第十八話 パンダ、新たな仲間と出会う
会議後、俺は王宮の中庭を歩いていた。
フィルメリアから聞いた話は衝撃的だった。古代パンダ族と深淵の王の関係、そして魔導遺跡への組織的な襲撃。
「キュー……」
肩の上のココが不安そうに鳴く。
「俺も同じ気持ちだ。これは思ってたより大きな問題になりそうだな」
胸の奥の火種が、さっきからずっと小さく揺れている。まるで何かに反応しているように。
「ハクジンさま」
振り返ると、フィルメリアが一人の少女を連れて歩いてくるのが見えた。
「ご紹介させて下さい。こちら、今回の調査に同行する予定の我が国の専門家です」
フィルメリアの隣にいたのは、14歳くらいの少女だった。くすんだ茶色のセミロングの髪に、グレーがかった青い瞳。魔導学院の紺色のローブを着ているが、袖口がほつれていたり、インクのシミがついていたりと、あまり手入れが行き届いていない。
重そうな魔導書を抱えて、眼鏡の奥の目は俺を見てもじもじしている。
「初めまして……ユリア・クラフォードです」
小さな声で自己紹介する。
「俺はハクジンだ。よろしくな」
「は、はい……」
ユリアが俺を見て、目を丸くする。
「本当に……パンダが喋ってる……」
「慣れてくれ」
「ユリアちゃんは古代魔獣研究の専門家なんです」
フィルメリアが説明する。
「まだ学生ですが、理論知識は我が国一と言われています」
「知識だけです……実技は全然ダメで……」
ユリアが自信なさそうに俯く。
「知識は大事だ。実技なんて後からどうにでもなる」
俺の言葉に、ユリアが顔を上げた。
「本当ですか?」
「ああ。知識は武器だ。使いこなせるようになれば、さらに強くなる」
「でも、みんな私のことを『理論バカ』『使えない秀才』って……」
「だったら、使えるところを見せてやればいいじゃないか」
ユリアの目が少し輝いた。
「ところで、質問なんだが、魔獣と対話するなんてことは可能か?」
「え?」
ユリアが戸惑う。
「魔獣との対話なんて……無理に決まってます。魔獣は危険な存在で、人間とは相容れない生き物ですから」
その答えに、俺は首をかしげた。
「そうか?俺はそうは思わないけどな」
「え?」
「魔獣にも感情があるし、理由がある。一方的に悪者扱いするのは、ちょっと違うんじゃないか」
ユリアが困ったような顔をする。
「でも、教科書には『魔獣は人間の敵』って……」
「教科書が全て正しいとは限らない」
俺は森で出会ったあのウサギ型魔獣のことを思い出していた。あいつは確実に、何かから逃げてきていた。
「まあ、今度一緒に現地調査に行く機会があれば、実際に見てもらおう」
「現地調査……」
ユリアが青ざめる。
「わ、私、実技は本当にダメなんです。魔法も失敗ばかりで……」
「大丈夫だ。一人じゃない」
「でも……」
「それに、お前の知識が必要なんだ。古代魔獣について、詳しく教えてくれないか?
