全てが終わり全てが始まった日
「もう! 叔父さん! 一応仕事中なんだから、いやらしい本を見ないでよ!」
小さな探偵事務所に私の怒鳴り声が響く。
まったく……
普通にしていればスラッとしている素敵な紳士に見えない事もないのに。
「別にいいだろ? 誰にも迷惑かけてないんだから」
「私が迷惑しているって思わないの? 二十二歳の女の子なんだよ?」
「……自分が絶壁だからって雑誌に嫉妬してるのか?」
「絶壁じゃないっ!」
「……嘘はよくない」
「はあ!? 叔父さんは老眼なんじゃないの!? 私のどこが絶壁なの!?」
「……老眼は近くが見えないんだ。遠くはよく見える……」
「……!? とにかく絶壁じゃないからっ!」
絶壁じゃ……ないよね?
多少は……ある……はず……
「あの……小田さんは……」
静かにノックする音の後……
私より少し年下に見える女の子が扉から顔を出す。
うわ……
華奢で色白でかわいい……
まさか、今の会話を聞かれていないよね?
誰だろう?
どこかで会った?
同じ学校だった……とか?
「はい。小田は私ですが……」
「……え? 小田さん……ですか?」
「……? はい。私が小田ですが……」
この女の子は私を訪ねてきたはずだけど……
私を知らないみたいだ。
ん?
もしかして私じゃなくて叔父さんを訪ねてきたのかも。
「あ……他に小田さんという女性は?」
あれ?
私を訪ねてきたの?
「いえ。この探偵事務所ダン……あぁ……あの……女の小田は私しかいませんが」
「……え?」
明らかに動揺している?
「あの……顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」
今にも倒れそうな顔をしているけど……
「あ……大丈夫です。あの……実は……この名刺を……」
「名刺?」
女の子が名刺を持っている……
「はい……二日前……駅前のバーで小田さんという女性と知り合って……」
二日前に駅前のバーで?
……?
「その女性は私ではないですが……」
「……三時間ほど話をして……その時に、この名刺を……」
「名刺……確かに私の氏名とここの住所が書いてありますね」
どういう事?
誰かが私になりすましている?
小さな探偵事務所で働いている私に?
何の為に?
「その時の小田さんは……三十代後半くらいの派手な感じの女性で……これは一体……」
「誰かのイタズラ……かもしれませんね」
私は二十二歳だし、いつもティーシャツにデニムだから派手ではない……よね?
どう見ても三十代後半には見えない……はず。
「……この辺りには他にも『探偵事務所ダンディ』があるんですか?」
探偵事務所ダンディなんて恥ずかしい名前が他にあるはずないよ。
叔父さんがいつか『ダンディですね』って言われたいからつけたらしいけど……
奥の椅子でいかがわしい雑誌をニヤニヤしながら見ているような奴は絶対『ダンディ』なんて言われるはずがない。
「ないはずです。それに住所もここになっていますし……」
「……そうですよね」
「あの……何か困り事でも?」
「あ……困り事というか……」
「話しにくい事ですか? 話を聞くだけなら無料で大丈夫ですよ?」
「え? あ……そう……ですか? でも……なんて言うか……プロの探偵さんには呆れられてしまうかも……」
「プロの探偵? あ……いえ。ほぼ浮気調査とか迷い猫捜しとかで……」
「……そうなんですか。名刺の小田さんも同じような事を言っていました」
「……へえ。名刺の女性は私の事をよく知っている誰か……なのかもしれませんね」
「……ごめんなさい。嫌な気持ちになりましたよね」
「あぁ。確かに知らないところで私の振りをする誰かがいるのは気味が悪いですが……あなたも騙された被害者……まさか金銭を要求されたりは?」
「いえ。バーで世間話をしただけで……」
「そうですか……あの……お茶を飲みながら話しませんか? 偽者の私が何を話したのかが気になって……」
「あ……はい。ありがとうございます」
ソファーに座る女性にお茶を出すと私はキャスターのついた椅子に座る。
貧乏探偵事務所だからソファーがひとつしかないんだ。
テーブルもソファーと全然高さが合っていないから使いにくいし。
まさか叔父さんがどこかで拾ってきたんじゃないよね?
「それで……私ではない私とは何を話したんですか?」
「あ……はい。あ、その前に……私は鈴木です。埼玉に住んでいるんですけど今は免許を取る為に一時的にこちらに来ています」
「ああ。合宿教習ですね。毎年、夏休みに学生が大勢来ていますよ」
「はい。埼玉にもあるんですけど、祖父母がこちらにいるのでたまには顔を見せないとと思いまして」
「優しいんですね」
大学生なのかな?
「祖父母の家から合宿所に帰る途中で……『小田さん』に出会ったんです。祖母が持たせてくれた駄菓子が袋から落ちてしまって、それを拾ってもらったんです」
「へえ。じゃあ偶然出会ったんですね」
「はい。それで、懐かしいお菓子だと意気投合してそのまま目の前にあったバーに入ったんです。わたしは翌日も教習があるからジュースを飲んでいましたけど……」
「なるほど……バーでは何を話したんですか?」
「あぁ……教習の話とか……あとは今話題の『木村次郎事件』とかですね」
「木村次郎事件?」
「はい。ワイドショーでもやっていますけど……そういうのは嫌いですか?」
「いえ。この探偵事務所は暇で……お昼過ぎのワイドショーはよく観ています」
「そうですか……実は……私、木村次郎の奥さんのSNSを事件前から知っていて」
「え? そうなんですか?」
「はい。木村次郎は最低な奴だったんです」
「ワイドショーでも言ってますよね。浮気をしたり仕事を何度も辞めたり、育児も一切手伝わない……でしたっけ?」
「……それはほんの一部です。そのアカウントは鍵がかかっていて……でも、リクエストしたら承認してもらえたんです。私の他にもフォロワーが二人います」
「へぇ。ワイドショーで木村次郎の奥さんらしい人のアカウントがあるけど鍵がかかっていて見られないって……鈴木さんは見られるんですね。他の二人もマスコミには何も漏らしていないみたいだし……皆さんは、奥さんの味方なんですね」
「……他の二人がどんな方かは分かりません。コメントも残しませんしリアクションもしません。その二人も鍵がかかっていますし。でも閲覧数を見ると毎回見ている事は確かです」
「そうなんですね……」
「何の話かな?」
叔父さんが話に割り込んできた。
ワイドショーに興味がないから何の話か分からないみたいだ。
あれ?
この暑いのにブカブカでヨレヨレのトレンチコートを着たの?
しかも大き過ぎるハットまで被って……
さっきまではもっと薄着だったよね?
