12. 近づく距離 ①
思った通り、そこにいたのはライオネル様。
しかし、殿下を執務室に引きずっていったはずの彼がなぜここに? と不思議に思った。
しかも───だ。
(なんか怒ってない?)
眉はつり上がっているし、醸し出しているオーラもどす黒いし、何より顔がめちゃくちゃ怖い。
こんな顔をされる心当たりは無いのだけど、ライオネル様はとにかく絶対になにか怒ってる。
「え、えっと? どうされました?」
声をかけてみたもののライオネル様は無言でズンズン近づいて来る。
そして私の目の前に到着すると鋭く睨まれた。
「妃殿下! 貴女はなぜ一人で廊下でフラフラしているんですか!」
(ひぃっ!?)
ライオネル様の怒鳴り声とあまりの剣幕に肩がビクッと跳ねる。
「王宮の廊下だからといって安全とは限らないんですよ!?」
「フ、フラフラ?」
「していたではありませんか! 廊下を歩きながら右端に行ったり左端に行ったり……俺はその様子をちゃんと後ろから見ていました!」
「うっ……」
それ、フラフラじゃなくヨロヨロだと思うんだけど。
でも反論したらお説教が小一時間は続く予感がしたので私はホホホと笑って誤魔化す。
「ライオネル様ったら嫌ですわ。安全とは限らない? もちろん、分かっ」
「いいや、貴女は絶対に分かっていない!」
「ラ……」
(ち───近っ!?)
グッとライオネル様の顔が近づいて来た。
その距離の近さに胸がドキッと大きく跳ねる。
(距離感バグってるから!!)
なんだか気恥ずかしい感じを誤魔化すために私は更に明るく言った。
「そんなことありませんってば! ああ、それとも~……もしかしてわたくしのことを心配してくれましたの? な~ん……」
「当然です!」
「……て、ねぇえ!?」
な~んてね! ってわざと茶化そうとしたのに、間髪入れずに肯定されてびっくりした。
え? ライオネル様が私を心配?
私はクワッと目を見開いてライオネル様の顔をマジマジと凝視する。
(し、信じられない……)
これは愛されてない嫌われ側妃のはずが、まさかのヒロイン転生だったと判明した時と同じくらいには驚いた。
「もし、誰かに狙われて妃殿下に何かあったらどうするのですか!」
「何かって言われても。ライオネル様ったら、大袈裟でしてよ?」
「大袈裟なんかじゃありません! もし貴女に何かあったら俺は───……」
そこでピタッとライオネル様が止まる。
口元に手を当てて目を大きく見開いたまま何故か固まってしまう。
(どうしたのかしら?)
「えっと、ライオネル様?」
「あ…………いえ────あ、貴女はジャイルズ殿下の、妃……なんですから何かあったら“殿下”も心配します……」
「え? ええまあ(一応)妃ですものね……」
そう言葉にしつつも内心では盛大に首を捻る。
(心配……するかなぁ?)
偏見なのは分かっているけど、
───ざまぁみろ! セオドラと違ってエドゥイナの日頃の行いが悪いからだ!
とか言われそうなんだけど。
(それよりも……)
何だろう? 急にライオネル様の勢いが萎んだ気がする。
(まあ、ライオネル様の言っていることは間違ってはいないのよね)
そもそも貴族の令嬢であっても一人でその辺をフラフラすることは有り得ない。
ましてや私は愛されていなくとも王子の妃の一人。
ここで万が一側妃の私に“何か”あったら、正妃のセオドラが犯人だって疑われかねない……
(少しなら一人になっても大丈夫~っていう呑気な前世の認識は改めないといけないかも)
────だって、ここは“そういう世界”なのだから。
(そうよ……)
私の前世の膨大なコレクションの中でもヒロインが……
『ちゃんと気を付ければ、少しくらいなら大丈夫よね……?』
なんて盛大なアホな子フラグを立ててはヒーロー様や護衛から離れて一人になって単独行動して……
案の定、悪役に誘拐されたりして大ピンチを向かえて見事なフラグ回収していたじゃん!
そして、そんなアホの子をヒーロー様が救出に来るまでがテンプレセットよ!
「……」
私はハァ……とため息を吐く。
どうしても、まだ記憶が戻ってすぐのため感覚が抜けきっていないなと反省した。
(特にセオドラにまで被害が及ぶのは非常に良くない……)
だって、セオドラのことだからそんな事態になったら斜め上の解釈しちゃって、それをどうにかしようとした結果、更に事態が悪化して泥沼にはまりまくりそうなんだもの……
(うん、ダメだ危険!)
想像したらヤバすぎた。
「ライオネル様、心配をかけたことは申し訳ないと思っていますわ」
「……エドゥイナ妃」
「ですが、今回は少々仕方がなかったのです。ですから今回だけは見逃してくださいませ」
「しかし……」
「ライオネル様!」
「うっ……!?」
渋るライオネル様に向かって手を胸の前で組んで“お願い”のポーズを取る。
ちょっとあざといけど、これでどうにか見逃してもらう……!
「次! 次からは絶対に一人でフラフラはしない……そう約束しますわ───ね? ね?」
「……~~っっ」
無言でバッと勢いよく顔を逸らされた後、チラッと目線だけこっちに向けて仕方なさそうに頷くライオネル様。
渋々だけど納得してくれたようでホッとする。
(そうだ! ついでに聞いちゃおう!)
