僕の部屋に湿気が住みついた件
四月の終わり、空気は湿っていた。
雨は降っていないのに、じっとりとまとわりつく。昼休みの教室のざわめきは、僕にとってただの遠い雑音だった。
僕、佐久間春斗、高校一年。
入学から一か月。クラスの輪の中に入れず、すでに空気のような存在になっていた。いや、空気というより、いない方が快適だと思われている「湿気」みたいなものかもしれない。
人が嫌いだ。そう思おうとしていた。
――本当は、嫌いじゃない。むしろ羨ましいくらいに好きだ。笑い合う姿も、廊下で肩を寄せる友人たちも、僕の心をざらつかせる。
でも近づけば傷つく。ならば嫌いだと決めつけるしかなかった。
「……また、ひとりか」
弁当を机に広げることもせず、窓の外を眺めた。灰色の雲が薄く広がっている。
その夜。
僕は夢を見た。
――水滴の落ちる音。
じめじめした湿気が広がる部屋に、ひとりの女の子が立っていた。
「やっと見つけた」
肩までの黒髪は少し乱れて、白いワンピースがふわりと揺れている。大きな瞳は濡れたようにきらきらして、口元には悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「……誰?」
思わず口を開いた僕に、彼女は胸を張る。
「わたし? 湿気」
「……は?」
「だから湿気! あなたの部屋にもまとわりついてるでしょ? 洗濯物が乾かなくて困るでしょ? それ、私!」
冗談かと思った。でも夢だからか、不思議と納得してしまう。
それよりも、彼女の視線は真っすぐで、逃げ場を与えてくれない。
「ねえ、どうしてそんなに一人でいようとするの?」
「……ほっといてよ」
「ほっとけない」
彼女は即答した。
「だって、あなた、寂しいでしょ」
心臓を掴まれたような感覚。僕は言葉を失った。
翌朝。
目を覚ますと、窓際に人影があった。
「おはよ!」
ワンピース姿の彼女――昨夜の夢の住人、湿気がそこにいた。
「うそだろ……」
「うそじゃない。夢から出てきちゃった!」
にこにこと笑いながら、机の上の漫画を手に取る。
「なにこれー、意外と趣味いいじゃん」
「触るな!」
僕は慌てて漫画を取り返した。触れた感触は確かに人間そのもの。幻想のはずなのに、実体がある。
「なんで……現実に?」
「んー、あなたが呼んだからじゃない?」
「呼んでない!」
「心が、だよ」
そう言って湿気は僕を見つめる。その眼差しは母親のようにやわらかく、でも逃げ場のない強さを持っていた。
学校に行くときも、彼女は勝手についてきた。
「わたし、見えないようにできるから安心して!」
「ついてくるな!」
「でも、放っておけないんだもん」
教室に入ると、予想通り誰も僕に声をかけなかった。僕が席につくと、近くの二人組は自然に机をずらして笑い合う。
その瞬間、耳元で湿気の声がした。
「ねえ、ほんとは話したいでしょ?」
「違う」
「嘘つき」
彼女の声は甘く、でも刺さる。僕の仮面を見透かす。
授業中、僕は窓の外を見ていた。湿気はそこにもいた。
「ねえ、みんな、友達になれるんだよ」
「……そんなわけない」
「あるよ」
「僕は無視されてる」
「それでも。あなたが本当の声を出せば、きっと」
僕は答えられなかった。心の奥底では、彼女の言葉を信じたいと思っている。けれどまた傷つくのが怖かった。
放課後。
傘も差さずに歩いていると、ぽつりと雨が落ちてきた。
湿気は僕の隣で笑っていた。
「ねえ、春斗。ひとりじゃ、誰も生きられないんだよ」
その言葉が、胸の奥に深く染み込んでいった。
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