「所長……今、ワイドショーを賑わしている『木村次郎事件』ですよ。鈴木さん。こちらはこの探偵事務所の所長の小田です」
「小田さん……ですか? ではお父様ですか?」
「え? いえ。叔父なんです。父は私が幼い頃に亡くなって。母もいないので叔父が私を育ててくれたんです」
「そうでしたか……ごめんなさい」
「ああ。気にしないでください。所長は木村次郎事件を知らないんだよね?」
「木村次郎事件? 何だ?」
「二週間前、木村次郎が自宅で絞殺されたの」
「ふぅん。それで?」
「奥さんが疑われているんだけど……」
「そうなのか?」
「奥さんは意識不明で入院中なの」
「……? 意識不明?」
「絞殺されている木村次郎の横に奥さんが倒れていたらしくて。二週間眠り続けているんだって」
「……旦那を絞殺してぶっ倒れたまま眠り続けてるのか?」
「それが……奥さんは木村次郎を絞殺していないんじゃないかって」
「そうなのか?」
「奥さんは乳ガンが右脇のリンパに転移して切除しているの。元々右利きらしくて……術後に会った近所の人に右手に力が入らないし、ペンで字を書いただけで手が疲れると言っていたらしいよ?」
「それでも絞殺はできるんじゃないか?」
「木村次郎は右手で強く首を絞められたらしいの」
「へぇ……じゃあ犯人は別にいるのか?」
「そんなの私には分からないよ。それに……」
「それに?」
「木村次郎はとんでもない奴だったらしいよ?」
「とんでもない奴?」
「結婚する前からよく仕事を辞めていたらしいんだけど、子供が産まれてからも十回近く辞めていたんだって」
「へぇ。でも仕事を辞める奴なんて大勢いるだろ?」
「職場を変えるたびにそこで出会った女と不倫していたんだよ!」
「誰がそれを?」
「マスコミが調べたんだよ。会社の人から見ても不倫はバレバレだったらしいよ? その女達は特定されてネットで叩かれているって。自業自得だよ」
「へぇ」
「あの……それはマスコミが木村次郎の周りから調べた事ですよね?」
鈴木さんが少し怒った表情で話に入ってきた。
ワイドショーの内容が奥さんのSNSと違っているの?
「そうみたい。木村次郎は一見優しそうに見えるけど、子供と遊んでいる姿を近所の人は誰も見ていなかったの。母子家庭だと思っていた人もいたみたいだね」
あ……
敬語をやめちゃったけど、お客さんじゃないから平気かな?
「……本当に木村次郎は最低な奴だったんです」
「……それを私に話してもいいの? SNSのフォロワーは誰も内容を漏らしていないんでしょう?」
「……私は……木村次郎が何をしてきたのかを世間に話すべきだと思うんです。でも……奥さんはそれを望んではいないかもしれません」
「鈴木さん……」
「私……奥さんがSNSに書いていた内容は日記みたいだと思っていて……誰かに読んでもらう為に? ……何かを警告する為に……知っているって……」
警告?
……?
鈴木さんが話しにくそうにしている?
「それって紙の日記だと木村次郎に処分されると思った……っていう事?」
「それは分かりませんけど……」
「木村次郎はそんなに最低な奴だったの?」
「……SNSに……書いてあった内容を……話してもいいですか?」
「もし、私がそれをマスコミに話したら……とか思わないの?」
「話を聞き終えた後に……全てを知った小田さんがそうしたいのなら……私にとめる権利はありません」
「……え?」
何だろう?
違和感が……
「聞いてください……木村次郎が奥さんとお子さんを傷つけてきた……マスコミも知らない真実を……」
こうして鈴木さんは木村次郎の奥さんと思われる人のSNSの内容を語り始めた。
「木村次郎が何度も仕事を辞めたのは事実です。お子さんは幼い頃身体が丈夫ではなくて、奥さんは働きに出られなかったらしいんです。一か月の間に健康な状態でいられたのが一週間くらいの時もあったらしくて。実家の弟さんもそうだったらしく、よく実母に相談していたらしいですね。実母は農業が忙しく手伝いには行けなくて……奥さんは寝ずにお子さんの世話をしていたようです。木村次郎が何度も仕事を辞めて保険証が手元に届くまで病院に行けない事もあったようです」
「木村次郎は病気の子供の世話をしなかったの?」
「……里帰り出産から帰った初日に夜泣きがうるさいからと別に寝るようになって……それからは家の中では世話をしなかったようです」
「家の中では?」
「時々子供と外に出ると良い父親の振りをして世話をしていたようです。でも、子供は懐かなくて……」
「普段世話をしないなら当然だよ……」
「はい。でも、それが気に入らないらしくて……周りからは良い父親だと思われたかったんでしょうね。それだけじゃなくて、奥さんは近所に暮らす義父母から『子供を甘やかし過ぎだ』と注意されたりして……」
「え?」
「甘やかし過ぎるから熱ばかり出すんだと……」
「……意味が分からない。なんでそんな事を……」
「初めての子育てで、お子さんは身体も弱くて……実家に帰れば義母から『実家が良くてもう帰ってこないのかと思った』と言われて、奥さんは追い詰められていたようです」
「最低……木村次郎もその両親も最低だね」
「木村次郎が仕事を辞めるたびにその義母は『次郎ちゃんが辞めたいなら辞めればいい』と……」
「子供を甘やかし過ぎたのは自分でしょ! 奥さんとお子さんがかわいそう……」
「お子さんが熱が下がらなくて病院に何日も通っていた時……奥さんが待ち合い室で話しかけられたそうです」
「え? 誰に?」
「分からないそうです」
「……え?」
「お子さんはいつから熱が出ているんだと……」
「……?」
「確か……『木曜の夜からです』と答えたのかな? 土日を挟んで月曜日に話しかけられたんです」
「……?」
「そうしたら……その女性に言われたらしいんです。『旦那さん、日曜日に女と楽しそうにスーパーで買い物をしていたよ』って……」
「……え? どうして奥さんが木村次郎の妻だって分かったの?」
「たぶん……待合室で順番待ちをしている時に名前でお子さんを呼ぶ病院だったんじゃないでしょうか」
「その女性は奥さんを見た事がなくてもお子さんの名を知っていた……? それで日曜に見た女が奥さんと違うから浮気だと思った……とか?」
