11/12 インターネットやめ郎
受験前でもやめられない!
[今日のタイトル]
ニディガがアニメ化されるということで。
色々権利関係で揉めているらしいが、大丈夫だろうか。
原作者さんのNOTEを見たことはある。この日記の[今日見つけた××ゲーム]より遥かに良い文章があるので(そもそも自分は未プレイなのだから当たり前である)おすすめ。
KOTOKOさんがアニソン界に帰ってくるかどうかにも注目。「きゅびずむ」の人でもいいけど、やっぱり贔屓目で見ちゃう。
[最近悩んでいること]
得てして人は非合理的であるが、アニメキャラというのは合理的(視聴者が納得できるという意味で)に動くように設定されている。(もちろん例外はある)
ギャルはギャルゲーを好まないし、熱血スポーツ漢はアニメを見ない。
主人公は成長して困難を乗り越えるし、ヒロインは魅力的なデザインをされる。
ここからは個人的な話。
初めてなろうを見たのは6年くらい前だと思うのだが、その時まで(過去進行形で!)youtubeも深夜アニメにも(ハイスコアガールとラブライブは見ていた)触れていなかったので、なろうの存在に衝撃を受けた。「ヒロインが簡単に主人公を好きになりすぎなんじゃないか」と。
そう思いつつも結局最後まで読み切ってしまったのだが、どうもわだかまりというか、後ろめたさが残った。しかし最後まで読み切るほどに面白かったのは確かだ。
何作か読んだ後に、たまたま「無職転生」を見つけた。
ハーレムものではあるのだけれど、主人公がヒロインと出会い、結ばれる過程が丁寧に描かれていて、変に後ろめたく感じずに3日くらいで読み切ってしまったと思う。
人に読まれる作品というのは、人に受け入れられやすい作品なのだ、とその時思った。
当たり前のことを言っているが、当時の自分にとっては大発見だった。
でも同時にこうも思った。「人に受け入れられやすい」って、何だ?
最初に言った固定観念を忠実に守ることだろうか。
はじめてなろうを読んだ自分は一対一以外の恋愛の形があるだなんて想像もしていなかった。だから始め違和感を持ったわけだが、その違和感が薄れたのは前述の通り。忠実に守る必要はない。
第一そんなものはつまらない。すでにどこかで見た/知った何かにしかなりえないからだ。
ただ完全に守らないで型破りなものだけを書くのも何か違う気がする。
無駄なキャラを登場させると話がややこしくなるからしたくはない。全てのキャラには、何らかの代替不可能な役割が与えられているべきだ。
型を破らせるときにはなおさら。
だからちょうどよく謂わば「型破り度」を調整しないといけないのだが、その境界線が分からない。
そんな中でもとにかく普通の転生系は書きたくないなぁと思い、今自分で小説を書いているわけだが、異世界人側から転生者(侵入者?)を描くのはすでに存在するありふれた(もしかしたら取るに足らない)アイデアなのだろうか。
これが最近の悩み。




