第七話:パンダ、夢に背中を貸す
森の小径をたどり、しばらく歩くと小さな町の門が見えた。
「お、なんとか町に着いたようだな」
「キュー」
荷物をなくした俺たちは、途中魚を獲ったり(カワウソが)、木の実を採ったりしながら道中を食い繋いでここまで来た。
幸いにして、天気は良好。川もあったので飲み水にも困らない。
まあ、茶は飲めなかったが、それもまた”旅”ってやつだろう。
クロヤナギ村の門より、ひと回りほど大きな門をくぐると、正面に大きな通りがあった。
「え?パンダ?」
「二足歩行だと?」
なんて声にも慣れたものだ。
通り沿いに進むと、脇の方、町の入り口付近に、風変わりな看板がぶら下がっているのが見えた。
【魔法道具あります なんでも少し動くかもしれません】
なんとも頼りない文句に、俺は思わず足を止めた。
「……少し、ってなんだ」
「キュー……(=不安しかない)」
肩の上のカワウソが首をかしげる。まあ、俺も同じ気持ちだ。
「にしても、”魔法道具”?って何だ?ひょっとして、この世界、魔法があるのか?」
村での生活は見かけることのなかった”魔法”、その魅惑的なワードに俺のパンダセンサーが反応する。
「ま、覗くだけなら大丈夫だろ。ちょっと行ってみるか」
俺は店のほうに鼻を向けた。
その建物は、町の大通りからちょっと外れた裏路地の端っこにあった。
木造の小屋は傾きかけていて、扉のヒンジが軋む音を立てている。
店先には錆びた風鈴と、魔法で光るはずの看板石――が、うっすら点滅していた。
「……まばたきしてるのか、これは」
ギギい、と音を立てて扉を押し開けると、店の中は想像以上に雑然としていた。
棚には瓶や歯車のついた物体、小さな宝石、くすんだ布。
ぱっと見た限り、何がなんの道具なのかまるでわからない。
「いらっしゃ――」
カウンターの奥から顔を出したのは、まだあどけなさの残る少年だった。
年のころは、リオナより少し上くらいか。
くしゃっとした栗毛の髪に、真っ直ぐな瞳。だが、俺を見るなり口をぱかっと開いた。
「ぱ、パ、パンダ!?」
「ああ、パンダだ。喋るし歩く」
「し、喋ったああああ!?」
後ずさりしながらひっくり返った少年の足元で、何かの試作品がカランと音を立てて転がった。
それがテーブルの脚に当たり、棚の上の小瓶が揺れて――
「っと、あぶねえ!」
俺が前足を伸ばして瓶をキャッチする。
間一髪だった。中身が何かわからん以上、地味に緊張したぞ。
「……落ち着いたか?」
「お、落ち着いて……ます、たぶん……」
「よし、じゃあ改めて。通りすがりの旅のパンダだ。名はハクジン。よろしくな」
「ぼ、僕はミロ……魔道具屋の、店番やってます……!」
やや震え気味の声で名乗った少年――ミロは、俺の見た目にだいぶ驚いた様子だったが、徐々に落ち着きを取り戻していった。どうやら“話せる変わり者”にはそこそこ耐性があるらしい。
「こいつは相棒のカワウソだ」
「キューッ(=初めまして)」
「……パンダとカワウソのコンビ……すごい組み合わせだ……」
ミロがぽつりと呟いたあと、にやっと笑った。
「……でも、なんか、好きかも。なんか、いいなあ、そういうの」
「なんだそれ」
店内の奥からは、魔法で自動攪拌するスープ鍋の試作品や、空回りしているだけの羽根つき靴などが転がっている。
「……この店の商品は、どれくらい“動く”んだ?」
俺がそう聞くと、ミロは少し照れたように頬をかいた。
「……今は、あんまり。まだ見習いだから。失敗ばかりで、ほとんどちゃんと動かないんです。でも……いつか、ちゃんと動かせるようになったら、って思ってて」
そう言って、奥の棚から何かを取り出して見せてくれた。
「これ、僕が作った“自走式ほうき”です。まだ試作一号だけど、ほら、タイヤつけて、魔力注入するとちょっとだけ前に進む予定だったんですけど……いまのところ、ちょっとだけ回転して終わります」
「……なるほど」
見た目は、子どもが手作りした木の模型にしか見えない。
けど、どこか懐かしくて、温かみがある。
完成度とか精度じゃなく、“ものづくり”に込められた熱が、にじんでる気がした。
「おまえの夢は?」
「えっ?」
「お前の“最終目標”ってやつだ。このほうきをどうしたい?」
ミロは一瞬言葉に詰まったが、すぐに真っ直ぐな目で言った。
「空、飛びたいんです」
「……ほう」
「みんなの役に立ちたいとか、生活を便利にしたいとか、そういうのもあるけど……一番は、自分が“飛んでみたい”んです」
「ふむ」
「でも、笑われるんですよ。『子どもが空を飛ぼうなんて、どうせ無理だ』って。学校の先生にも、大人にも、町の人にも」