「お子さんが何日も熱が下がらない時に不倫していたんです。それを木村次郎に問い詰めたら『どこからが浮気なんだ。見てもいないのに疑うのか』と逆上して……」
「最低……」
「結局教えてくれた女性はどこの誰だか分からなくて……木村次郎の知り合いではあるんでしょうけど……奥さんはもうその病院に行けなくなってしまって新しく病院を探したらしいです」
「そんな……」
「それだけじゃないんです! それだけじゃないんです……木村次郎は奥さんが病気になった時も……」
「……え? 乳ガン……だっけ?」
「お子さんも高校生になって丈夫になったらしいんです。奥さんは働きに出られるようになって……でも、胸に違和感があって……病院に行ったらステージスリーの乳ガンで……」
「ステージスリー?」
「それを木村次郎に話したら……『ガンになんかなって治療費はどうするんだ』って……お子さんの見ている前で奥さんよりお金の心配をしたんです」
「はあ!? 酷過ぎる……一番辛い時にそんな事を……」
「奥さんは仕事を辞めるしかなくて……手術後に抗がん剤治療をする事になって……その間も木村次郎はずっと不倫をしていて……」
「最低……」
「お子さんが不倫に気づいたらしいんです」
「……え? そんな……」
「そうしたら……木村次郎は……『不倫は良い事だから皆もした方がいい』とお子さんに言ったらしくて……」
「はあ!? 意味が分からない……」
「お子さんは、母親はガンで父親は不倫をしている環境に必死に耐えたようです」
「酷い……」
「奥さんが最後の抗がん剤治療を終えてすぐ……日本にコロナが入ってきました」
「あ……あの頃の話だったの」
「……はい。お子さんは学校が何か月も休みになって……でも、抗がん剤治療を終えたばかりの母親をコロナから守りたいと一歩も外に遊びに行かなくて……」
「お子さんは優しいんだね……」
「でも……木村次郎は職場の女と海を見に行ったりとか……好き勝手して。あげくの果てにコロナの給付金を全額女につぎ込んで……」
「はあ!?」
「その時の木村次郎の給料は手取りで九万円。それが三か月も続いたらしくて……」
「手取りで九万円!?」
「その中から小遣いだって三万円持っていかれて……」
「じゃあ六万円で暮らしたの!?」
「借家だから家賃とか……光熱費もそこから出すから、奥さんはかなり苦労したみたいです」
「その間も木村次郎は女と遊び回っていたんだね?」
「……はい」
「最低……」
「それからも、お子さんの塾代を使い込んで自分の趣味の物を買ったり……とにかく酷くて……」
「なんて奴なの……」
「でも……奥さんが一番傷ついたのは……他にあって……」
「え? これ以上に酷い事が?」
「まだ奥さんが乳ガンを見つける前……奥さんには忙しい母親の代わりに幼い頃世話をしてくれたおばあさんがいて……」
「おばあさん?」
「そのおばあさんが遊びにおいでって誘ってくれたらしくて……木村次郎に、その日は一緒に実家に行って欲しいとお願いしたらしいんです」
「それで、木村次郎は?」
「外面だけはいいですから一緒に行くと言ったらしくて……でも、当日……行きたくないと部屋から出てこなくて……」
「そんな……」
「おばあさんは翌日に……急死して……」
「え?」
「奥さんは最後におばあさんに会えなかった事に酷く傷ついて……しかも木村次郎はお通夜にも行かずに……」
「まさか……女と?」
「最低な奴なんです……」
「どうして奥さんはそんな酷い奴と離婚しなかったの?」
「仕事ができないのもあったでしょうけど……お子さんが大きくなるまでは我慢すると……どんなに酷い奴でも父親は父親だから。父親のいない子にはできないと……」
「そんな……」
「他にも離婚できない理由があったらしいんですけど、ガンになった事でこれ以上我慢したくないと思ったようで。離婚が成立して今から家を出ようとしたところだったんです……だから奥さんが木村次郎を絞殺する必要はなかったんです」
「……じゃあ……奥さんは犯人じゃ……」
でも、今の話し方……
まるで見ていたかのように聞こえたけど……
「……違います。絶対に……」
「じゃあ……犯人は……?」
「分かりません。でも……絶対に奥さんは犯人じゃありません!」
「……鈴木さん」
「このまま奥さんが目覚めなかったら……奥さんは犯人にされますか?」
「……私には……分からないけど……奥さんのSNSのアカウントって……教えてもらえる?」
「あ……はい。鍵がかかっているから小田さんの携帯電話からだと見られないですけど……」
鈴木さんがSNSの画面を開くと……
「……え?」
フォロワーは三人のはず。
二十人になっている?
「小田さん? どうかしましたか?」
「鍵が……外れているみたい」
「……? え? ……そんな! どうして……」
どういう事?
奥さんは意識不明で入院中のはず。
一体誰が鍵を外したの?
もしかして、お子さんが?
「今のうちにフォロー! フォローしないと!」
慌てて私の携帯電話で奥さんのアカウントをフォローする。
これでいつでも奥さんの投稿を見られる……
……?
鈴木さんの顔が青ざめている?
「鈴木さん? 大丈夫?」
「あ……私……帰らないと……」
「え? あ……教習所に行くの?」
「教習所……? あ……はい。あの……小田さん……」
「……うん?」
「私……」
「鈴木さん? 大丈夫? 顔色が……今にも倒れそう……」
「あ……大丈夫……です。もう行かないと……」
「鈴木さん! ちょっと待って! SNSで繋がろう?」
「……え?」
「奥さんのフォロワーのところから繋がれるでしょう?」
「あ……でも……」
「心配なの……放っておけない……だから……」
「小田さん……ありがとう……でも……もう行きますね……さようなら……」
「鈴木さん……」
大丈夫かな?
フラフラしながら出ていったけど。
でも、一人になりたそうに見えたし……
あれ?
奥さんのアカウントにまた鍵がかかっている。
これってどういう事?
しかも十数件増えたフォロワーがどんどん減っていっている?
誰かが削除しているんだ。
私も削除されちゃう!
今のうちに鈴木さんのアカウントだけでもスクショを……
「何をそんなに慌ててるんだ?」
……!?
叔父さんが私の携帯電話を取り上げた!?
