第二十三話 パンダ、封印の地へ向かう
朝靄が立ち込める王都の城門前に、厳選されたメンバーが集結していた。
王国側からは、エドガー率いる白刃隊の精鋭十名、カイル率いる氷刃隊の選抜メンバー八名。そして俺、ガルム、ユリア、ミロの調査チーム。
隣国側からは、フィルメリア王子妃を筆頭に、古代魔導技術の専門家たち、魔導師団の精鋭、そして護衛騎士たち。
総勢五十名を超える国際合同調査隊——いや、救済隊と呼ぶべきか。
「壮観ですね」
フィルメリアが俺の隣に立ちながら呟く。深い青のマントに身を包んだ彼女は、未来の王妃としての威厳を保ちながらも、どこか緊張した面持ちだった。
「ああ。これだけそうそうたる顔ぶれ集まるなんて、思ってもみなかった」
「各分野の精鋭ですからね。それだけ事態が深刻だということでもあります」
カイルが馬上から報告する。
「各地からの魔獣被害報告、昨夜だけでさらに三件増えました。封印の弱体化が加速しているようです」
俺は胸に手を当てた。火種が不安定に揺れている。まるで、何か巨大な怒りに呼応するように。
「急ごう。時間がない」
「はい!」
エドガーが号令をかけ、隊列がゆっくりと動き出した。
「キュー……」
肩の上のココが不安そうに鳴く。こいつも感じ取っているのだろう。俺たちに託された使命の重さを。
***
王都を出て半日ほど経った頃、最初の異変に遭遇した。
「あれを見てください」
ユリアが震え声で前方を指差す。
街道沿いの森の木々が、まるで病気にかかったように枯れていた。葉は茶色く変色し、幹には黒いひび割れが走っている。
「これは……」
フィルメリアが馬から降り、枯れた木に手を触れる。
「魔力の汚染です。非常に強い負の感情が、自然そのものを蝕んでいる」
「負の感情?」
「はい。怒り、憎しみ、絶望……そうした感情が魔力に変換され、周囲の生命力を奪っているんです」
俺はエンパシースキルを発動させた。すると、枯れた森から重苦しい感情が流れ込んできた。
深い悲しみ。底知れぬ怒り。そして、千年にわたって積み重ねられた絶望。
「うっ……」
あまりの重さに、思わず膝をついてしまう。
「パンダ先生!」
ユリアとミロが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「ああ……これは、アダマスの感情だ。封印が弱まって、彼の怒りが周囲に影響を与えている」
ガルムが剣の柄に手をかけて警戒する。
「ということは、深淵の谷はもう近いのか?」
「いや、まだ二日はかかる。それなのに、これだけの影響が……」
想像以上に事態は深刻だった。
「全隊、警戒を強化せよ」
カイルが命令を下す。
「魔獣の異常行動に注意。いつでも戦闘に移れるよう準備を」
しかし、俺は立ち上がりながら言った。
「待ってくれ。戦闘は最後の手段だ」
「しかし……」
「苦しんでいるのは魔獣たちも同じなんだ。アダマスの怒りに操られて、本来の自分を見失っている」
俺は共鳴石を取り出した。ミロが改良を重ねた最新版だ。
「まず、対話を試みよう」
「ガルウウウ」「ガウウ」「グウウウ」
その時、森の奥から低い唸り声が響いてきた。
「来たな……」
茂みから現れたのは、三頭の大型魔獣だった。狼のような体躯だが、普通の狼の倍近い大きさがある。目は赤く光り、口からは黒い霧のような息を吐いていた。
「『影狼』の群れです」
ユリアが魔導書を開きながら報告する。
「本来は単独行動の魔獣なのに、群れで行動している……やはり異常です」
騎士たちが武器を構える中、俺は一歩前に出た。
「みんな、動くな。俺に任せてくれ」
共鳴石を握り、エンパシースキルを発動させる。