ミロの声が少しだけ小さくなった。
「だから、夢は夢のまま、胸の中にしまっておいたほうが、楽かなって……思ったこともあって」
「……」
俺はしばらく黙っていた。
カワウソが肩の上で、じっとミロを見つめている。
「なあ、ミロ」
「……はい?」
「笑われるってのは、悪いことじゃない」
「え……?」
「それは、まだ“他の誰にも見えてない夢”を、ちゃんと形にしようとしてる証拠だ」
俺はほうきに視線を落とす。
「夢ってのはな、誰より先に、自分が信じてやらなきゃ、誰も信じちゃくれねぇんだ」
ミロの目が、少し見開かれる。
「お前のその“飛びたい”って気持ち、悪くねぇ。……むしろ、俺は好きだな。空は、いいぞ。俺は飛んだことないがな」
「キューッ!」
「……!」
ミロの顔に、ふっと笑みが戻った。
「ありがとう、パンダさま……」
「ハクジンな」
「……うん、ハクジンさま」
俺はほうきにもう一度目をやる。
「ちょっと見せてみろ。その“少しだけ回転する”ほうき。……面白そうじゃねぇか」
「うん。あ、他にもいろいろあるんで、良かったら…」
「おう、見せてくれ」
「こっちが掃除用魔法石……の失敗作。こっちは洗濯補助結晶……の試作品。で、これが“手を使わなくても茶が注げる”つもりだった茶器……だったものです」
並べられた道具は、どれも一見ただのガラクタだった。
けれど、並べるミロの目は、少しだけ楽しそうだった。
「全部、自分で作ったのか」
「うん。ぜんぶ、自分で。でも、どれも中途半端で……完成したこと、ないんだ」
ミロは照れ笑いを浮かべて肩をすくめた。
「それでも、作るのは楽しい。できるかもしれないって思ってる時間は、すごくワクワクするんだ」
「ほう」
「……僕ね、空飛ぶほうきが作りたくて。
それに、魔法で動くお掃除ブラシとか、火を使わない調理鍋とか。
そういうの、いつか自分で作って、人の役に立てたらって……」
そこまで話して、ミロの声が少しだけ小さくなる。
「……でも、そんな夢、笑われるんだ。
『またくだらないもん作ってる』『そんなもんより、薬草の育成魔法の方が役に立つ』って。
学校の先生にも言われた。『空を飛ぶなんて、騎士団の魔導士でも難しいのに、お前が作れるわけがない』って」
ミロは、机の上の“自走式ほうき”にそっと触れた。
タイヤのついた木の本体に、小さな羽根と青い宝石が埋め込まれている。
まだ未完成なのは見てわかる。でも――
「……かっこいいな」
「え?」
「その夢、俺は好きだ」
ミロが目を丸くした。
「笑われるのは、悪いことじゃない」
もう一度、俺は口にすることにした。
「自分にしか見えていないものを形にしようとしたら、そりゃ他人にはヘンに見えるもんさ。
だって、他の奴らには見えてないんだからな」
ミロが黙った。
カワウソが机の上をちょこちょこと歩いて、ほうきの先端をつつく。
「“空を飛びたい”って思う気持ちは、俺にもわかる気がするよ。
誰にも邪魔されず、風に乗って、どこまでも行ける気がするだろ?」
「……うん」
「夢ってのは、持ってる間は自由なんだ。叶うかどうかより、その火を消さずにいられるかどうかが、大事なんだと思う」
しばらくの沈黙が流れた。
「……ねえ、ハクジンさま」
「ん?」
「パンダなのに、なんでそんなに人の夢に詳しいの?」
俺は小さく笑った。
「……まあな、俺も昔、“夢を持たなかった側”だからな」
「え?」
「昔の話さ。ずっと、なんとなく働いて、なんとなく生きてきた。
気づいたら、何かになりたいって気持ちすら忘れてた。
目の前の自分のことに精一杯で、夢を見る暇なんてないって言い訳してた」
「……」
「でも、最近になって、リオナや村の連中、カワウソ、姫……いろんなやつに出会って、ちょっと考えが変わった。
それじゃもったいないってな。いろんな奴らと関わって、背中を貸したり、押したりして暮らすのは、案外、悪くないもんだ」
「……背中を貸したり、押したり……」
ミロがつぶやくように言う。
「俺、いつか“ハクジンさまが乗れるくらい大きなほうき”を作ってみせるよ」
「おう。それは楽しみだな。そしたら、空中もふもふ散歩と洒落込むか」
「ふふっ……飛んでる姿、ぜったい目立つなぁ」
「俺にとっちゃ、目立たないほうがありがたいんだが……」
くすくすと笑うミロの横顔を見て、俺はなんとなく安心した。
さっきまでの曇った目が、いまは少しだけ、空に向かって開かれている。
夢ってのは、そう簡単に形にはならない。
だけど、誰かに「いいね」って言われるだけで、ふっと立ち上がれることもある。
俺にはそれが、わかる気がした。
「よし、整備しようか。どうせなら、もう少し前に進ませてみようぜ、そのほうき」
