12/10 good old days
[今日のタイトル]
何かの記事で「若者は生まれる10年くらい前に流行ったものを好む傾向にある」と書いてあった。
自分もそうである。ただ自分は00年代とか10年代前半とかの雰囲気が好きなので、厳密には当てはまらないが、この際関係ない。少し考えたことを書き連ねてみようと思う。
こういう「好き」の感覚はいわば「古き良き日々」を仮構することで生まれるのであって、現実の経験に即しているものではない――一般に言う「古き良き日々」は、どこか満たされない現在に対して、過去を理想化し、歪曲することで生まれるので、対照的である。
インターネットの時代が訪れて以降、我々は容易に経験を仮構できるようになった。
自分の場合だったら、曲を聞き、アニメを見て、ゲームも買う。この全てが、パソコン上の数クリックで出来てしまう。
リアルのイベントは例外だが、ここまでしてしまえば、我々は今「オタク文化」と呼ばれるサブカルチャーでの経験のほとんどを得てしまったと言っていいだろう。
つまりは、「オタク」として生きてきた人と、自分のような新参者が、時間をかければ似たような状態におかれ得るということだ。
これは、思春期の青少年にとってうれしいこと限りない。
思春期はアイデンティティの危機が訪れる時期だと言われる。周囲と比べて長所がないワタシは、何のために存在しているのだろう、といった感じ。
ここでインターネットを使えば、その危機に瀕したワタシから簡単に脱出して、10年前のオタクAに成り代われるのだ。そうして出来上がったオタク像を、おそらく周囲の人間と比較することはできない。その基準が存在しないからだ。
安定した自己像を得るためにワタシではない誰か、ココではない何処かを求め、結局は模倣に走るというのは何とも皮肉な話だが、19世紀ドイツにも似たような悩みを抱えた人がいたらしい。
この頃のドイツ文学では、ロマン主義が興隆していた。みんな大好きファウストのゲーテもその一人。
そんなロマン主義に登場する概念として、「Sehnsucht」と「Weltschmerz」がある。
ロマン主義の歴史的文脈は世界史を――というより文化史の意義を理解する上で重要であるが、ここではやらない。自分も完全に理解できたわけではないのだけども。比較文化学とか面白そうだよなぁ。
Sehnsuchtとは、「時をまたいで存在する、到達不可能なユートピアに対して、自らの人生は不完全であることを自覚して、人生を評価し苦い感情と共に、そのユートピアに対しての憧憬も抱いている状態」のことを指す。
それに対しWeltschmerzとは、「実存する世界が、自らの理想を決して満たさず、むしろ欠乏をもたらす悪や労苦で満ちていることに気づき、絶望する状態、またはそのような世界そのもの」を指す。
両方とも似た概念だが、前者は「憧憬」に、後者は「絶望」に比重がかかっている。
これまでの自分を見るに、自分はSehnsucht寄りで、Welschmerzは出来る限り無視しているのだと思う。
どちらかに寄りかかることは簡単なのだろうけど、実際問題として、そのどちら側の感情はどうしても存在してしまう。いくら見ないフリをしても、結局は絶望が――自分の場合は――夜目を閉じたときとか、部屋で一人になったときとかにふっと、後から追いかけてくる。
きっと、この両方にちゃんと向き合ってあげることで、自分は初めて本当の意味で趣味を楽しめるような成熟した人間になれるのだと思う。
[今日あったこと]
・コードギアス
実はロゼの前日譚をまだ見ていない。落ち着いたら買おうかなぁ。
そして肝心のロゼが来年夏にテレビ放送される。ディズニープラスを諦めて特別料金1900*4払ったこと忘れてないからな。新作は最初からテレビ放送を求む。劇場で買った多機能ボールペンもすぐにシャーペン部分が壊れた。悲しい。
・ガイナックス、消滅
自分はどこからガイナックス製美少女ゲーを買えばいいんですかね。カラーから買えるから大丈夫とはならないかなー。これで韻踏んでることにはならないか。
文面は見ていてつらいものがあった。
ソースはwikiなので、まともな文章ではないです。
あくまで日記なのでね。




