第二話:パンダ、村を救い仲間を得る
朝、目を覚ますと、俺は藁の上に転がっていた。
ふかふかの寝床じゃない。ギシギシ音がする、干し草と木の板でできた簡素な小屋。
だが、これが意外と悪くない。ほんのり草の匂いが心地いい。
「ふぁ……よく寝た」
大きく伸びをすると、天井の梁がミシッと鳴った。
どうやらパンダの重量に耐えるには限界が近いようだ。
――そう、俺はいま、村に住んでいる。
昨日の魔獣騒ぎを経て、俺は村にとって「救世主」的ポジションになったらしい。村長から「しばらくここで暮らしてくれんかの」と頼まれ、厚意でこの納屋を貸してもらっている。
リオナは毎朝、目をキラキラさせながら会いに来る。
「パンダさまぁ~! 朝ごはんですよ~!」
今日も元気だな、リオナ。
小走りで持ってきたのは木製の小皿に盛られた白いお粥。湯気の向こうで笑うその顔が、なんとも眩しい。
「ありがとな」
「ふふっ。パンダさまって、ごはん食べるときも渋い声なんですね!」
「……食事に声は関係ないと思うが」
小さく笑うと、リオナはぺたんと俺の隣に座った。背中にぴったりもたれかかってくる。
――なんか、癒されるな。
都会の片隅で、誰とも肩を並べず生きてきた五十路の俺に、こんな朝が来るなんてなぁ……。
***
村の生活は、実にのどかだった。
子どもたちは裸足で駆け回り、大人たちは畑を耕したり、山で薪を集めたり。道端では鶏が散歩し、猫が店番をしている(気がするだけかもしれない)。
最初は俺を警戒していた村人たちも、徐々に打ち解けてきた。
「おう、パンダさんや。薪割り、手伝ってくれるかの?」
「畑、ちょっと見てくれんか? モグラが出てるみたいでなぁ」
「パンダさま、お背中さわっても……? いやあ、すべすべで立派じゃのう!」
……俺はいつの間にか、“ただのパンダ”ではなくなっていた。
「頼れるパンダ」「癒しのパンダ」「ちょっと渋いパンダ」――そんな肩書きが、自然とついてきていた。
そんなある日。
村長が困り顔で、俺のもとにやって来た。
「実は……井戸の水が少しずつ濁ってきておってな。なにかの異変かもしれんのじゃ」
「水源、見に行ってみようか?」
「ああ、助かる。山の上の泉まで、ワシらじゃ時間がかかるでな」
俺はリオナを背中に乗せ、水源のある小山へと向かった。
道中、リオナがポツリと言った。
「この村ね、昔はよく旅人が来てたんだって。でも、最近は森が危なくなって、誰も来なくなっちゃったの」
「ふむ」
「だから、パンダさまが来てくれて、うれしかった。なんか、昔の村に戻った感じがするの」
俺は返事の代わりに、ひとつ、鼻を鳴らした。
まったく……いつから俺は、村の希望みたいな存在になったんだか。
水源には、どうやら倒木が引っかかっていた。腐った枝が詰まり、水が濁っていたらしい。
俺はズボッと手を突っ込み、ごっそりとそれを引き抜いた。
「わっ! キレイな水が出てきた!」
泉から透明な水が勢いよく流れ出し、リオナがぱちぱちと拍手する。
「さっすが、パンダさま!」
「いや、ただの掃除だよ」
「ううん!スゴイよ。あっという間に直しちゃうんだもん!ありがとう、パンダさま!!」
「ああ」
その日から――俺は、村の“メンテナンス係”になった。
壊れた柵を直し、迷子の鶏を回収し、けんか中の双子の仲裁にまで駆り出される始末。
……なんだこれ。どこかで見たことあるぞ。
「……俺、町内会のパンダか?」
そんなつぶやきが、誰かの笑いを誘った。
それでも、頼られるってのは、悪い気はしないもんだ。
***
夕暮れ。
村の子どもたちが俺の周りに集まり、「お話して!」「背中乗せて!」とわいわい騒ぐ。
俺はしばし考えたのち、どっしりと座り込み――
「昔々あるところに、パンダがひとり……」
自分でも驚くほど、語りが板についてきた気がする。声の渋さがナレーション向きだという噂もある。
「声が落ち着く〜」「寝ちゃいそう〜」と、子どもたちはうっとりしながら俺の毛に顔をうずめていく。
誰か背中に抱きついてるな。うん、あったかい。
ふと見上げた空には、夕焼けに染まる茜雲。
「……なんか、いい村だな」
前世じゃ得られなかった、人のぬくもり。
――転生して良かったな。しみじみそう思う。
それに…、
「人生初のモテ期が来たのかもしれん」
