第二十話 パンダ、共感の力を学ぶ
翌朝、俺は王都郊外のアルカード工房を訪れていた。
「ハクジンさま、お待ちしてました!」
ミロが興奮した様子で迎えてくれる。その隣には、同じように目を輝かせたユリアがいた。
「昨日から徹夜で作業してたんです」
「徹夜って……無理するなよ」
「大丈夫です!古代技術との融合、本当に面白くて眠れませんでした」
ユリアも頷く。
「私も一晩中文献を読み返していました。新しい発見がたくさんあって」
工房の作業台には、見慣れない装置が置かれていた。青い結晶を中心に、精密な金属の装飾が施されている。昨日見た共感増幅器より、一回り小さく、洗練された印象だった。
「これが改良版ですか?」
「はい!」
ミロが誇らしげに装置を持ち上げる。
「ユリアさんの古代技術の知識を参考に、『共鳴石』として再設計しました」
「共鳴石……」
「名前もユリアさんが考えてくれたんです」
「キュー?」
ココが俺の肩で興味深そうに装置を見つめる。
「仕組みを説明しますね」
ユリアが古い文献を開きながら説明を始める。
「古代パンダ族は『心の石』を媒介にして、生物同士の感情を共有していました。現代の魔結晶も、その原理を応用できるんです」
「なるほど」
「ただし、使用には注意が必要です」
ミロが真剣な顔になる。
「昨日も少し話しましたが、古代の記録によると、エンパシースキルは使用者の心にも大きな負担をかけるそうです」
「どんな負担だ?」
「相手の感情を直接感じ取ってしまうんです。痛みも、恐怖も、すべて」
ユリアが心配そうに言う。
「でも、段階的に慣れていけば大丈夫だと思います。まずはココで試してみませんか?」
俺は少し考えてから頷いた。
「わかった。やってみよう」
ミロが共鳴石を俺に手渡す。手に取ると、ほんのりと温かかった。
「どうやって使うんだ?」
「共鳴石を持って、ココを見つめながら心を空にしてください。何も考えず、ただ感じるだけです」
俺は指示通り、ココを見つめた。
青い結晶が微かに光り始める。
そして──
『ハクジン、お腹すいた』
「え?」
頭の中に、はっきりとした声が響いた。ココの声だった。
「何か聞こえました?」
ユリアが身を乗り出す。
「ココが『お腹すいた』って……」
「キュー!?」
ココが驚いたように鳴く。まるで「本当に聞こえたの?」と言っているように。
「すげぇ……本当に通じてる」
ミロが感動で声を震わせる。
「古代技術と現代技術の融合、成功です!」
その時、工房の扉が開いて、大きな足音が響いた。
「おい、何やってるんだ?」
振り返ると、ガルムが険しい顔で立っていた。
「昨日から王都で妙な噂が広まってる。『パンダが魔獣と話した』だの『新しい魔法を使った』だの……」
「ああ、ガルム。ちょうどいいところに」
俺はガルムに共鳴石の説明をした。
「つまり、この装置で魔獣の気持ちがわかるってことか?」
「理論上はそうです」
ユリアが答える。
「でも、まだココでしか実験していません」
ガルムが眉をひそめる。
「危険じゃないのか?相手が凶暴な魔獣だった場合は?」
「それは……」
ミロが言いよどむ。
「段階的にテストする必要がありますね」
「だったら、俺が同行する」
ガルムが決然と言った。
「何かあった時のために、実戦経験者がいた方がいい」
「いいのか?」
「まだお前のやり方を認めたわけじゃない。ただの保険だ」
相変わらず素直じゃないが、協力してくれるのはありがたい。
「それじゃあ、王都近郊の森で実地テストをしてみましょう」
ユリアが提案する。
「小さな魔獣から始めて、徐々に慣れていく」
「賛成です」
ミロも頷く。
「データを取りながら、装置の改良も進められます」
こうして、俺たちは王都の東にある小さな森に向かった。
***
森に入ると、すぐに小さな魔獣の気配を感じた。
「あそこです」
ユリアが木の影を指差す。
「『森ウサギ』ですね。魔獣の中でも最も温厚な種類です」
確かに、ウサギに似た小さな生き物がちょこんと座っていた。ただし、耳の先が青く光っている。
「よし、やってみよう」
俺は共鳴石を握り、ゆっくりと森ウサギに近づいた。
ガルムが剣の柄に手をかけて警戒している。
