第十九話 パンダ、古代の秘密に触れる
朝の王立図書館は、静寂に包まれていた。
「おはようございます、ハクジンさま」
地下特別資料室で、ユリアが古い文献に囲まれて待っていた。昨日の魔獣との遭遇で自信をつけたのか、表情が以前より明るくなっている。
「おはよう。早いな」
「はい。古代魔獣について、もっと詳しく調べたくて。昨日のことがきっかけで、色々なことがわかってきました」
俺は前回カイルと一緒に来た時に座った席に腰を下ろした。
ひんやりとした空気の中に、古い羊皮紙や巻物の匂いが漂っている。
「キュー……」
肩の上のココが、静かな環境に少し緊張しているようだ。
「何かわかったのか?」
「はい!」
ユリアが目を輝かせながら、開いていた古い文献を俺の前に置く。
「これが古代パンダ族について記載された最古の資料です。前回ハクジンさまがカイル隊長と調べていた資料よりも、さらに詳しく書かれています」
羊皮紙には、古代魔導文字がびっしりと記されていた。
「『森の守護者たるパンダ族は、獣と人との間に立ち、調和を保つ者なり』……」
「調和を保つ……」
「はい。古代パンダ族は、魔獣と人間の仲裁役だったようです。そして特に興味深いのがここです」
ユリアが別のページを指差す。
「『特に強きエンパシースキルを持つ者は、心の声を聞くことができ、傷ついた魂を癒やす力を有す』」
俺の胸の奥で、火種がかすかに反応した。
「エンパシースキル……」
「はい。昨日のハクジンさまの行動を見ていて、まさにこのスキルをお持ちなのではないかと思ったんです」
その時、資料室の入り口から遠慮がちな声が聞こえてきた。
「あの、すみません。司書の方はいらっしゃいますか?」
聞き覚えのある声だった。
「ミロか?」
振り返ると、確かにミロが入り口で紙の束を抱えて立っていた。
「あ、ハクジンさま!」
ミロが驚いたように駆け寄ってくる。
「こんなところでお会いするとは」
「調べ物だ。お前こそ、この地下まで何の用事で?」
「師匠から預かった資料を司書の方にお渡ししようと思って。古代魔導技術についての文献交換です」
そう言って、ミロは手に持った書類を見せる。
「古代魔導技術?」
「はい。実は共感増幅器の改良のために、古い技術を参考にしたくて」
その時、ユリアが興味深そうに顔を上げた。
「共感増幅器って……感情を共有する魔導具ですか?」
「え?あ、はい……そうです」
ミロがユリアを見て、少し戸惑う。
「ああ、紹介しよう。こちらはユリア。古代魔獣研究の専門家だ。隣国から来てる」
「初めまして……ユリア・クラフォードです」
「ミロです。アルカード工房で修行を……」
二人が挨拶を交わす。年も近いせいか、すぐに打ち解けそうな雰囲気だった。
「共感増幅器、すごく興味があります!」
ユリアの目が輝く。
「理論的には可能だと思っていたんですが、実際に作られる方がいるなんて」
「まだ試作段階ですけど……」
ミロが照れながら答える。
「生物同士の感情を共有する装置で、魔獣との意思疎通ができればと思って」
「それです!」
ユリアが勢いよく立ち上がる。
「古代パンダ族の文献に、まさにそれに関する記述があるんです!」
「本当ですか?」
ミロの目も輝き始めた。
「ちょっと、落ち着けお前たち」
俺が間に入る。
「せっかくだから、一緒に調べてみたらどうだ?ユリアの知識とミロの技術を組み合わせれば、何か新しい発見があるかもしれん」
「いいんですか?」
「もちろんです!」
ユリアが嬉しそうに頷く。
「古代魔導技術と現代技術の融合……すごく面白そうです」
「僕も勉強させてもらいたいです」
ミロも興味深そうに資料を覗き込む。
「この古代文字、読めるんですか?」
「はい。これが私の専門分野ですから」
ユリアが得意げに説明を始める。
「古代パンダ族は『共感の民』と呼ばれていたそうです。特に優れた能力を持つ者は『心読み』の称号を与えられていました」
「心読み……」
俺は前回この資料室で読んだ断片的な情報が、急に繋がってきたような気がした。
「キュー?」
ココも何かを感じ取ったように、俺の肩で身を起こす。
「その能力を人工的に再現するのが、共感増幅器の目的なんですね」
ミロが熱心にメモを取っている。
