第五話:パンダ、旅に出る
昼下がりの村は、のどかだった。
畑からは干し草の香りが漂い、軒先には洗いたての布がはためいている。広場の真ん中では、子どもたちがボール代わりの麻袋を追いかけて遊び、大人たちは「今日も天気がいいのう」なんて言いながら麦茶を啜っている。
そんな中、俺は木陰で丸くなっていた。
背中にはリオナ。肩の上には相棒のカワウソ。
これ以上ないくらい、穏やかな午後。
「パンダさま〜、今日ももふもふ〜♪」
ごろりと転がった俺の腹に、リオナが頬を埋める。
「……くすぐったいぞ」
「えへへ。でも、このもふもふが最高なんだもん。パンダさまって、おっきくて、ふわふわで、落ち着いてて――まるで、大きな木の下にいるみたい!」
「そういえば、この前、姫さまもそんなこと言ってたな。なんなんだ?大きな木の下って」
「うーん……落ち着く、って意味!」
「それ、褒めてるのか?」
俺がそうぼやいている横で、カワウソが「キュー」と鳴いた。なにか言いたげにこちらを見るが、翻訳は相変わらず利かない。ただ、その尻尾の動き的に「こいつ(リオナ)、けっこう図々しいな」とでも言ってる気がする。
「……にしても、平和だな」
思わず口から漏れたその言葉に、リオナがうなずいた。
「うん。パンダさまが来てから、みんなの顔が前よりずっと明るいよ」
「そうか?」
「魔獣は来なくなったし、おばあちゃんたちも元気だし、畑のモグラもいなくなったし。なんか、前より“安心”って感じがするもん」
俺は少しだけ黙って空を見上げた。
――安心。
前世じゃ、そんなふうに思われることなんてなかった。
誰かに頼られるなんて、昇進しそうになった時だけ。
人並みに働いて、人並みに老けて、気がつけば独りだった。
でも、この世界では。
「……ま、悪くない」
「パンダさま、今なにか言った?」
「いや、ちょうど昼寝に最適だなと思ってな」
「でた、パンダさまの“お昼寝第一主義”!」
「間違ってはないぞ」
俺がまた木陰に体を戻すと、リオナが背中でころころ転がる。
日向に干された洗濯物のように、ぽかぽかと暖かい。
そのときだった。
「パンダさまーっ! 手紙が届いてますーっ!」
村の奥から、少年レトが駆けてくるのが見えた。
風にあおられながら走ってくるその手には、封蝋付きの分厚い手紙。
しかも、よく見ると見覚えのある紋章がついている。
「……あれは、氷刃隊のマークじゃないか?」
「誰からー? まさかまた魔獣が出たの!?」
「落ち着けリオナ、たぶんあれはエドガーからだ」
息を切らせてやってきたレトが、案の定「はい、エドガー副長からです!」と封筒を差し出した。俺は前足でそっと受け取る。
パンダのくせに字が読める――というツッコミはもう慣れた。
だが今回の手紙は、開いた瞬間から“熱”がこもっている。
なんというか、文字の濃さからして違う。情熱がにじみ出てる。
*ー*ー*
拝啓 パンダ兄貴へ
先日は姫様の件で大変お世話になりました。あの後、姫様は無事王都に戻られましたが……
なんと、隣国の王との縁談を受け入れる意志をお示しになったのです!