私はコホンッと軽く咳払いした後、訊ねる。
「ところで、ライオネル様、あなたこそここで何しているのです?」
「はい?」
「殿下はどうしましたの? あなたが見張っていなくても大丈夫なんですの?」
まさかとは思うけど、あの色ボケ王子はまたセオドラの所に行っていないわよね?
私の中での殿下は信頼が地に落ちているのでついつい疑ってしまう。
「俺は書類を届けて来た帰りでして……」
「なるほど、書類を!」
どうにか仕事は少しずつでも捌けているらしい。よかった。
「それから、殿下は大丈夫ですのでご心配なく」
「大丈夫?」
随分と自信満々に言うのね? と思っていたらライオネル様はしれっと言った。
「万が一でも逃げたりしないように、殿下の足は椅子に縄でくくりつけてきましたから」
「へぇ~縄。なるほどねぇ。それならいくら殿下でも逃げられ───……ぇえっ!?」
(な、縄ぁぁ!?)
一瞬、聞き流しそうになったけれど今、縄とか言わなかった!?
私が驚愕しているとライオネル様は少々興奮気味に言う。
「色々騒がれましたけど今夜は逃がすわけにはいきませんからね! それくらいはしないと駄目なのです!」
(えぇぇぇぇ……うっそぉぉ……)
「…………殿下にそんな(やべぇ)ことをしても許されるのって、貴方とセオドラ様くらいなんじゃないかしら?」
「え?」
「だって、そんなの信頼関係がないと許されないでしょう?」
「!」
驚いたのか少しだけ目を見開いたライオネル様が、ンンッ……と咳払いをする。
「そ…………そうかもしれません」
「でしょう?」
(ホホホ! もし今の私がそんなことやってみなさい? 即処刑台へ案内されちゃうわよ)
今の殿下なら本当にやりそう~
ヤバい……笑えない。
「あ、ですが殿下は───セオドラ妃にされるなら喜んで自ら縛られに行くかもしれません」
「え……」
ブフォッ!
その衝撃発言に思わず吹き出してしまう。
「ちょっ……」
(この人───大真面目な顔でなに言ってんのよ!!)
思わず想像してしまった。
しかも、セオドラのことだからポンコツっぷりを発揮して、しっちゃかめっちゃかになった感じを……
そんな様子を想像したら笑いが止まらなくなってしまった。
「ぷっ……やだ! ふふ、もう! くふふふ……」
「妃殿下?」
「想像しちゃ……ふ、ふふっふふふ……」
「妃殿下こそ! 何を笑っ………………てっっ!!」
(ん?)
私がクスクスと笑っていたら、またライオネル様が不自然な形で黙り込む。
「って、ライオネル様?」
「…………た」
「はい? 今なんて言いました?」
ライオネル様が何か呟いたけれど声が小さすぎて全然聞こえなかった。
なので私は聞き返す。
ライオネル様は目線を泳がせながらもう一度口を開く。
「…………し、知りませんでした」
「知らなかった? 何をです?」
「……」
そこで一旦無言になったライオネル様は軽く息を吐くと、口元を手で覆いながら言った。
「エドゥイナ……妃は、そんな風にかわっ……コホッ、失礼。笑う人だったんですね、と思っ……」
「───え? 笑う? そんな風にって……?」
「っ!」
思わず聞き返したらハッと我に返って息を呑んだライオネル様がクワッと大きく目を見開く。
そして、いきなりプイッと私から顔を背けた。
「~~っ! い! いえ、何でもありません! 今の発言は無し──どうぞ無かったことに!」
「は? い!?」
いきなりなんなのさ!
そう思ってもっと問い詰めようとしたけれど、ライオネル様はぶっきらぼうに言った。
「さあさあ……妃殿下はさっさと部屋に戻ってください!」
「え? あ、ちょっ……背中! 背中を押さないで!」
ライオネル様に背中を押されて半強制的に前を歩かされる。
文句を口にしたらライオネル様はちょっと声を荒らげた。
「……エドゥイナ妃と話していると俺の心音がおかしくなるので非常に疲れるんです!」
「え? 疲れる? 心音がおかしいって病気か何かですの!?」
こんなに憎らしいくらい元気そうに見えるのに!?
「いいえ! 俺は至って健康体です! 風邪一つひいたことがありません!」
「は? さすがにそれは話を盛りすぎでしてよ!?」
「盛ってなどいません! 真実をお話ししています」
「うっそぉ!?」
ライオネル様にグイグイグイグイと背中を押されながらそんな会話をして歩いていたら……
(…………あっという間に私の部屋に着いちゃった)
フラフラもヨロヨロも不審者に遭遇する暇もなく無事に部屋に到着。
「……」
(これまさか、護衛代わりに送ってくれたんじゃ……)
そう思って顔を上げてチラッとライオネル様の顔を見つめる。
するとバチッと目が合った。
「……どうかしましたか?」
「い! いえ、何も」
今度は私の方がぶっきらぼうな返事になってしまう。
(何だか調子が狂う───……)
ドキドキする胸を押さえていたらライオネル様がじっと私の顔を見つめてくる。
「……そうだ。エドゥイナ妃に一つお聞きしたいのですが」
「な、何かしら?」
「先ほど、あそこで背後から声をかける前にチラッとあなたから聞こえたのですが……」
(ん? さっき?)
何だか嫌な予感がした。
しかし、無情にもライオネル様は私に言った。
「“離縁”って聞こえましたが、なんの話でしょうか?」