1/14 ヒュプノシス・メズマライズ
[今日のタイトル]
催眠もの、というジャンルは往々にしてある。
普段自分がこの日記で触れている美少女ゲーはいわゆるシナリオゲーだとしても、嫌いじゃないっすよ。そういうの。ええ。
漫画が芸術として評価されつつある昨今(2022年、日本芸術院にマンガ分科が創設されたことからも分かる)、アダルティックな(無論和製英語である)漫画を芸術という側面で見る流れは――
別に来ていないと思われるが、自分で勝手にやってみようと思う。
こうしてみると、芸術とは何か、芸術的な漫画と非芸術的な漫画の差は何か、というまあまあ大きい問題にぶち当たることとなる。
ありとあらゆるものが市場価値化された時代に、「非芸術的な漫画とは商業目的の漫画のことである」と唱えても全く意味のない空論になるのは明らか。
知恵袋には、日本文学史に残るものだとか、前衛的なものだとか、色々な意見があった。
自分自身今の文壇(と言ってもいいのだろうか?)に詳しいわけでもなく、ラノベ以外の本はそれほど読まない。読むとしても世界史関連の本。
そんな状態でアダルティックな漫画が、今までにないような表現方法を用いて人間の内面を描いている特異なもの、と言い切ることはできない。
ただ一つ言えるのは、そういう漫画は独自の文脈を持っている、ということだけ。
普通の漫画に催眠が突然出てきたら立派なトンデモだが、アダルティックなものにおいてはそうではない。「催眠術が突然出てきてもおかしくはない」という文脈を利用しつつ、それを裏切るような表現をして、人間の内面を自然な形で析出できる可能性だってある。
例えば最初に主人公が催眠にかかっていて、それ以降の描写が幻だった、とか。
互いが互いを同時に催眠したらどうなるのか、とか。
心身二元論的な示唆に富んでいると言えなくもない。テーマが古臭いと言うなら、それにルッキズムのような現代的な問題をぶち込めばモーマンタイ。
ただそういう漫画を落ち着いて読める、というか読む気概のある人間が一体どれほどいるのか、という問題はある。