「……うん! ハクジンさま、ありがとう!」
「感謝は成功してから言え。中途半端に動いたら、俺が飛ばされる」
「え、そんな機能は……いや、待って、確かにブレーキ結晶、まだ入れてなかった!」
「おい、やめろ。それはやばい」
「あはは」
「よいしょっと」
ミロが自走式ほうきをそっと持ち上げ、作業台の上に置いた。
まるで壊れ物に触るように、大事に、やさしく。
「本当は、動くはずだったんだけど……」
彼は照れくさそうに言いながら、ほうきの側面をそっとなでた。
木製の本体には、魔力導管を通すための細い金属線が埋め込まれ、先端には青く光る魔結晶がついている。
タイヤ部分は見た目ほどちゃちな作りではなく、真面目に組み上げた苦労がにじんでいた。
「なるほど。見た目よりは、本気で作ってるな」
「う、うん。やってみたかったことを、ぜんぶ詰め込んでみたんだけど……」
ミロがバツの悪そうに頭をかく。
「魔力の流れがうまく繋がらなくて、動いても、すぐに止まっちゃうんだ。あと、パワーを伝える強化符が上手く発動しなくて……」
「ふむ……」
俺はしゃがみ込んで、横から覗き込んだ。
魔力導管の刻印が並ぶ部分に視線を走らせる。
「……なんか、この線、逆じゃねぇか?」
「えっ?」
俺は首をかしげながら、刻印の並びを指でなぞった。
「俺でもわかる。昔、棚の組み木を逆につけて崩したことがあってな。似てる。ほら、こっちだけ焼けてるし」
「……ほんとだ! 符の端、焦げてる……。もしかして、魔力が逆流してた……!」
カワウソがその横で「キュー」と鳴きながら、なぜかほうきの上に乗る。
「おい、それは乗るとこじゃ――」
その瞬間、魔力が一瞬だけ流れた。
「うわっ!」
ほうきの車輪が、ガタリと震えたかと思うと――
バチッ。
一瞬だけ前に転がった。
乗っていたカワウソが前転して、器用に着地。見事な受け身だった。
「……動いた!?」
「キュー……!(=俺のおかげ)」
得意げに胸を張るカワウソ。お前、マスコットの座を狙ってないか?
「これ、いけるかも……!」
ミロが目を輝かせ、作業台の引き出しから工具と符を取り出した。
ほうきを抱え、無言で集中モードに入る。
その目はさっきまでの迷いが消え、何かを“創る者”の目になっていた。
俺はその横で、言われるままに部品を抑え、符を固定し、導管を丁寧に接続していく。
なにせ手が大きいから、細かい作業はあまり得意じゃない。
だが、誰かが“夢中になっている瞬間”の空気は、見ているだけで心地よかった。
「……よし、できた!」
ミロが顔を上げる。
頬にはうっすら汗が浮かび、目はいつかの空のように澄んでいた。
「試してみようか」
ミロが魔力を込めて、ほうきの起動符に触れた。
一瞬、青い光がスッと流れ――
車輪が、カタン、と転がる音を立てる。
「いけ……!」
ゴトッ、ゴロゴロ……
自走式ほうきは、ゆっくりではあるが、まっすぐにテーブルの端まで進んだ。
「動いたぁああ!!」
ミロが叫んで、勢いよく俺に飛びついてきた。
「ありがとう、パンダさま! 本当に、ありがとう!!」
「ハクジンな。……でも、まあ」
俺はぐるりと肩を回し、にやりと笑った。
「夢ってのは、火が消えかけてからが勝負だからな。……かすかな火でも、風を受ければまた燃える。そんなもんさ」
「……うん!」
ミロが目を輝かせて笑う。
それは“やってみたけどダメだった”少年の顔じゃない。
“やってみたから、もう一歩進めた”少年の顔だった。
***
翌朝、俺は町の門をくぐろうとしていた。
「ハクジンさまーっ!」
振り返ると、ミロが走ってくるのが見えた。
胸元には、小さな革袋。中に何かが入っているようだ。
「これ……受け取ってほしくて。お守りです。僕が作った、最初の“完成品”」
「……おう」
ミロの手から受け取ったそれは、小さな石と布きれ、そして青い魔結晶のかけらが組み合わされたものだった。
不格好だけど、ちゃんと編み込まれていて――どこか、温かい。
「僕、ちゃんと完成させるから。今度は“空を飛べるほうき”、絶対に作ってみせる。そしたら……見せに行くからね!」
「……楽しみにしてる」
俺はくるりと背を向け、門の外の道を歩き出した。
カワウソが肩でぴょんと跳ねて鳴く。「キュウ!」
旅は続く。だが今、俺の心にはひとつ、確かに“残った火”が灯っていた。
それは、誰かの夢を見守った夜の、あたたかい残り火だった。
門の上から、ミロの声が風に乗って届く。
「いってらっしゃい、ハクジンさま――!」
俺は振り返らず、右前足だけひらりと上げてみせた。
背中に、ひとつ、あたらしい夢の重みを乗せながら。