「ちょっと……叔父さん! 今大事なところだから!」
「大事なところ? 事務所では所長と呼べ」
「今はそれどころじゃ……あ! ちょっと! 電源が落ちてる!」
「お前が慌てて押したんだろ?」
「うわあぁ! 鈴木さんのアカウントのスクショは!? 早く起動して!」
「少しは落ち着け」
「落ち着けるわけないでしょ!? うわ……ダメだ。奥さんのSNSが見られない……鈴木さんに連絡できなくなっちゃった……」
「……教習所に行けばいいだろ」
「え? あ! そうか! そうだよね。今から教習みたいだったし。行ってくる!」
慌てて玄関を出る。
走れば教習所までの道で会えるかも。
「……え? 合宿教習は来週から?」
教習所の受付のお姉さんが教えてくれたけど……
「えっと……鈴木さんという大学生が一昨日には合宿に参加しているはずで……」
「まだ合宿は始まっていませんし……鈴木さんという大学生が参加しているのかも……個人情報ですから……」
「……個人情報。確かに……そうですよね。でも、合宿は来週からなんですよね?」
「はい……」
「まだ……合宿に来ている人は……いない……?」
じゃあ……
鈴木さんは一体……
「叔父さん! 大変だよ!」
慌てて探偵事務所に駆け込むと叔父さんに話しかける。
「だから事務所じゃ所長と呼べ」
「だって……鈴木さんが合宿教習に参加していないみたいなの。合宿は来週かららしくて」
「やっぱりそうか」
「え? やっぱりって?」
「典型的な偽名だろ?」
「偽名!?」
「しかも駅前のバーは一昨日は休みだ」
「え!? 叔父さんは全部嘘だって分かってて鈴木さんの話を聞いていたの!?」
「……木村次郎とその妻に関しては嘘はなさそうだったな」
「……え? それって?」
「お前に近づきたくて嘘をついた……そんなところか?」
「……? どうして嘘までついて私に近づく必要が?」
「……見てみるか?」
「え? 何を?」
「木村次郎の妻のSNSを……」
「叔父さん?」
叔父さんが携帯電話の画面を開くと……
「これって木村次郎の奥さんの……フォロワーは三人に戻っている……じゃあ、叔父さんはずっと前から奥さんのSNSを見ていたの?」
「ああ……そうだな」
「どうして?」
「どうして……か。そうだな……今はまだ言えない。だが……フォロワーの部分のスクショを送ってやるからさっきの……『鈴木』と連絡をとれ」
「鈴木さんと?」
「そうすれば……全ての謎が解けるだろう。といっても誰がSNSの鍵を外したのか鈴木には分かっていないようだがな」
「そうなの? 残りの一人のフォロワーは誰なの?」
あれ?
今『鈴木には』って言った?
「さあな」
「……叔父さんは何か知っているよね?」
「……これでも探偵だからな」
「……浮気調査と迷い猫捜しの?」
「……あとは……人捜しのプロだな……」
「……ふぅん。そのわりに全然仕事をしてくれないけど……」
「とりあえず鈴木と繋がれ」
「うん! 分かった!」
鈴木さんのアカウントをフォローしたけど……
特に何かを発信しているわけじゃないんだね。
読む専用のアカウントなのかな?
あれから一週間……
鈴木さんから連絡はこない。
叔父さんも何も教えてくれないし……
うーん……
できる事が何もない。
さらに一週間後___
鈴木さんから連絡はなく、普段通りに過ごしている。
叔父さんが木村次郎の奥さんのSNSを見せてくれる事はなく、わたしはモヤモヤしながら猫捜しをしている最中だ。
うぅ……
もう真っ暗。
今何時?
あ……
もう今日が終わっている……
叔父さんは全然手伝ってくれないし。
少しは役に立ってよ!
モモちゃんの脱走はもう四回目……
毎回自力で帰るけど、飼い主のおじいさんとおばあさんは心配なんだろうな……
「あれ?」
ここって……
鈴木さんが偽者の私と入ったっていう設定のバー?
叔父さんはその日バーは休みだったって言っていたけど……
あ……
リュックの中で携帯電話が鳴り始めた。
飼い主のおばあさんからのモモちゃんが帰ってきたっていう連絡かな?
毎回これくらいの時間だし……
「あ、真葵ちゃんありがとう。モモちゃんが帰ってきたの」
電話から聞こえるおばあさんの声が嬉しそうだ。
「無事に帰ってきてよかった。じゃあ……おやすみなさい」
はぁ……
これで私も眠れる……
家に帰ろう。
でも……
このバー……
前に叔父さんと一度だけ来た事があるんだよね。
一杯だけ……
一杯飲んだら帰ろう。
猫が帰ってきたお祝い……とか?
扉を開けるとカランコロンと音が鳴る。
そうそう。
あの時もこの音がしたよね。
二年前……
私の二十歳の誕生日に来たんだ。
「いらっしゃい……あ、小田ちゃんのところの真葵ちゃん……?」
バーテンの狩野さんがにこやかにカウンターに迎えてくれる。
黒い長髪を後ろでひとつに結んで大人の色気を感じる。
こういうのが本物のダンディだよね。
叔父さんとは全然違うよ。
「あ、はい。お久しぶりです。覚えていてくれたんですか? 一度しか来ていないのに」
「え? 最近……派手な女性と来たのは真葵ちゃんじゃなかったのか……」
「わたしが……ですか?」
「小田ちゃんと似ていたからてっきり……でも、こうして見ると別人だね。あの時も久しぶりに会ったと思ったから『お久しぶりです』と話しかけて……」
「あはは。そうですか。いきなり間違えられて女性も驚いたでしょうね」
「『初めて来ました』と言われて。でも真葵ちゃんが来たのはもう二年くらい前になるから忘れているのかと……」
「そんなに似ていたんですか?」
「うーん……俺も二年ぶりだったから雰囲気でなんとなく真葵ちゃんかなって……」
「そうですか……叔父さんは毎日のように来ているみたいですね」
「そうだね。さっき帰ったよ?」
「もう……私にモモちゃんを捜させて自分はお酒を……少しは働いて欲しいよ」
「ははは。小田ちゃんらしいね」
「はぁ……困った叔父さんなんです。何か甘いカクテルはありますか?」
「じゃあ……ダンディスペシャルはどうかな?」
「ダンディスペシャル? あはは。叔父さんと来た時に飲んだ記憶が蘇ってきました」
「小田ちゃん考案のカクテルで『ダンディスペシャル』……常連の間では密かな人気なんだよ?」
「何にでもダンディをつけたがるんです。恥ずかしい……」
「小田ちゃんは『ダンディ』と言われるのが夢らしいから」
「ブカブカでヨレヨレのトレンチコートに大き過ぎるハット……あれが叔父さんの中でのダンディなんです」
「ははは。遠目でもすぐに小田ちゃんだと分かるよね」
「はぁ……困った叔父さんです」
「あ……駄菓子は好き?」
「駄菓子?」
「さっき話した小田ちゃんに似た女性が大量に駄菓子を持っていてね。懐かしくて買いにいったら、ついつい大人買いをしちゃって」
「確かに……大人になって駄菓子屋に行くとつい買い過ぎますよね」
「袋から溢れるくらい買ってきて、結局食べきれそうになくて」
「あはは。どこかで聞いた話です……あ、そうだ。知り合いの女性がおばあさんから駄菓子を大量にもらって、このバーの前で落としたって……」
「それは……二週間程前に来た小田ちゃんに似た女性かな? それで俺も駄菓子を食べたくなったんだよ」
「……え?」
それって鈴木さんの事?
