表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/37

第35話 再訪

 ブロンズの母子像の空虚な眼を、紗和は見つめ返していた。瞳がないので視線は分からないはずだが、見られていると感じるのは気のせいか、それとも無意識の思い込みだろうか。


 シャッターが鳴る。

 顔を上げて紗和が振り向くのと同時に、もう一度シャッターが切られた。


「入ろうか」

「うん」


 自動ドアの前で健人は足を止めた。


「図書館の中はカメラ撮影だめかな」

「聞いてみようよ。私達の他に来てる人いなさそうだし、大丈夫かも」


 ホールへ入り、書架へと続く渡り廊下へと二人は曲がり角を曲がっていった。

 その場に聞こえる音は、二人分の足音と、自動ドアが閉まる直前まで聞こえていた、さんざめく蝉の音の残響だけである。




***




「あった」


 おなじみの絵本を手にした紗和は、カメラに向かってにっこりと笑った。

 幼い頃、家にもあるのに図書館に来る度に借りていた、お気に入りの絵本。名作と銘打たれたものなので、見つからないことは心配していなかった。さすがに二十年以上前と全く同じ物ではないだろうが、うっすらと手垢や捲り跡のついたページや、やわらかくなった角から、あの頃の自分の中へと戻っていく感覚を感じた。


「……今、旅行行ってた?」

「うん」


 頷いた紗和の隣に腰を降ろすと、健人は絵本を覗き込んだ。


「これ、俺も子供の頃読んだことあるよ」

「有名な絵本だもんね」

「どんな話だったか、忘れてるな……絵はうっすら覚えてるけど」

「読んでみようか。短い話だよ」


 子供のための書架は、紗和の記憶の中の配置から大分レイアウトを変えていた。ぐるりと背の低い書架で囲ったスペースには、柔らかなカーペットが敷き詰められ、所々にベンチクッションが据えられていた。この場所では読み聞かせや、声を出しての音読をしてもいいのだという。


 来館者が紗和と健人の二人しかいなかった事実も手伝って、二人は声を出してその絵本を読んだ。十ページにも満たない短い話は、あっという間に背表紙までたどり着いてしまった。


「こんな話だったっけ」

「健人ったら、本当に全然覚えてないんだね」


 可笑しそうに笑う紗和につられて肩を揺らしながら、健人は絵本を掲げるように持ち上げた。


「いい絵本だ。この子にも読んであげたいな」


 腹の上に置かれた手の上に、紗和は自分の手を重ねて微笑んだ。


「今読んでた声、聞こえてたんじゃない?」

「そうなの?」

「意外とよく聞こえてるらしいよ」

「へえ。すごいんだな」


 図書館を後にした二人は、車で次の目的地へと向かっていった。


 里帰り出産のため、紗和の地元に帰ってきた週末だった。月曜に出勤しなくてはいけない健人は、明日中には自宅に戻らなくてはいけない。今日のうちに二人で訪れておきたい場所が残っていた。


「蓮池のある公園、小学校、それから」

「海」

「そうだね」


 あの事件後から、初めての訪問ではない。周囲には心配する者もいたが、紗和も健人も、この浜に足を踏み入れることに恐怖心を抱くことはなかったのだ。それは今も変わらない。


 一時期は警察車両が常に駐車場に停まっており、野次馬や素人探偵の類も見かけたものだ。しかし事件から年単位で時間が経過した今、田舎の小さな海水浴場は、元通りの静けさをすっかり取り戻していた。


「夕焼けが始まるよ」


 染まり始めた上空を仰ぎ見て、紗和は瞼を下ろした。その様子を見守りながら、彼女と手を繋いだまま、健人はふと後ろを向いてみた。視線の少し先だったはずだ。紗和と砂の城を作っていた場所である。辺り一面ただ砂が広がるばかりなので、正確な位置はもう分からなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