影狼たちの感情が流れ込んできた。圧倒的な怒りと憎しみ。だが、その奥に確かに感じたのは——混乱と苦痛だった。
『苦しい……怖い……』
『頭の中に、他の誰かの声が……』
『助けて……』
俺は慎重に影狼たちに近づいた。
「大丈夫だ。誰もお前たちを攻撃しない」
温かな安心感を込めて、エンパシースキルで感情を送る。
『落ち着け。お前たちを苦しめているものを、俺が何とかする』
影狼たちの赤い目が、徐々に本来の金色に戻っていく。
やがて三頭とも地面に伏せ、まるで謝るように小さく鳴いた。
「すげぇ……」
エドガーが感嘆の声を上げる。
「本当に魔獣と心を通わせた……」
「でも、これは一時的な処置です」
フィルメリアが心配そうに言う。
「根本原因であるアダマスの怒りを鎮めない限り、こういった魔物はこれからも多発するでしょう」
「わかっている。だからこそ、急がなければならない」
俺は影狼たちを見送りながら言った。
「こいつらだって、本当は平和に暮らしたいだけなんだ」
***
その夜、野営地で緊急会議が開かれた。
「昼間の件で、状況の深刻さを改めて実感しました」
カイルが重々しく口を開く。
「各地からの報告によると、同様の魔獣異常行動が世界規模で発生しているようです」
「時間がありません」
フィルメリアが地図を広げる。
「予定を変更して、明日中に深淵の谷に到達しましょう。一刻も早くアダマスとの対話を」
「しかし、急いだところで準備不足では……それに、今のままではハクジン殿一人に負担が集中しすぎます」
カイルが懸念を示す。
「大丈夫だ」
俺が立ち上がる。
「今日のことで確信した。魔獣は敵じゃない。アダマスの苦しみや悲しみの影響を受けているだけなんだ。俺は一刻も早く古い友を助けたい。絶望の淵から連れ出したい」
胸の火種が、力強く燃えている。もう迷いはなかった。
「一人で苦しんでる友の力になりたいんだ。それは、負担でも何でもない。俺がやりたいことなんだ」
ガルムが頷く。
「そうだな。魔獣が敵じゃないのなら、友の友を助けるため、俺も力になりたいと思う」
「「私たちも同感です」」
ユリアとミロが声を揃える。
エドガーが拳を握りしめた。
「兄貴が決めたことなら、俺たちは最後まで付いていきます」
フィルメリアが微笑む。
「では、明日早朝出発ということで」
『グルウウウウ…グルウ』
その時、野営地の外から不気味な鳴き声が響いてきた。
「また魔獣か?」
警戒する騎士たちを制して、俺はエンパシースキルを発動させた。
だが感じたのは、これまでとは全く違う感情だった。
深い悲しみ。千年の孤独。そして……かすかな希望。
『……リンファ……本当にお前なのか……?』
遠くから響いてくる声に、俺の胸の火種が激しく反応した。
「アダマス……」
ついに、アダマスが俺の存在に気づいたようだ。
『明日……必ず会いに行く』
俺は心の中でそう呟いた。火種が、まるで応えるように温かく燃え上がる。
野営地に静寂が戻ったが、誰もが感じていた。
運命の時が、すぐそこまで迫っていることを。
「明日は……歴史が変わる日になるかもしれませんね」
フィルメリアが呟く。
「ああ。千年の悲劇を終わらせる日だ」
俺は星空を見上げた。
リオナや村のみんな、王都で俺たちを待つ人々、そして世界中の人間と魔獣。
すべての未来のために、そして何よりも長年苦しんできた友のために。
「キュー」
ココが俺の膝で小さく鳴いた。まるで「大丈夫、みんながいるから」と言っているように。
そうだ。今度は一人じゃない。
信頼できる仲間たちがいる。
きっと、アダマスを救うことができる。
その確信を胸に、俺は静かに目を閉じた。
千年の時を超えた、友との再会が待っている。
『待っていてくれ、アダマス。今度こそ、お前を救ってみせる』