「落とした駄菓子を派手な三十代後半くらいの女性が拾ったらしくて……意気投合して三時間くらい向こうのテーブル席で話をしていたよ」
「え? 叔父さんはその日はバーは閉まっていたって……」
「……? そう? 確かその日も小田ちゃんは来ていたはずだよ。女性達が来てしばらくすると小田ちゃんが来店して……いつもはカウンター席に座るのに女性達とテーブル席に行ったから、てっきり女性の一人が真葵ちゃんなのかと……」
「……え?」
どういう事?
叔父さんは鈴木さんと会っていたの?
でも事務所ではそんな素振りは……
「翌日、小田さんが『子供の成長は早いものだ』と話していたから……もしかしたら親戚のお嬢さんなのかもしれないね。雰囲気が似ていたし」
「親戚……?」
だったらどうして事務所で他人の振りをしていたの?
叔父さんは何か重要な事を隠しているんじゃ……
でも鈴木さんは叔父さんを全然知らないみたいだったけど……
叔父さんと暮らしている小さなアパート___
まだリビングに電気がついているのが外から見える。
玄関の鍵を開けると……
涼しい。
またクーラーを最強で使っている……
電気代が高くなるからダメだって言っているのに。
「もう! 叔父さん! クーラーが強過ぎるよ!」
「まったく……ケチケチするなよ。帰ってきたら部屋が暑過ぎたんだ」
「暑過ぎたじゃないでしょ!? さっきまで駅前のバーでお酒を飲んでたくせに!」
「……行ったのか?」
「……どうして嘘をついたの?」
「……何がだ?」
「何がって……バーで、鈴木さんとお菓子を拾った女性と会っていたんでしょ?」
「……? 何の話だ?」
「……え? 何の話って……バーの狩野さんから聞いたんだよ」
「狩野が? あいつがそんな事を?」
「鈴木さんと女性と話していたって。待ち合わせでもしていたの? 狩野さんが、鈴木さんと叔父さんは親戚じゃないかって言っていたよ?」
「……は? どういう事だ?」
「どういう事って……わたしと鈴木さんが似ているって……」
「はぁ!? お前……自意識過剰か? 鈴木って女とお前が似てると思うのか?」
「え? あ……確かに鈴木さんは華奢でかわいい……うわ……恥ずかしい。酷い勘違いをしちゃったのかも。狩野さんは私じゃなくて、叔父さんと鈴木さんが似ているって言っていたんだった……」
「お前は骨格がしっかりしてるし……残念ながら父親似だ。遺影の父親とお前はそっくりだ」
「ううっ! パパは元ラグビー部だったからかなり大きかったんだよ……」
「……オレがバーにいたなんて……狩野がどうしてそんな話を?」
叔父さんは『あの日はバーが休みだった』って言っている。
でも、鈴木さんは『バーで派手な女性と話をした』と言って……
バーの狩野さんは『鈴木さんと女性と叔父さんが三人で話していた』と言っていた。
誰かが嘘をついている……
でもどうして?
「さて……と」
今は朝の六時……
叔父さんの部屋からはイビキが聞こえている。
じゃあ出かけようかな……
誰が嘘をついているか……
そんなのは簡単に分かるんだ。
防犯カメラ……
バーの近くにあるのは……
畳屋佐藤駅前店だね。
あそこのおじいちゃんは早起きだから……
やっぱり。
毎朝この時間はいつも店舗前の掃除をしているんだ。
「朝早くにごめんなさい。佐藤のおじいちゃん。少しいい?」
「ん? 真葵ちゃんか。どうかしたのかな?」
「防犯カメラを確認したくて」
「防犯カメラ? またモモちゃんが行方不明なのかな?」
「別件でね……いいかな?」
「真葵ちゃんの頼みなら何だって聞いてあげるよ。それにしてもピーピー泣いてた真葵ちゃんが立派になって……」
でた!
おじいちゃんの『真葵ちゃんは立派になって』!
会うたびに毎回言われるんだよね。
「私はもう二十二歳だよ?」
「小さい頃から知ってるから、いつまでも小学生みたいに思えて……俺は掃除をするから勝手に見てきていいよ」
「おじいちゃん……いつもありがとう」
うーん……
まだ残っているかな?
あぁ……
ダメか……
一番古いものが一週間前だ。
「どうだった? 見たいものはあったかな?」
「うーん……もう少し早く来ていればよかったみたい」
「そうか。役に立てなかったか」
「そんな事ないよ」
「でも何を調べたかったのかな?」
「あぁ……うん。一か月前に叔父さんが女性とお酒を飲んでいたらしくて」
「小田ちゃんが? へぇ。そりゃデートかな?」
「あはは。ほら、どんな人かなって気になって」
本当の事は言えないよね。
「うーん……でも、デートじゃないだろうなぁ」
「え? どうして?」
「小田ちゃんは一途だから」
「一途?」
「ん? うーん……俺から聞いたのは内緒だよ? 小田ちゃんは……そうだなぁ。二十年くらい前に結婚を約束してた人がいて。そりゃあ綺麗な人だった」
「え? そうなの?」
「でも……突然行方不明になったんだ」
「その女性はまだ見つからないの?」
「ん? 行方不明になったのは小田ちゃんだよ」
「……? え?」
「その女性は一年くらい、この町で小田ちゃんの帰りを待ってたんだけど……帰ってくるかも分からない小田ちゃんを待てなかったんだろう。実家に帰るって言って出ていったんだ」
「そんな……」
「それからすぐ小田ちゃんが帰ってきたんだけど……痩せ細って傷だらけで……ありゃ、何かあったんだろうって皆で話してたんだ。でも小田ちゃんは何も話さなくて」
「それで叔父さんはその女性を迎えに行ったの?」
「うーん……自分にはその資格が無いって言っていたよ。でもしばらくしてから我慢できなくなって聞いていた実家の場所に行ったら……」
「行ったら……?」
「商業ビルだったらしい」
「……え?」
「嘘の住所……だったんだなぁ。もう何十年も前から建っているビルだったらしい」
「……それってどういう事?」
「さぁな……でも、それを知った小田ちゃんは笑ってた。『これで良かったんだ』ってなぁ」
「……? よく分からないよ」
「そうだなぁ。俺にも分からない。でも……気をつけろ。小田ちゃんは何かヤバい仕事をしてるんじゃないかって言ってる奴もいる」
「……え? 叔父さんが?」
