている。
(……仕方がない)
ライオネル様相手だと下手に誤魔化す方が墓穴を掘りかねない。
それなら、いっそこちらから探りを入れてみよう。
そう思った私は顔を上げて、ライオネル様の目ををじっと見つめ返す。
「…………うっ」
何故か変な声をあげるライオネル様。
気にはなったけど私は構わず続ける。
「────ライオネル様は」
「くっ! な、何ですか!」
「わたくしは殿下と離縁したいと考えている────そう言ったらどうしますの?」
「なっ……!?」
ライオネル様の目がカッと大きく見開く。
「~~っ!! あああ貴女はいったい何を言っているんですかっっ!」
「……」
「正気ですか!」
私はその質問には答えず、にこっと微笑む。
「まだ殿下との結婚は成立したばかりなんですよ!? それに何よりエドゥイナ妃───貴女自身が強く望んで側妃になられたのを忘れたんですか!」
「……」
「いったい何を考えているのですか!!」
(ほ~らね!)
キレられると言うよりは驚きの方が強かったみたいだけれど、予想通りのセリフを言われてしまった。
思った通り本当にこの男はブレない。
「ですが殿下を始め側近の皆様は、わたくしのことを妃と認めてはいな……」
「全員が認めていないわけではありません!!」
クワッとライオネル様の目が吊り上がる。
その顔と勢いには少し驚いた。
ライオネル様はそのままの勢いで続ける。
「確かに貴女のことははいけ好かない────」
「っ!」
(いけ好かないとまで来たか……)
分かってはいたけど容赦がないわね、と内心で苦笑する。
「───と思っていました」
しかし、ライオネル様の言葉は過去形だった。
私は首を傾げる。
「……ました?」
「…………っっ!」
ライオネル様の頬がほんのり赤く染まる。
意外とよく赤くなる人なのよね、なんてぼんやり考えていたらキッと睨まれた。
「ただ殿下の顔が好みで妃という権力が目当てなだけな傲慢な性格の女性だ……と一方的に思い込んでいたことは訂正します」
「…………はっきり言うんですのね」
「汚い手を使ってでも正妃を蹴落として成り上がりを企んでる──とも」
(その通りだったけど!?)
前世の記憶が戻らなかったら、その道まっしぐらだったけどね!
「そんな噂と思い込みだけで貴女と接しようとしたこと……は申し訳ない、と思っています!」
「ラ、ライオネル様!?」
ライオネル様の顔はガッチガチに強ばっている。
(顔! 顔が怖いから!!)
緊張!? とりあえず、それは謝る時の人の顔じゃない!
「えっと? 結局あなたはわたくしと殿下が離縁するなんてとんでもない! と、思っている……ということで合っています、の?」
「その通りです!」
ライオネル様は即答した。
予想通りだし、分かっていたはずなのにその隙のない答えに何だか胸の奥がチクッとした。
「……そう」
「そもそも! 殿下と離縁なんてしたら貴女の今後の人生、どうなると思っているんですか!」
(……ん?)
「エドゥイナ妃の場合はその辺の貴族の離縁じゃないんですよ!?」
「……えっと?」
(なに? ライオネル様何に怒っている……?)
「貴女のご実家だって黙っていないでしょうし? ご友人も離れていくことでしょう。社交界に顔を出せば、プークスクス、ヒソヒソと笑われるのが目に浮かびます!!」
「そ、そうです、わね……?」
もちろん分かっている。
ついでに再婚も厳しいだろう。
側妃とはいえ、王太子の元妃を娶る物好きなんているはずがない。
(デメリットは沢山あれどメリットなんて無さそうだものね……!)
「俺は貴女にそんな思いをして欲しくありません! それならいっそ……」
「いっそ?」
ライオネル様は何かに気づいてハッとした。
「ライオネル様?」
「……」
ライオネル様は下を向いてじっと自分の手を見つめると、ブンブンと強く首を横に振った。
(どうした……?)