しかし、姫様が本当にそれを望んでいるのか、我々にはわかりません。
……兄貴なら、姫様の真意を聞き出せるはず。
どうか、王都にお越しいただき、もう一度姫様と話してやってください。
敬具 エドガーより
*ー*ー*
「……あいつ」
「なになに? なに書いてあったの?」
リオナが背中からひょこっと顔を出す。俺は手紙をそのまま見せるわけにもいかず、少しだけかいつまんで説明した。
「どうやら、姫さまが隣国に嫁ぐことになったらしい」
リオナが目をぱちくりさせながら聞く。
「なんでお嫁さんになるの、イヤだったんじゃなかったの?」
「……たぶん、何かあったんだろうな」
俺は手紙を見つめながら、ふぅと息を吐いた。
王都――そこには、あの姫がいる。俺のことを“ハクジンさま”と呼んだ、あの真っすぐすぎる天然姫君が。
「行くの? パンダさま」
リオナが、ぽつりと聞いた。
俺は手紙をそっと畳んで、ふたたび空を見上げた。
午後の陽射しが葉の隙間から差し込んで、カワウソの毛先がきらりと光る。
「……まだ、わからん。考えさせてくれ」
「うん。でもね――」
リオナがぽつりと言った。
「姫さま、パンダさまの背中が“あったかかった”って言ってたよ」
「……ああ、言ってたな」
「たぶんね。あの人、助けてほしいって言えないタイプなんだよ」
「……あいつ、ちょっと抜けてるからな」
「だから、行ってあげて。パンダさまにしか、できないことがきっとあるよ」
リオナの声が、思ったよりも真っすぐに響いた。
俺はしばらく、木陰に黙って佇んでいた。
風が一度、ぴたりと止み、次の瞬間ふわりと吹き抜ける。
その風が、俺の背をそっと押したような気がした。
(――しょうがないな)
「よし、じゃあ、ちょっくら行ってくるか」
「えっ……!」
リオナの顔がぱあっと明るくなる――その直後、何か言いたげにもじもじしはじめた。
「……で?」
「えへへ、あのねパンダさま。明日出発する前に……ひとつだけお願いがあるの」
「ほう。聞くだけ聞こう」
「鶏小屋の掃除、今日までにやっておきたいんだって。おじさんが、パンダさまがいた方が断然早いって!」
「……あいつ、俺を万能便利屋か何かと勘違いしてないか? …まあ、頼まれた以上、仕方がない」
俺はため息をつきながら立ち上がった。
結局こうなる。まあ、断れないのが俺の悪い癖でもある。
「わかった、行こうか。最後のひと働きだな」
「やったーっ! さっすがパンダさまっ!」
その声に反応して、どこからともなく村の子どもたちもぞろぞろと集まってくる。
レトも「オレも手伝う!」とスコップ片手に登場。
なんだかんだで、小さな行事になってしまった。
***
鶏小屋に着くなり、俺は悟った。これは、思ったよりも――
「……カオスだな」
「キュウ……(=同意)」
柵の隙間から脱走した鶏たちが、畑や裏庭にまで大進出。
おまけに餌の袋がひっくり返っていたせいで、そこらじゅうに撒かれたトウモロコシの粒が戦場を生んでいた。
「わーっ!逃げたー!」
「パンダさま、そっち行ったよー!」
「ちょ、リオナ、俺の背中に乗って指示出すな!」
もはや掃除どころではなく、全力で鶏追いかけっこに突入。
俺はその巨体を活かして鶏たちをぐるっと囲む。が、相手もなかなか賢い。くるりと回り込まれて逆に俺が囲まれ、羽でぺしぺしされる始末。
「くそっ……地味に痛ぇ……!」
レトが「オレに任せてくださいッ!」と勇ましく突っ込んだその瞬間――
鶏がぴょんと跳ねて、まさかの俺の背中に着地。
「おい! そこは乗る場所じゃない!」
「キューキュー!(=ある意味天才)」
大混乱の末、なんとか全羽捕獲完了。
レトが最後に一羽をそっと抱き上げたとき、周囲から小さな歓声があがった。
「すごい、レト!」
「えへへ……ちょっとだけ、パンダさまに近づけた気がする!」
「……ほう。それは頼もしいな」
思わず、口元が緩んだ。
俺がいなくても、きっとこの村は大丈夫だ。
そんなふうに思える、誇らしい瞬間だった。
***
出発を決めたはいいが、準備ってやつはなかなか厄介だ。