「真葵ちゃんが小田ちゃんに引き取られたのは……いつだったか……」
「私が十一歳の時だよ?」
「十一歳か……」
「私には母親がいなくて、父親が行方不明なってね。親戚もいなくて施設に入ったの。でもしばらくすると叔父さんが迎えに来てくれて」
「苦労したんだなぁ」
「そうでもないよ。叔父さんは会った事もない私を引き取って大学まで行かせてくれたんだから」
「小田ちゃんには会った事がなかったのかな?」
「うん。『頼れる人はいないから二人で生きていこう』が口癖の父親でね。親戚には会った事がなかったの」
「じゃあ小田ちゃんはどこで真葵ちゃんの事を知ったのかな?」
「叔父さんは人捜しのプロだから捜し当てたって言っていたけど……」
「そうか……でも今の真葵ちゃんの姿を見たらお父さんも喜んでいるだろうなぁ。自分の兄弟が大事な娘を育ててくれたんだから……」
「あぁ……それは違うの。叔父さんは母親の弟でね」
「え? そうなのか?」
「うん。母親はかなり若い時に私を産んだらしくて。でも妊娠に気づいた時にはもう父親と別れた後だったの。母親は私を育てきれなくて父親の家の前に置いて、そのまま逃げたらしくてね」
「逃げた……?」
「それからは父親と二人暮らしだったの」
「……小田ちゃんは本当に母親の弟なのか?」
「え? うん。施設に来た時にそう話していたから」
「母親の……弟だったのか」
「私の母親はもう亡くなっていたみたい。未婚で私を産んだんだって」
「そうだったのか……」
「でも今は幸せだよ?」
「……思い出すなぁ。初めて真葵ちゃんが小田ちゃんに連れられてこの町に来た時を……」
「私も覚えているよ。探偵だって聞いていたのにやっているのは浮気調査と迷い猫捜しで。いつもブカブカでヨレヨレのトレンチコートを着て大き過ぎるハットを被って……」
「やってる事は今と何も変わらないなぁ……」
「確かに! あはは!」
「真葵ちゃんが幸せならそれでいい……そうか……もう真葵ちゃんがここに来て十年以上経つのか」
「あっという間だったよ」
「そうだなぁ……」
「あ! しまった。朝食の準備をしないと! おじいちゃん、叔父さんには私が防犯カメラを見に来た事は内緒にしてね?」
「ははは。バーで秘密の恋人に会っていたのを探りに来た事がバレたら怒られるかな?」
「えへへ。叔父さんは私のたった一人の家族だからね。悪い女に騙されていたら大変でしょ?」
「ははは。真葵ちゃんがそんな事を言うほど大人になったなんて……涙が出てくる……」
「もう! 全然涙なんて出ていないよ? あはは! じゃあ、おじいちゃんありがとう」
「またいつでもおいで」
「うん!」
こうしてアパートまで慌てて走る……
今何時だろう。
携帯電話で確認……
あれ?
ない?
ポケットに入れておいたはずなのに……
あ!
畳屋に置いて来ちゃったんだ。
うわあぁ……
戻らないと。
畳屋に戻ると……
あ……
もうおじいちゃんは掃除を終わりにしたみたいだ。
家に入っちゃったかな?
ご飯を食べ始めていたら悪いし携帯電話だけ持って帰ろう。
そっと扉を開けてお店の中に入ると……
あ!
あったあった。
私の携帯電話。
はぁ……
よかった。
「小田……かった……違……」
「や……そうだった……」
ん?
この声は……
畳屋のおじいちゃんとバーの狩野さん?
二人で叔父さんの話をしているみたいだけど……
うーん……
ここからじゃ、よく聞こえない。
「小田……秘密を……」
「……知られたら……やるしか……」
……?
叔父さんが秘密を知ったらやるしかない?
やるしかない……
殺るしかない!?
二人は一体何を話しているの!?
「じゃあ……」
「あぁ……」
狩野さんが帰っちゃった。
おじいちゃんに気づかれる前にここを出ないと……
こっそりお店から出てアパートに急ぐ。
何だったの?
さっきの話……
二人が叔父さんを殺……
絶対ダメ!
私が何か余計な事を話しちゃったから叔父さんが……?
何を話したっけ?
アパートの鍵を開けて中に入る。
すぐに鍵を閉めると身体の力が抜けて座り込む。
「はぁ……はぁ……」
疲れた……
久しぶりにこんなに全力で走った。
「真葵?」
「うわあぁ! びっくりした!」
叔父さんがいきなり話しかけてきた!?
「何をそんなに……お前は、いくつになっても落ち着きがないな」
「うぅ……」
「朝から汗ビショじゃないか」
「……叔父さん! 逃げよう!」
「……は?」
「畳屋のおじいちゃんとバーの狩野さんが叔父さんを殺るって言っていたんだよっ!」
「……はあ?」
「だから! 盗み聞きしちゃったの! さっき二人が叔父さんが秘密を知ったから殺るしかないって……」
「あの二人が? ……何か聞き間違えたんだろ? お前はそそっかしいから」
「違うの! 本当に……」
「いいから早くシャワーを浴びてこい。まったく……」
「叔父さん! 本当に二人は叔父さんを……」
「分かった分かった。分かったからシャワーだ!」
「叔父さん……」
全然信じてくれない……
どうしよう……
叔父さんまでパパみたいになったら……
シャワーを浴びてリビングに行くと……
叔父さんがいない。
部屋かな?
あれ?
いない。
靴は?
無い……
まさか拐われた!?
どうしよう……
どうしよう……
助けに行かないと!
身体が震えて足が動かない。
でも……
何もしないで後悔するのは絶対に嫌!
何か武器になる物は……
よし、修学旅行で叔父さんに買ってきてあげた木刀……
あとは……
私が小さい時に自転車に乗る用に叔父さんが買ってくれたヘルメット!
安全第一……
私を守ってね。
畳屋に走る。
もう汗ビショだよ。
あ……
畳屋の中に叔父さんがいる!
やっぱり拐われたんだ!
今助けるからね!
「叔父さんっ! 助けに来たよっ!」
慌てて扉を開けると大声で叫ぶ。
「……!? 真葵ちゃん!?」
「……!? 真葵!?」
二人が私を見て驚いている?
「叔父さん! 逃げよう! 誰も知らない遠くまでっ!」
「……はあ?」
叔父さんが呆れている?
「ぷっ! あはは! 真葵ちゃんは相変わらず勘違いが酷いなぁ。あはは!」
おじいちゃんが笑い出した!?