俺の言葉に、ユリアの表情が変わった。
「古代魔獣について……ですか?」
「ああ。特に、深淵の王について知ってることがあれば」
ユリアは少し考えてから、抱えていた魔導書を開いた。
「深淵の王について記述されている文献は少ないんです。でも……」
ページをめくりながら、ユリアの声に自信が戻ってくる。
「古代パンダ族の守護者だったという説が有力です」
「守護者?」
「はい。千年前、古代パンダ族は森の平和を守る種族だったとされています。そして深淵の王は、その最強の守護者だった」
ユリアの目が輝いてくる。知識について語る時の彼女は、まるで別人のようだった。
「でも、何らかの理由で深淵の王は暴走し、封印された。その時から、魔獣たちの行動が狂暴化したとも言われています」
「なるほど……」
「もし深淵の王が復活したなら、魔獣たちが統制の取れた行動を始めるのも説明がつきます」
ユリアの解説は的確で、論理的だった。
「すげぇな、詳しいじゃないか」
「あ、ありがとうございます」
ユリアが照れる。
「でも、これだけじゃ対策は立てられません。なぜ深淵の王が暴走したのか、どうすれば再び封印できるのか……まだわからないことだらけです」
「そのために調査が必要なんだな」
「はい……でも、私なんかが現地に行って、本当に役に立てるんでしょうか?」
ユリアの声に不安がにじむ。
「きっと役に立つ。それに……」
俺はココを膝に乗せて、ユリアの前に差し出した。
「こいつも最初は一人ぼっちだった。でも今は、俺の大切な相棒だ」
「キュー」
ココがユリアを見て、小さく鳴く。
「知ってるか?”急いで行きたければ一人で行け、遠くに行きたければみんなで行け”って言葉」
「どういう意味ですか?」
「”一人じゃできないことも、仲間と一緒なら成し遂げられる”って意味だ」
「仲間……」
ユリアが呟く。
「私、今まで一人で勉強ばかりしてました。みんなと一緒に何かをするなんて……」
「大丈夫だ。最初は俺もそうだった。だが、今は仲間がたくさんいる。お前もその一人だ」
「私も…その一人?」
「ああ、そうだ。よろしく頼むな」
「仲間……私、初めて言われました。なんだか、力が湧いてくる響きですね!」
「やれそうか?」
「はい!頑張ります!!」
その時、中庭の向こうから大きな足音が聞こえてきた。
「おい、そこのパンダ!」
振り返ると、大柄な男が俺たちに向かって歩いてくる。
40代くらいだろうか。がっしりした体格で、使い込まれた革の鎧を着ている。背中には大きな両手剣。左頬には古い傷跡があり、深い緑の瞳には疲労と悲しみの影があった。
「あんたが、例の『魔獣と仲良くするパンダ』か?」
男の声は低く、どこか棘があった。
「仲良くはしてないが……」
「ガルム・ロックハートだ。元S級冒険者……今はただの魔獣狩りだ」
ガルムと名乗った男は、俺を値踏みするように見つめる。
「フィルメリア王妃から聞いた。お前が魔獣問題の専門家だってな」
「一応な」
「ふん……甘い考えの平和主義者って感じだな」
ガルムが鼻で笑う。
「魔獣は人間の敵だ。魔獣に理解を示すなんぞ、いざって時に死ぬぞ」
「それは……」
ユリアが口を開きかけたが、ガルムの迫力に押されて黙ってしまう。
「お前の経験は?」
俺が聞き返すと、ガルムの表情が曇った。
「20年だ。魔獣と戦って20年……仲間を4人失った」
その声には、深い痛みがあった。
「最後の仲間を失ったのは3年前……古代魔獣討伐の任務でな」
「……そうか」
「だから言ってるんだ。魔獣に情けをかけてる余裕なんてない」
ガルムの目に、強い意志が宿る。
「だが……」
俺は言葉を選びながら話した。
「俺が出会った魔獣の中には、困ってるやつもいた。怯えてるやつもいた」
「それが何だ?」
「もしかしたら、魔獣にも事情があるんじゃないか。一方的に敵視するだけじゃ、根本的な解決にはならないかもしれない」
ガルムが眉をひそめる。
「甘い考えだ」
「甘いかもしれない。でも、試してみる価値はあると思う」
「後悔してからじゃ遅いんだぞ」