独り言のように呟いたその言葉に、リオナがにこっと笑って言った。
「うん。パンダさま、すごくモテてるよ。みんな大好きだもん」
……なんか照れるな。
でも、まぁ――
悪くない。
***
「パンダさま、おはようございまーす!」
朝の陽射しがまだ優しい頃合い。リオナが元気よく駆け寄ってくるのが見えた。
「んあ……おはよう」
藁の上に転がり、俺はいつものように丸くなって朝の二度寝を楽しんでいた。
「ほらっ、パンもらったの。おすそわけ!」
リオナが小さな手で差し出したのは、焼きたての丸パン。あたたかくて、甘い匂いが鼻先をくすぐる。
「お、美味そうだな。いただきます」
もふもふの手で器用に受け取り、ひとくち。焼きたてのパンは、どこか懐かしい味がした。
そう言えば、前世ではコンビニの菓子パンばかりだったな……。
「ねぇパンダさん、今日も一緒にお散歩しよ?」
リオナは無邪気に笑う。最近はすっかり“日課”になってきた散歩。
村の見回りと称して、あちこち歩いているだけなのだが――まあ、悪くない。
俺の背にちょこんと乗ると、リオナは軽く足をバタつかせた。
「出発、しんこー!」
「おう」
広場を抜け、畑を横目に、ゆったりとしたペースで歩き始める。通りすがりの村人たちが、笑顔で声をかけてくる。
「おはよう、パンダさん!」
「今日もリオナちゃんのナイトだねぇ」
挨拶を返しながら、村の中を見て回る。
今日も朝から平和だな――そう思っていたのだが。
突然、悲鳴が上がった。
「きゃあああああっ!!」
リオナがぴくりと反応し、俺もぴたりと足を止めた。
「東の畑の方だ……!」
「急ごう、パンダさま!」
俺はそのまま駆け出す。
背中のリオナが「きゃー!」と叫んでいたが、しっかり掴まっていたので問題なし。
畑に着くと、数人の村人が慌てて逃げてくるところだった。その向こうには――畑を荒らす、でかいイノシシの姿。
「あれ……普通のより、ちょっと大きいね……?」
「魔獣ってほどじゃなさそうだが、こりゃ厄介だな」
目の前のイノシシは、そこそこ育った個体。牙も鋭く、気性も荒い。どうやら森から迷い出たらしい。
俺はリオナをそっと降ろした。
「ここで待ってろ」
「うん。……気をつけてね」
足元から伝わる土の振動。イノシシは俺を見て、低く唸り声をあげ突進してきた。
「さて……派手なのは苦手だが」
俺はぐっと腰を落とし、構える。村人たちが息を呑む中――
「せいやっ」
ごろん。
俺は転がった。
「……え?」
リオナの声が裏返ったが、狙いは正解だった。巨大な体を活かしての横転タックル。イノシシは目を白黒させながら吹き飛ばされ、そのまま畑の土に突っ込んだ。
「一撃……!?」
「ふっ、やるときゃ、やるのさ」
周囲が一瞬静まり返り、次の瞬間には大歓声が上がった。
「パンダさま、かっこいい!」
「すごい、パンダさん!」
「畑を守ってくれた!」
「ありがとう!!!」
あれよあれよという間に俺の周りに人が集まり、誰もが口々に感謝の言葉を述べてくる。
「なんかモテモテだな、俺」
「何か言った?」
「気のせいだ」
俺はリオナをひょいと背中に乗せ、再び歩き出した。
その背には、ちょっとした英雄の風格が――あったかもしれない。
***
夕暮れ。村の広場では、簡単な「収穫と安全祈願の夕べ」が開かれていた。
焚き火を囲みながら、仕留めた猪が焼かれ、みんなで焼いた野菜やパンを分け合い、音楽好きの老人が笛を吹く。子どもたちはリオナの後に続いて、俺の背中に順番に乗せてもらっては、キャーキャーとはしゃいでいた。
「お、おい、重すぎるぞ三人は」
「パンダさん、働き者ですねぇ」
「畑の神様って感じ」
「すっかり子ども達の人気者じゃな」
その言葉に、ふと前世の会社で誰にも褒められなかった日々を思い出した。
――でも今は、違う。
誰かの笑顔に囲まれて。
必要とされて。
頼られて。
「悪くない……」
俺はぽつりとつぶやき、火の揺らめきを見つめた。
リオナが隣で、小さな声で言った。
「ねぇパンダさん。ずっと、村にいてくれる?」
「……そうだな」
誰にも頼られなかった、俺の人生。
でもこの世界では、少しだけ――違う俺になれそうだ。
そう思いながら、またそっと背筋を伸ばした。
今の俺には、守るべき“居場所”がある。