叔父さんを拐ったのに何を笑っているの!?
「おい……真葵……何だその姿は……二十二歳にもなって」
「だって叔父さんがおじいちゃんに拐われたから助けに……」
「はぁ……お前……ヘルメットを被って木刀って……その姿でここまで走ってきたのか?」
「え? うん……」
「恥ずかしいって言葉を知ってるか?」
「恥ずかしい……? うわあぁ! 私……確かに……恥ずかしい……かも……」
「あはは! 真葵ちゃんは面白いなぁ。俺が小田ちゃんを拐った? 無理無理。この年齢差があるのに力で勝てるはずがない……あはは!」
「え? あ……確かに。でもバーの狩野さんと二人なら……」
「狩野ちゃん? 今頃寝てるだろ? あはは!」
「でも、さっき狩野さんと二人で叔父さんを殺るって……」
「あはは! 今、小田ちゃんから聞いたところだ。真葵ちゃんはいくつになってもそそっかしいなぁ」
「……え?」
「いや、実は真葵ちゃんの事を小田ちゃんの娘なんじゃないかと狩野ちゃんと話した事があって」
「え? 私が叔父さんの娘?」
「でも誤解だったって、さっき狩野ちゃんと話したんだ」
「え……? でも叔父さんを殺るって……」
「あはは! やるって? 真葵ちゃんは本当にそそっかしいなぁ。そうじゃなくて、バーで会った女の子が小田ちゃんに似てたって狩野ちゃんに聞いて……派手な三十代くらいの女性っていうのがさっき話した小田ちゃんの昔の彼女じゃないかって事になって」
「え? そうなの?」
「でも、違ったらしい。なぁ、小田ちゃん」
「まったく……皆で好き勝手勘違いばかりして」
叔父さんが呆れ果てている?
「叔父さん……何があったか話してよ。頭が爆発しそうだよ」
「仕方ないな……でもその前にヘルメットと木刀をなんとかしろ。近所の変わり者って噂される前にな」
「近所の変わり者? ……うぅ。確かに……」
おじいちゃんがお茶とおせんべいを出してくれる。
高級なお茶の香り……
家では飲めない高いお茶……
「お前……分かりやすいな。家じゃ飲めない高級茶だからって喜び過ぎだ」
叔父さんは私の心の声が聞こえるのかな?
全部バレているよ。
「だって本当に家じゃ飲めないんだから仕方ないでしょ? でも叔父さんが禁酒すれば毎日高級なお茶が飲めるかも……」
「どうせお前には味なんか分からないんだから安いお茶を飲んでろ」
「分かるもん。高いお茶と安いお茶の違いくらい分かるもん!」
「で? 俺が殺されると思った理由を説明しろ。お前の事だからいつもの訳が分からない妄想でもしてたんだろ?」
「訳の分からない妄想じゃないもん! ただ……叔父さんが私のせいで殺されると思って……」
「だからどうしてそうなるんだ?」
「私が……叔父さんと三十代くらいの派手な女性と鈴木さんがバーで会っていたって知った……から?」
「どうしてそれを知ると俺が殺されるんだ?」
「え? それはおじいちゃんとバーの狩野さんがそう言っていたから」
「はぁ……辻褄が合わな過ぎだろ?」
「でもでも……」
「でもでもじゃない! まったくお前はいつも空回りして周りに迷惑ばかりかけて」
「……ごめんなさい。叔父さんが殺されちゃうかと思って……苦しみながら殺されちゃうかと思って……また……ひとりぼっちになっちゃうかと思って……そしたら……すごく怖くなって……」
「真葵……」
「叔父さんがパパみたいに……いなくなっちゃうのは嫌だよ」
「……俺はいなくならない。真葵を置いていなくはなれない。お前は俺を守る為にヘルメットを被って木刀を振り回しながら乗り込んでくるような奴だからな。俺以外にそんな危ない姪を止められる奴はいないだろ?」
「叔父さん……私は木刀を振り回していないけど……」
「通報されてもおかしくない顔だったぞ?」
「な!? そんなに怖い顔だった!? おじいちゃん……ごめんなさい」
「気にしなくていいんだよ。それだけ真葵ちゃんが小田ちゃんを大切に想っているっていう事だ。真葵ちゃん? さっきの話だけど……お父さんは行方不明になったんだよね?」
「……え?」
「あ……いや。なんとなく……違うように思えて」
「パパは……誰かに連れ去られたの」
「……え? 連れ去られた?」
「私の目の前で……」
「真葵ちゃん……? 何があったか話せそうかな?」
「……うん。あれは私が十一歳の時……パパと二人で小さいアパートで暮らしていたの。いつもパパが帰ってくる時間に玄関の外から音がしたからパパだと思って……でも鍵をガチャガチャ触っているのになかなか入ってこないから覗き穴から外を覗いてみたら……目出し帽の二人が見えて」
「え? 目出し帽?」
「泥棒かと思って警察に電話したの。でも指が震えてなかなか上手くいかなくて……やっとかけられて住所を伝えたの」
「警察は間に合ったの?」
「……ううん」
「……間に合わなかったの?」
「パパがちょうど帰ってきて……外から揉めている声が聞こえてきて……覗き穴から見たら……パパが殴られていて……扉の前に立って開けられないように……私を守ってくれているように見えて……」
「そんな……」
「そのまま連れ去られたの……その後すぐに警察が来て……でもパパは……もう見つからなかった」
「それって……当時マスコミが騒いでいた……」
「あの頃はテレビでやっていたから……」
「そうか……真葵ちゃんがあの時の……」
「パパがいなくなって、その後すぐに施設に入ったの。でも……パパが連れ去られた時の出来事があまりに辛過ぎて……そんな時……叔父さんが迎えに来てくれたの」
「そうだったんだね……」
「ブカブカでヨレヨレのトレンチコートに大き過ぎるハット……でも……笑顔がすごく優しかった」
「それからこの町に来て暮らし始めたんだね」
「うん。私は手がかかったはずだよ? あの頃は不安定で……でも叔父さんはずっと私に寄り添ってくれたの。それから七年経って失踪宣告が認められて……パパは……亡くなれたの」
「亡くなれた……か」
「遺体は無いけど……なんとなく……安心したんだ」
「安心……?」
「変だよね……でも、この時……やっと……パパが穏やかに天国に逝けたように思えたの」
「……そう」
おじいちゃんが悲しそうに呟いた。
話さない方がよかったかな?
「……話すなら……今かもしれないな」
叔父さんが覚悟を決めたように呟いた?
