第二十一話 パンダ、古代の真実を知る
森の奥へ歩を進めていくと、辺りの空気が徐々に変わっていくのを感じた。
木々の間を縫って進むにつれ、胸の火種の鼓動が激しくなり、共鳴石も次第に強く光り始める。
突然、共鳴石が眩しいほどの青い光を放った。
その光に包まれ、俺の意識は別の場所へと吸い込まれた。
「……またここか」
気がつくと、俺は以前にも訪れたことのある神秘的な空間にいた。無数の光の粒子が宙に舞い、足元には透明な水晶のような床が広がっている。空間全体が淡い青白い光に包まれ、まるで星座の中にいるような感覚だった。
「ようこそ」
低く、静かな声が響いた。
しかし、その響きには不思議な芯の強さがあった。
振り返ると、そこには見覚えのある威厳に満ちた巨大なパンダが立っていた。白銀に近い毛並み、額には淡い火紋。瞳は深い琥珀色で、まるで宇宙の奥底を見つめているようだった。
「エンリュウ……また会えたな」
「ハクジン。あなたの中に宿る夢の火種、確かに育っているのを感じます」
エンリュウが俺を見下ろす。その瞳には、千年の歳月を経た深い悲しみと、同時に温かな慈愛が宿っていた。
「あの時もらった火種は、確かにまだここにある」
俺は胸に手を当てた。
「そして今、あなたはさらに大きな試練に直面している」
俺の心臓が激しく鼓動した。大きな試練?
「試練って、何のことですか?」
エンリュウがゆっくりと歩き始める。光の粒子が彼の周りを舞い踊った。
「まずは真実を知る必要があります。あなたが『深淵の王』と呼んでいる存在について」
「深淵の王……あの声の主ですか?」
「その通りです。ですが、深淵の王という呼び名は人間たちがつけたもの。真の名は……アダマス」
エンリュウが手を振ると、空間に巨大な映像が浮かび上がった。美しい森と、そこで平和に暮らす人間と魔獣たちの姿が映し出される。
「千年前、この世界は今とは全く違っていました。人間と魔獣は互いを理解し、共に暮らしていたのです」
映像の中で、人間の子供たちが魔獣と戯れ、大人たちが魔獣と協力して畑を耕している光景が展開される。そして中心には、巨大で美しいドラゴンの姿があった。
「あれが……アダマス?」
「そうです。アダマスは森の守護者であり、人間と魔獣の間を取り持つ存在でした。そして我ら古代パンダ族は、その架け橋となる役目を担っていました」
「架け橋?」
「我らパンダ族には、『エンパシースキル』が備わっていました。相手の心を理解し、感情を共有する能力です。今、あなたが使っている共鳴石の原理も、我らの能力を人工的に再現したものに過ぎません」
俺は思わず胸に手を当てた。確かに胸の奥で、例の火種が穏やかに燃えている。
「この力は……」
「あなたの中に眠る古代の血です。本来ならば、成人と共に自然に覚醒するはずでした」
エンリュウの表情が曇る。映像も暗いシーンへと変わった。
「しかし、千年前に悲劇が起きました」
映像に映し出されたのは、炎に包まれた森だった。人間の軍隊が魔獣たちを攻撃し、美しい森を焼き払っている。
「人間の中に、魔獣の力を恐れ、独占しようとする者たちが現れたのです。彼らは『魔石』の力に目がくらみ、魔獣たちを狩り始めました」
「魔石……」
「魔獣の体内にある結晶です。これを取り出して加工すれば、強力な魔道具が作れます。人間たちはその力に取り憑かれました」
映像の中で、パンダ族の村が燃やされていく。俺と同じような姿のパンダたちが、必死に逃げ惑っている。
「我らパンダ族は、人間と魔獣の仲裁を試みました。しかし……」
「裏切られたんですね」
「そうです。人間たちは我らを『魔獣の手先』と呼び、皆殺しにしました。アダマスは最愛の仲間を失い、守るべき森も焼かれ、絶望の淵に突き落とされました」
映像の中のドラゴンが、天に向かって慟哭の叫びを上げる。その声は、森全体を震わせるほど悲痛だった。
「アダマスは怒りと悲しみに支配され、人間への復讐を誓いました。しかし、我らの最後の長老が、自らの命を賭けて彼を封印したのです」
「封印……」
「ただし、それは永続的なものではありませんでした。封印は徐々に弱まり、アダマスの怒りが世界中の魔獣たちに影響を与え始めました。それが近年の魔獣凶暴化の真の原因です」
俺は愕然とした。魔獣たちが攻撃的になったのは、深淵の王……アダマスの怒りが原因だったのか。
「でも、なぜ俺がここに?俺はただの転生者で……」
「いえ、それは違います」
エンリュウが俺を見つめる。その瞳に、確信に満ちた光が宿った。
「あなたの魂は、古代パンダ族最後の戦士のものです。千年前、アダマスを封印した我らの長老……その名をリンファといいます」
「リンファ……」
「そうです。あなたはリンファの生まれ変わりなのです」
頭の中が真っ白になった。俺が……古代パンダ族の生まれ変わり?