「でも、現在の技術だけでは限界があって……」
「古代の技術を参考にすれば、突破口が見つかるかもしれません」
ユリアがページをめくりながら続ける。
「ここに『心の石』という記述があります。特殊な結晶を使って、感情を増幅・伝達していたようです」
「心の石……」
ミロが興味深そうに呟く。
「魔結晶の特殊な使い方ということでしょうか?」
「可能性はありますね。現代の魔結晶も、古代の『心の石』の系譜かもしれません」
二人の会話を聞いていて、俺は感心していた。
専門分野は違うが、同じような探求心を持った者同士、すぐに意気投合したようだ。
「他に何か書いてあるか?」
「えーと……『エンパシースキルは諸刃の剣なり。使用者は対象の痛みをも感じるゆえ、心の準備を怠るべからず』」
「痛みも感じる?」
俺が眉をひそめる。
「はい。共感というのは、良い感情だけでなく、苦痛や恐怖も共有してしまうんです」
「危険な技術ですね」
ミロが心配そうに言う。
「でも、魔獣の気持ちを理解するためには必要かもしれません」
ユリアが資料をさらに読み進める。
「『真の共感者は、傷ついた心を癒やし、争いを和解に導く力を持つ』……これは興味深いです」
「和解に導く力……」
俺は昨日の魔獣のことを思い出していた。あの時確かに、魔獣の恐怖を感じ取れたような気がした。
「パンダ先生は、もしかしてエンパシースキルをお持ちなんじゃないでしょうか?」
ユリアが俺を見つめる。
「昨日の魔獣との接触も、偶然ではないかもしれません」
「どうだろうな。自分でもよくわからん」
「だったら、実験してみませんか?」
ミロが提案する。
「共感増幅器の基本的な仕組みは完成してます。古代技術を参考に改良すれば、もっと効果的になるかもしれません」
「実験?」
「はい。まずはココに対して使ってみて、効果を確認してから、段階的に他の生物で試していく」
ユリアも頷く。
「古代の記録を参考に、安全な実験方法を設計できます」
俺は少し考えた。確かに、深淵の王の謎を解くためには、エンパシースキルについて詳しく知る必要がある。
「わかった。やってみよう」
「本当ですか!」
ミロが嬉しそうに跳ね上がる。
「僕、すぐに師匠と相談して、改良版を作ってきます!」
「私も古代技術についてもっと調べてみます」
ユリアも興奮している。
「きっと、すごいものができますよ!」
「期待してる」
図書館を出ると、陽射しが眩しかった。
「今日は有意義な一日でした」
ユリアが満足そうに言う。
「私、今まで一人で研究してたんですが、同じ興味を持つ仲間がいるって、こんなに楽しいんですね」
「僕もです」
ミロも嬉しそうに頷く。
「古代技術と現代技術の融合……考えただけでわくわくします」
「お前たち、いいコンビになりそうだな」
俺が笑うと、二人とも照れたように顔を赤らめた。
「それじゃあ、僕は工房に戻って改良版の製作を始めます」
「私も古代技術の研究を続けます」
「ああ。何か進展があったら教えてくれ」
「キュー」
ココも満足そうに鳴いた。
別れ際、ユリアが俺に向かって言った。
「パンダ先生、古代パンダ族の記録には、まだまだ興味深いことが書いてありました」
「どんな?」
「『森の声を聞く者』という表現が何度も出てきます。もしかしたら、パンダ先生にも聞こえるかもしれません」
「森の声……」
「はい。次回調査する時は、ぜひ森で実験してみましょう」
ユリアとミロが去った後、俺は空を見上げた。
「森の声、か」
「キュー」
ココが俺の肩で小さく鳴く。
古代パンダ族の秘密。エンパシースキル。そして深淵の王。
すべてが繋がっているような気がしていた。
胸の奥の火種が、また少し温かくなった。
仲間がいる。目的がある。
そして何より、謎を解く手がかりが見えてきた。
「明日が楽しみだな」
俺はココと一緒に、宿への道を歩き始めた。
王都の空は青く澄んでいて、新しい発見への期待で胸が躍っていた。
古代の秘密と現代の技術。
きっと、とんでもないものができあがる。
「仲間ってすげえな」
一人じゃできないことも、二人ならできる。三人ならもっとできる。
「どこまで遠くに行けるのやら」
「キュ?」
「どこまでも、一緒に行ってみような、ココ」
「キュー!」