表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/37

第23話 チッタ

 チッタ チッタ チッタ


 秒針が進む音。言葉を覚える前の幼児が、舌を弾き鳴らして遊ぶ音にも聞こえる。あるいは誰かの鼓動の音だろうか。


 チッタ チッタ チッタ


 機械音のように規則的で、血の通った肉体の音のような生々しさを含んでいる。


 チッタ チッタ チッタ


 目が見えない。

 触覚もなく、手足も首を動かす感覚もない。横になっているのか、立っているのかすら曖昧だ。


 チッタ チッタ チッタ


 聴覚だけが生きている。

全ての意識がそこへ向かっているからだろうか。本来なら味覚触覚視覚それぞれから得るべき情報が、聴覚一つへと傾れ込んでいた。


――これは砂を蹴る音


 チッタ チッタ チッタ


 断言できなかったが、紗和は確かに、砂の上を走る自分の足のイメージを持っていた。

 誰かに腕を引かれながら、一緒に走っている。砂の上は走りづらい。何度も転びそうになりながら、しかし速度を落とすことなく、紗和達は駐車場までたどり着いていた。


――煙の臭いだ


 誰かがバーベキューをしているのだろう。嗅覚が蘇って、途端に視界も明瞭になっていった。


 チッタ チッタ チッタ


 車のドアを開け、中へ滑り込む。炎天下の中駐車していた車内は、可視化できるのではないかと錯覚するほどの熱が充満していた。


 チッタ チッタ チッタ


「間宮さん?」


 少し離れた場所から、後藤の声が聞こえた気がした。困惑しているようだった。


 ドアが閉まるより早く、エンジンが唸った。そして紗和がシートベルトに手を伸ばすより早く、車は発車した。



 チッタ チッタ チッタ



 朧げに視野が開けてきた。



 チッタ チッタ チッタ



 紗和が乗っているのは助手席だった。



 チッタ チッタ チッタ



 窓は締め切っていて、エアコンはつけたばかり。息を吸い込むと、熱気が気道に入り込んでくる。



 チッタ チッタ チッタ



 窓の外を景色が流れていく。今日もよく晴れている。宮殿のような入道雲が目に入った。


「チッタ、チッタ、チッタ」


 舌の動きだけでその音は出せる。唇は動かない。

 運転席から愉快そうな声音がした。


「そう。僕はそこから生まれて、君を連れてそこへ帰るんだ。やっと思い出してくれたんだね」


 (citta)


 蝉の音が鳴り止まない。彼らの歌は刹那の愛の歌だ。波の音のように恒久には続かないだろう。


「チッタ、チッタ、チッタ、チッタ……」


 何でもない田舎の夏。

平穏な風景の中に騒々しいサイレンの音が聞こえてくる頃には、紗和はそこにいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