「それは……本当ですか?」
「あなたの胸に宿る火種がその証です。それはリンファの意志の残滓。アダマスとの絆の証でもあります」
俺は胸に手を当てた。火種が、まるで応えるように温かく脈動している。
「その火種は……以前、あなたに『夢の火種』として渡したもの」
「ああ、そうだ。あの時、自分の夢を見つけるためにもらった」
「その通りです。ですが、それは単なる個人の夢のためだけではありませんでした。リンファの真の夢……人間と魔獣の共存ーその夢を受け継ぐ者として、あなたに火種を託したのです」
エンリュウの瞳に、深い慈愛が宿る。
「リンファとアダマスは、親友でした。共に世界の平和を守ろうとしていました。だからこそ、リンファは友を封印することで、彼を救おうとしたのです」
「友を……救う?」
「復讐に駆られたアダマスを、人間が完全に滅ぼしてしまう前に封印しました。魂を憎しみに染めたままでは生まれ変わって再会することもできません。いつか怒りが収まり、再び対話できる日を信じ、その可能性にかけたのです」
エンリュウが俺に歩み寄る。
「そして今、その時が来ました。あなたならば、アダマスの心に届くことができます。エンパシースキルで、彼の千年の孤独と悲しみを癒すことができるのです」
「でも、俺にそんな力が……」
「既に証明されているではありませんか。森ウサギとの対話、胸の火種の反応。全てはあなたの中に眠る真の力が目覚め始めている証拠です」
エンリュウが手を差し出す。その手は光に包まれていた。
「あの時、私はあなたに言いました。『夢を抱く者にとって、あなたの背中が道しるべとなることを』と。今こそ、あなたが真の意味で『灯す人』となる時です」
「灯す人……」
「そうです。自分の夢だけでなく、失われた希望の光を再び灯す者。アダマスの心に眠る、かつての優しさと愛を呼び覚ます者。それがあなたの真の使命なのです」
「今から、あなたにエンパシースキルの真の覚醒を与えましょう。ただし、これは大きな試練でもあります。他者の感情を直接感じ取ることは、想像以上の負担を心に強います」
「それでかまわない……お願いします」
俺は迷わず答えた。アダマスの悲しみ、世界中の魔獣たちの苦しみ。それらを解決できるかもしれないなら。
「覚悟はできています」
エンリュウが微笑む。
「さすがはリンファの魂ですね。では、始めましょう」
エンリュウの手が俺の額に触れた瞬間、強烈な光が俺を包み込んだ。
頭の中に、無数の感情が流れ込んでくる。喜び、悲しみ、怒り、絶望……様々な生き物たちの想いが、津波のように押し寄せてきた。
「うああああっ!」
あまりの激痛に、俺は意識を失いそうになる。でも、その中に確かに感じたのは……温かな希望の光だった。
「大丈夫です、あなたは一人ではありません」
エンリュウの声が響く。
「仲間たちの想いが、あなたを支えています」
確かに、痛みの中に、仲間たちの心配する気持ちが感じられた。ガルムの不器用な優しさ、ユリアの純粋な想い、ミロの情熱……。他にも…これは、かつてのリンファの仲間たち……。
「みんな……」
やがて激痛が収まり、俺の視界がクリアになった。世界が、今までとは全く違って見える。空間に漂う光の粒子の一つ一つが、生きている感情のように感じられた。
「これが……エンパシースキル」
「そうです。あなたは今、真のエンパシースキルを手に入れました。これでアダマスとの対話が可能になります」
エンリュウの姿が薄くなり始める。
「時間が来ました。現実に戻る時です」
「待ってください。まだ聞きたいことが……」
「案ずることはありません。あなたが道に迷った時は、胸の火種が導いてくれるでしょう。その火種は今や、あなた個人の夢と、世界への希望の両方を宿しています」
エンリュウの声に、深い確信が込められていた。
「そしていつか、我らもあなたと共に歩める日が来ることを願っています。あなたが灯す光が、新たな時代の道しるべとなることを」
光が輝き、俺の意識は現実へと引き戻されていく。
「必ず……必ずアダマスを救ってみせます!」
俺の叫びが、光の空間に響き渡った。
***
「パンダ先生!しっかりしてください!」
ユリアの声で目を覚ました。俺は森の中で倒れていた。心配そうな仲間たちの顔が、俺を見下ろしている。
「大丈夫か?急に倒れて……」
ガルムが眉をひそめている。
「ああ……大丈夫だ」
俺は立ち上がった。体の感覚が、さっきまでとは全く違う。周りの仲間たちの感情が、まるで自分のもののように感じられる。
「何があったんですか?」
ミロが心配そうに尋ねる。
俺は胸に手を当てた。火種が、力強く燃えている。そして今は確信を持って言える。
「俺たちには、やるべきことがある」
「やるべきこと?」
「ああ。深淵の王……アダマスを救うんだ」
仲間たちが驚いた顔をする。でも、俺の決意は揺らがない。
エンリュウから聞いた真実、そして覚醒したエンパシースキル。これらすべてが、俺に与えられた使命なのだ。
古代の悲劇を終わらせ、人間と魔獣の真の共存を実現する。
それが、古代パンダ族の末裔としての俺の役目だった。
「みんな、長い話になるが……聞いてくれるか?」
俺は仲間たちに、エンリュウから聞いたすべてを話すことにした。
アダマスとの邂逅は、もうすぐそこまで迫っていた。