こんな生き方もいいもんだな。
***
「水の流れが……おかしいって?」
のどかな昼下がり。村の井戸のそばで日向ぼっこをしていた俺のところに、リオナが息を切らしながら飛び込んできた。
「うんっ、水が、ぜんぜん来なくなってて! 洗濯できないって、おばあちゃんたちが困ってるの!」
洗濯できない。……ふむ。それは確かに由々しき事態だ。
干された布団やシーツが、陽にふわりと揺れるこの村の風景が好きになってきたところだった。
それが損なわれるのは、ちょっといただけない。
「案内してくれるか」
「うんっ!」
俺は立ち上がると、リオナを背中に乗せた。相変わらず、彼女は遠慮なくぴょいっとよじ登ってくる。
俺のモフモフが心地いいらしい。子どもは正直だ。
「よし、出発だ。道案内、頼むぞ、リオナ」
「うん! 頼れるパンダさま、しゅっぱーつ!」
* * *
村を流れる水路は、先日の水源から引いたもので、簡易な竹管でできている。
その分、落ち葉や枝、泥なんかで詰まりやすいらしい。
「この前も、イタチが詰まってたのー」
「イタチ?」
「うん、木の上から落っこちたみたい。しっぽだけ出てて、もぞもぞしてたよ」
想像すると、ちょっと可愛い。けどイタチもびっくりだったろうな。
まあ今回はそんな笑い話で済むかどうか。
水の流れを辿っていくと、途中の竹管から水が全く出ていない箇所があった。
「ここだよ、パンダさま!」
地面に這いつくばるようにして竹管をのぞき込む。
……匂いがする。
「リオナ、少し離れていろ」
「え? う、うん……!」
俺は鼻をさらに近づけ、竹管の奥をじっと見つめた。光が届かずよく見えないが、鼻先に感じるのは――湿った獣の毛の匂い。
……竹管の奥を、じっと見つめた。
ぬるり。
一瞬、中で何かが動いた気がした。
「……来るぞ」
ずるっ。
「ふぇっ!? な、なに!?」
次の瞬間、竹管の中から――
「キュウッ!!」
ばっしゃああ!
勢いよく水と一緒に飛び出してきたのは、ぬらっと濡れた……カワウソだった。
「……カワウソ?」
「キュウ?」
目をぱちくりさせてこっちを見上げるその顔は、どこか間の抜けた愛嬌たっぷりの表情。
しばし見つめ合うカワウソと俺。
すると、ぴょこんと立ち上がったカワウソが、ちょこちょこっと俺のところに駆け寄ってきた。
「キュウ!」
俺の腹にダイブ。
「うわっ……濡れてる!」
リオナが慌てて跳び退いたが、俺はそのままカワウソを抱き上げる。
その小さな身体はすっかり泥まみれで、どうやらコイツが水が流れなくなった原因らしい。
「こいつ、村の水道をダム代わりに使ってたのか?」
「キュッ!」
まるで肯定するように、元気よく鳴くカワウソ。
「……まぁ、悪気はなかったんだろうな」
「でも……どうする? この子、また水路に戻っちゃったら困るよ?」
リオナが不安げにのぞき込んできた。
俺はカワウソをしばし見つめ――
「飼うか?」
「えっ!」
「いや、ここで放してもまた同じことを繰り返す気がする。だったら、俺のところで世話したほうが村のためにもなるだろ」
「わああ、やったああ!」
リオナが跳ねるように喜ぶ。
「カワウソさんも、パンダさまの仲間になるんだねっ!」
カワウソも「キュウッ!」と元気よく鳴いて、俺の肩にぴょいと登ってくる。器用なやつだ。
そのまま村に戻ると、さっそく子どもたちが寄ってきた。
「わー!なにそれ!?」
「ちっちゃくて、かわいい!」
「わ、パンダさんの肩に乗ってるー!」
「新しい仲間だよー!カワウソさんっていうの!」
リオナが得意げに紹介すると、カワウソは得意気に胸を張った。
村の大人たちも苦笑しながら言う。
「パンダさん、今度はペットもおるんか」
「どんどんにぎやかになってくなぁ、ほんとに」
俺は少し照れくさくなりながら、言った。
「……一時的な保護ってことでな」
「はいはい、そういうことにしといてやるわい」
みんなが笑う中、ふとリオナがぽつりとつぶやいた。
「パンダさまが来てから、この村……毎日が楽しくなった気がする」
俺はちょっとだけ視線をそらして、空を見上げた。
肩には小さなカワウソ。
背には笑顔のリオナ。
やっぱり――
悪くないな、こんな毎日。
今日もまた、“誰かに必要とされている”幸せをかみしめながら――
俺は、のんびりと歩き出した。