「真葵……お前の母親……俺の姉の事だ」
「ママの事?」
今まではママの話をしたがらなかったのに……
「……姉は……二十二年前……行方不明になっている」
「……え?」
「姉は一人でお前を産んだ。父親の事は誰にも話さずに……出産後お前を連れて出生届を出しに役所に行った時……何者かに連れ去られた」
「……何……それ……どういう……」
「だが……父親は……お前がパパと呼ぶそいつで間違いないだろう」
「……パパ? 私は……どうやってパパの所に……」
「姉はなんとかお前だけでも逃がそうとしたんだろう……父親の家の前にお前を隠すと……すぐに捕まったようだ。防犯カメラを確認したから間違いない……」
「……ママは? ママは……それから……」
「見つからなかった……連れ去った車のナンバーを頼りに捜そうとしたらしいが……盗難車だった」
「そんな……」
「真葵……お前は捨てられたんじゃない。なんとかしてお前だけでも助けようと……姉は……」
「叔父さんはママの行方を……追っていたの?」
「あぁ。そうだ。今でも生きていると信じている。いや。実際生きているはずだ……だが……連れ去られ七年経った時……失踪宣告を申し立てた」
「……生きているって信じているのに?」
「奴らに……俺が姉から手を引いたと思わせる為にな……」
「奴ら……?」
「真葵の父親と母親を拐った奴だ」
「パパを拐った……誰が犯人か知っているの!?」
「今は言えない。だが……嫌でも巻き込まれる運命のようだ」
「巻き込まれる……運命?」
「埼玉に行って鈴木に会ってこい」
「鈴木さんに? でもどこに……って言うより鈴木さんは偽名なんじゃ」
「いや、鈴木は嘘を言っていない」
「……え? でも教習所には行っていなかったし……」
「合宿教習は一か所じゃないだろ。お前は祖父母宅から電車に乗り、教習所のあるこの駅に来た時に三十代の女に会ったと思ったようだが……実際は祖父母宅があるこの駅から電車に乗り、教習所がある駅に向かっていた」
「じゃあ……鈴木さんは……嘘を言っていない?」
「隠し事はあるようだがな……」
「隠し事?」
「それは本人の口から聞け」
「叔父さん……?」
「鈴木の……いや、木村次郎……それとその妻は……奴らにやられたはずだ」
「奴ら?」
「お前の両親を拐った奴らだ」
「木村次郎と奥さんが……どうして……」
「……三十代後半の女性……あれは……こちら側の人間だ」
「こちら側の人間? 叔父さん? 何なの? 怖いよ……」
「鈴木の住所は埼玉県……」
「え? 紙に書いてよ!」
「ダメだ。いいか? 俺は一緒には行けない。奴らに目をつけられているからな。鈴木に会ったらすぐに帰ってこい。誰も信じるな。全てを疑え」
「叔父さん?」
「お前にも鈴木にも見張りがついている」
「見張り? それって……」
「鈴木がここに来た時に……全てが終わり全てが始まってしまった」
「……叔父さん?」
「お前を守ると決めてからのこの十一年……今までの全てが無駄になってしまった。鈴木が会いに来たせいでな」
「一体何が起きているの?」
「死ぬ奴と生き残る奴の違いが分かるか?」
「……え?」
「死ぬ奴は用済み、生き残る奴はまだ利用価値がある奴だ」
「叔父さん……何の話か分からないよ」
「お前が生きているのも俺が生きているのも利用価値があるからだ。つまり俺の姉……お前の母親は生きている」
「ママが……生きている? じゃあパパは!?」
「それは……分からない。お前の母親が死んでもお前が生きていれば……父親は生きている」
「……? どういう事?」
「そのうち嫌でも知る事になる」
「叔父さん?」
「お前の母親が死んで俺が行方不明になって……お前が生きていたら、お前の父親が生きているという事だ。いや、違うか……?」
「分からないよ……叔父さん! ちゃんと教えてよ!」
「早く鈴木に会いに行け。鈴木が生きているうちに……いや、もしかしたらもう……」
「叔父さん? まさか……鈴木さんが……死……」
「全ては鈴木の口から聞け。急げ! さっき教えた住所に行くんだ! なるべく人通りが多く明るい道を選べ!」
「嫌だよ……行きたくない……怖いよ……」
「……俺だって行かせたくない。だが……全てを知って生き残る道を進むしかないんだ」
「叔父さん……」
「全てを知ればこれから先の生き方が変わるはずだ。奴らを刺激せずに生き残る方法を……な」
「……でも」
やっぱり怖いよ……
「真葵ちゃん……行くんだ」
黙って話を聞いていたおじいちゃんが口を開いた……
「おじいちゃん?」
「俺もそうだ……」
「おじいちゃん……何? 何の話をしているの?」
「俺もこちら側の人間だ」
「こちら側の人間? こちら側の人間って何?」
「バーの狩野ちゃんもそうだ」
「狩野さんも? 何の話を……」
「真葵ちゃんに利用価値があるうちは生きていられる。……全てを知って備えるんだ」
「備える? 何に……?」
「帰ってきたら、教えられる事は教えよう……今は埼玉に行ってくるんだ。明るいうちに帰ってくるんだよ?」
「おじいちゃん?」
「今から行けば……十五分後の電車に乗れるな……真葵……今の話を鈴木にしてやれ。鈴木の知らない内容もあるはずだ。そして真葵の知らない話を聞いてこい。俺たちはそうやって少しずつ情報を集めて奴らに立ち向かおうとしている」
「立ち向かう? ……叔父さん……怖いよ」
「急げ……もう、今までのようには暮らせなくなった」
「……え?」
「これからは常に誰かに見張られ追われ……いつ命を奪われるか分からない恐怖に怯えながら暮らす事になる。だがそれはお前が気づかなかっただけで……ずっとそうだった」
「私はずっと誰かに狙われていたの?」
「……今この瞬間も……奴らは俺達を見張っている」
「そんな……」
「俺達が生きているのは……拐われた俺の姉、つまりお前の母親に利用価値があるからだ。そして……お前の父親は……生きている」
「叔父さん……もっと分かりやすく話して……」
「真葵……お前の母親はかなり利用価値が高いらしい。……俺もお前も生かされているからな。だが……何かあった時に先に殺されるのは……俺だろう。俺が生きているうちはお前を守りたい……だから目立った行動は避けなければならない。……俺を殺しても奴らには、お前という切り札がある」
「叔父さん……分からないよ……」
「お前は俺よりも安全という事だ。さぁ……行くんだ。真葵……」
叔父さんが今にも泣きそうな顔をしている……
私……
どうしたらいいの?
怖い……
怖いよ……
これから一体どうなるの?