「パンダさま、これお弁当! リオナ特製、干し肉と山菜のにぎにぎ団子です!」
「パンダさん、お守りよ! 子どもたちが作ったの、背中の袋に入れてってね!」
「うちの納屋にあったこのマント、ちょっと大きいけど……あんたには似合うと思うんじゃ」
村のあちこちから差し入れや応援が飛び交う。
俺の背負い袋は、もうパンパンだ。カワウソが袋の上に乗って仁王立ちしてる。
「……これじゃ、出張中の営業マンか行商人みたいだな」
「似合ってるよ!」
リオナがぱちぱちと拍手をする。
朝から彼女はずっとそばにいた。準備を手伝いながら、いつも通り笑って、いつも通りしゃべって――でも、時々ふと黙る。
「……どうした、リオナ」
「え?」
「その、“んーん、なんでもないよ”って顔はなんでもあるやつだ」
しばらく黙っていたリオナが、ぽつりと呟く。
「ちょっとだけ、さみしいなって思っただけ」
「……」
「パンダさまが来てから、毎日楽しかったから。朝おはようって言えるのも、夜おやすみって言えるのも、ぜんぶ嬉しかったんだよ」
そう言って、彼女は少し鼻をすすった。
「でもね、姫さまのこと助けに行くの、すごくパンダさまらしいなって思うから……がんばってきてね」
「……ああ」
そっと頭を撫でると、リオナはくすぐったそうに笑った。
相変わらず、小さい背中。けど、誰かの幸せをちゃんと願える、強い心を持ってる。
「帰ってきたら、また朝の散歩、付き合ってくれよな」
「もちろん! 今度はもっとパン持ってくね!あと、お茶も!」
気づけば、広場に村人が集まっていた。
子どもたちが「パンダさま〜!」「お見送りする〜!」と手を振り、大人たちは「無理すんなよ」「姫さまによろしくな」なんて、妙なエールを送ってくる。
そのなかに、村長のクロヤナギ爺さんの姿もあった。
杖を突きながら、俺のところまでとことこと歩いてきて、渋い顔でぽん、と背中を叩いた。
「……姫さまに会いにいかれるんじゃな、パンダ殿。われらの姫さまをよろしく頼む」
「ああ。何ができるかわからねえが、とりあえず会って、話を聞いてみるさ」
「ふむ……やっぱり、頼り甲斐のある男よのう、パンダ殿は」
「……やめてくれ、こそばゆい」
「村はワシらが守る。だから――安心して、行ってきてくれ」
「ああ、……任せた」
村の出口まで来たとき、リオナが最後に走ってきた。
「パンダさまっ!」
「ん?」
「これ、持ってって!」
差し出されたのは、小さな布袋と愛用のカップ。袋を開けると、なかには一枚の笹の葉に包まれた小さなパン。
「パンダさまの“出発の朝ごはん”と”お茶用のカップ”!」
「……朝飯、用意してたのか」
「うん。だって、パンダさま、お腹すいたら元気出ないでしょ?それに、大事なお茶の時間にはカップも必要でしょ」
「……よく見てるな、お前は」
俺はパンをひとくちかじる。
ほんのり甘くて、どこか懐かしい味がした。
「……うまい」
「よかった〜!」
リオナが笑ったその瞬間、俺は思った。
――また、この村に帰ってこよう、と。
肩のカワウソが「キュウ」と鳴いて、前を向く。
背中の袋は重いが、心は妙に軽かった。
「さて……行くか」
「パンダさま、気をつけてねー!」
「帰ってきたら、また“もふもふ大会”しようねー!」
「おうちの納屋、ちゃんと空けとくからねー!」
――ほんとに、にぎやかな見送りだな。
俺はひらりと手を振り、森の小道へ足を踏み出した。
昼の陽射しはやわらかく、葉擦れの音がやさしく耳に届く。
「さて、はじめての旅はどんな珍道中になりますかねぇ……」
カワウソの「キュウキュウ」という鳴き声を背に、
俺は静かに、けれど確かに歩き出した。
この先に、あの姫がいる。世界でただひとり、俺を”ハクジン”と呼んでくれた、あの天然で、ふわふわで、ちょっとだけ寂しげな――姫。
「昼寝と茶の時間、ちゃんと確保できるといいんだがな」
俺はそんな独り言をつぶやきながら、森の奥へと進んでいった。
もふもふと、渋さと、ちょっとの勇気を背負って。