「あんまりピリピリするな。怯えて逃げられちまう」
「だが…」
「大丈夫だ。こいつは危険じゃない」
森ウサギは俺を見ても逃げなかった。むしろ、興味深そうにこちらを見つめている。
共鳴石を握り、心を空にする。
青い光が強くなった瞬間──
『お母さん、どこ?』
幼い声が頭に響いた。そして同時に、強い不安と寂しさが俺の胸に流れ込んできた。
「うっ……」
思わず膝をついてしまう。魔獣の感情が、想像以上にリアルに伝わってきた。
「パンダ先生!」
ユリアが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「ああ……ちょっと、予想以上だった」
俺は森ウサギを見つめた。あどけない瞳に、確かに不安が宿っている。
「こいつ、母親を探してる。迷子になったみたいだ」
「迷子……」
ガルムが困惑したような顔をする。
「魔獣にも、不安とか戸惑い、そんな感情があるのか?」
「当たり前だろ。家族を大切に思う気持ちは、人間も魔獣も同じだ」
俺は立ち上がり、森ウサギにそっと手を差し出した。
「大丈夫だ。お母さんを探すのを手伝ってやる」
森ウサギが俺の手に鼻を近づける。
『本当?』
『ああ、約束する』
今度は俺の方から、森ウサギに気持ちを送ってみた。温かい安心感を込めて。
森ウサギの瞳が安堵に満ちる。
「すげぇ……」
ガルムが呟く。
「本当に意思疎通できるのか……」
その後、俺たちは森ウサギの案内で、森の奥へ向かった。
やがて、大きな木の根元で、母親らしき魔獣を見つけた。
親子の再会を見届けた後、俺たちは森を出た。
「どうでした?」
ミロが期待を込めて尋ねる。
「思った以上に効果があった。だが……」
俺は胸に手を当てた。まだ、森ウサギの不安が薄っすらと残っている感じがする。
「副作用もある。相手の感情が、しばらく残るんだ」
「それは古代の記録にもありました」
ユリアが頷く。
「慣れれば軽減されるそうですが、最初は辛いかもしれません」
「でも、可能性は十分に証明されました」
ミロが興奮している。
「もう少し改良すれば、より大型の魔獣とも対話できるようになるかもしれません」
ガルムが俺を見つめている。
「……お前が何をやりたいのか、少しだけわかった気がする」
「どう思う?」
「まだ半信半疑だ。だが……」
ガルムが森の方を振り返る。
「あの親子の再会を見てると、魔獣も俺たちと同じような感情を持ってるんだな、って思った」
「そうだ。魔獣も人間も、根本的には同じなんだ」
「……だからといって、全ての魔獣が無害とは限らん」
「もちろんだ。でも、なぜ攻撃的になるのか、その理由がわかれば、解決策も見つかるかもしれない」
ガルムが長い間考え込んでいたが、やがて小さく頷いた。
「……お前のやり方、もう少し見させてもらう」
「わかった」
「グウオオオッ」
その時、森の奥から不気味な唸り声が響いてきた。
「何だ?」
ガルムが剣を抜く。
「魔獣の鳴き声ですが……普通じゃありません」
ユリアが青ざめる。
「何かに怒ってるような……」
俺は共鳴石を握った。まだ遠いが、確かに強い怒りと憎しみの感情が伝わってくる。
「これは……」
胸の奥の火種が、激しく揺れ始めた。まるで何かに呼応するように。
やがて森の向こうから、低く重い声が響いた。
『我を呼ぶ者は誰だ……』
その声は、他の魔獣とは明らかに違っていた。
知性があり、威厳があり、そして深い悲しみに満ちていた。
「まさか……」
ユリアが震え声で呟く。
「深淵の王……?」
俺の胸の火種が、さらに激しく燃え上がった。
運命の時が、ついに来たのかもしれない。
「みんな、下がってくれ」
「パンダ先生?」
「俺一人で話をつけてくる」
ガルムが前に出る。
「待て、危険すぎる」
「大丈夫だ。共鳴石がある」
俺は共鳴石を握りしめ、森の奥へ歩き始めた。
深淵の王との、初めての対話が始まろうとしていた。
背後で、仲間たちの心配そうな声が聞こえる。
でも、これは俺にしかできないことだ。
古代パンダ族の末裔として。
そして何より、この世界の平和を願う者として。
「来るなら来い、深淵の王」
俺は森の奥に向かって、静かに呟いた。
胸の火種が、これまでで最も強く燃えている。