私が怪訝そうにライオネル様を見ていると、彼はパッと顔を上げる。
「いえ! ですが……やはり貴女といると俺の心音はおかしくなります!」
「は、はあ……」
「今もです! 何ですかこれは!」
「わたくしに言われても……」
困る!
これ一択だ。
「何かの病気だったら殿下の側近として困りますので、早急にどうにかしないといけません」
「……そう、ですわね?」
「────そういうことですから、俺はこれで失礼します!」
「は? え?」
それだけ言ってライオネル様は勢いよく回れ右をすると元来た廊下の道をズンズンと戻って行った。
「えーー? な、なんだったの……?」
部屋の扉の前にポツンと取り残された私は唖然とする。
(でも……)
元来た廊下の道を戻っていくということは、やっぱり私を部屋まで送ってくれたんだ……
そう思ったら胸がキュッとなった。
「───……変な人」
私は小さくなっていくライオネル様の背中を見ながらそう呟いた。
「……つっかれたぁ!」
ボフッ!
部屋に入った私はそう言いながら迷わずベッドにダイブする。
「うー、ふっかふか最高!」
殿下のことは好きにはなれないけど、このふっかふかの寝具を用意してくれたことだけは感謝している。
「まあ、人をダメにするヤバさも兼ね備えているけどね───……ん、」
ふっかふかを堪能していたら段々と眠くなってきた。
欠伸まで出てくる。
「ふわぁ……考えなくちゃいけないことは沢山ある……のに、眠っ……」
この世界のこと、そして、ヒロインのこと。
離縁のこと。
「……」
前世記憶持ちの転生仲間であり究極のドジっ子だった正妃セオドラ……
今頃、縄で縛られて徹夜で仕事させられているジャイルズ殿下……
(そして)
よく分からないことを口にするだけ口にして去って行ったライオネル様……
最後に彼の顔が浮かぶ。
「……そ、いえぱ……私は一応妃……だから、ライオネル様と呼ぶのはおかし……い…………か」
(ライオネル───そう呼ばなくちゃいけない、のに)
「なんでかな……そう、呼ぶのは……何だか…………私の胸、が────」
と呟いたのを最後に私はそのまま深い眠りに落ちた。
─────
「……エドゥイナ様? 朝でございます」
「うっ……」
軽く身体を揺さぶられて薄らと目を開ける。
眩しい光が目に飛び込んで来た。
(もう、朝……?)
モソモソと起き上がる。
ベッドにダイブしてウトウトし始めた辺りからの記憶が曖昧だった。
「エドゥイナ様、お疲れのようですね?」
「それはそうでしょう! だって殿下は昨夜も……いくら公務でもエドゥイナ様を一人にして!」
「新婚ですよ、新婚!」
私付きのメイドは、またそのことでキリキリしている。
(私はそれでいいんだけどねぇ……)
メイドたちの会話をベッドの上からぼんやりした頭で聞きながらそう思った。
「────ですが、お喜びください! エドゥイナ様」
「……?」
急にメイドの声が弾んだ。
「ななななんと!」
「殿下から、今日の昼食はエドゥイナ様と一緒にしたいと申しつかっております!」
「………………は?」
(今、なんて……?)
私は思いっきり顔をしかめる。
「殿下はセオドラ妃とご結婚されてから、三食は全て共にしておりました!」
「他の者が入る隙間は全く無かったのです!!」
「え、ええ……そう、ですわね?」
「それがそれがそれが! 遂に崩れたのですよ!」
メイドたちがキャーとめちゃくちゃ興奮している。
しかし、私の頭はまだどこかぼんやりしていて理解が追いついていない。
「エドゥイナ様! これは誘惑のチャンスです!!」
「ゆー……わく」
「二人っきりで思う存分、お過ごしください!」
「ふた……」
(りぃぃぃーー!? なんで!?)
私は絶句する。
これまでセオドラの為だけに使って来た殿下が私に時間を……割いた……?
(は、はぁぁ? 殿下は何を考えて……!?)
ようやく覚醒したと同時に私は青ざめた。