「最初から決めつけてかかってちゃ、見えるものも見えないだろ?」
「なんだと!?俺の目が曇ってるって言いたいのか!」
しばらく睨み合いが続いた。
が、その時、中庭の外から慌ただしい声が聞こえてきた。
「魔獣だ!王都の近くに魔獣が現れた!」
「何?」
俺たちは声のする方へ駆け出した。
王宮の門の外では、騎士たちが慌ただしく武器を準備している。
「どこに現れた?」
エドガーが騎士の一人に尋ねる。
「商人街の倉庫通りです!大型の魔獣が暴れてるって!」
「行くぞ」
ガルムが剣の柄に手をかける。
「俺も行く」
「危険だ、パンダ。お前は……」
「俺も専門家として参加してる。現場を見なきゃ判断できない」
ガルムが渋い顔をする。
「あの……私も……」
ユリアが震え声で言う。
「私も行きます。知識だけじゃダメだって、言われましたから」
「お前は危険だ。ここで待ってろ」
ガルムが冷たく言う。
「でも……」
「大丈夫だ」
俺がユリアに向かって言う。
「みんなで行こう。俺がサポートする」
「でも、私、実技は……」
「知識があるお前が現場を見ることが重要だ。どうすれば安全に魔獣に近づけるか、お前にしかわからないこともある。ユリアはその知識を使って、みんなをサポートしてくれ」
ユリアの目に、少しずつ決意が宿ってくる。
「……わかりました。やってみます」
「よし、行くぞ」
俺たちは王宮を出て、商人街へ向かった。
現場に着くと、大型の魔獣が暴れているのが見えた。
狼のような四足歩行だが、普通の狼より一回り大きく、全身が黒い毛に覆われている。牙も爪も鋭く、目は赤く光っていた。
周囲の商人たちは避難し、騎士たちが取り囲んでいるが、なかなか近づけずにいる。
「あれは……」
ユリアが魔導書を開く。
「『影狼』ですね。普通は夜にしか活動しない魔獣です」
「それが昼間に?」
「異常です。それに……」
ユリアが魔獣を観察する。
「動きがおかしい。まるで何かに追われているような……」
確かに、魔獣は攻撃的というより、パニック状態に見えた。
「よし、突撃だ」
ガルムが剣を抜こうとした時、俺が止めた。
「待て」
「何だ?」
「あいつ、怖がってる」
俺は魔獣をじっと見つめた。確かに攻撃的な行動を取っているが、その根底にあるのは恐怖だった。
「逃げ場を探してるだけだ」
「そんな馬鹿な……」
ガルムが困惑する。
「しばらくの間でいい。俺に任せてくれ」
俺はゆっくりと魔獣に近づいた。
「おい、危険だ!」
ガルムが叫ぶが、俺は歩みを止めない。
「大丈夫だ。怖がってるな?何から逃げてきた?」
魔獣が俺を見て、警戒の唸り声を上げる。
でも、攻撃はしてこない。
「キュー」
ココが俺の肩から、魔獣に向かって鳴いた。
すると、魔獣の赤い目が少し和らいだ。
「そうか、お前も仲間がいなくて寂しいんだな」
俺がそっと手を差し出すと、魔獣がゆっくりと近づいてきた。
そして、俺の手に鼻先を触れさせる。
「なっ……!?」
ガルムが呟く。
「本当に魔獣と……?」
ユリアも目を見開いている。
魔獣はしばらく俺の手を嗅いだ後、安心したように座り込んだ。
「よし、もう大丈夫だ」
俺が振り返ると、周囲の騎士たちが驚いたように俺を見つめていた。
「何が起こったんだ!?」
「すげぇぞ、パンダさん!」
「本当に魔獣と話せるのか!?」
しかし、ガルムだけは複雑な表情をしたまま、俺の隣に歩いてきた。
「……信じられん」
「どうした?」
「俺は20年間、魔獣を敵だと思って戦ってきた。だが……」
ガルムが魔獣を見つめる。
「たまたま…か?いや、あれは確かに怖がってただけにも見えた…だが…」
しばらく沈黙が続いた後、ガルムが呟く。
「……あんたのやり方、理解できん。だが……」
俺を鋭い目で見据える。
「否定もできん。今回は、たまたまうまくいっただけかもしれんがな」
「そうだな」
「だが、魔獣が本当に危険な時はどうする?今度はあんたが死ぬかもしれんぞ」
「その時は、お前に任せる」
ガルムが眉をひそめる。
「……変わったやつだ。だが、無駄な戦闘で怪我人が出る事態は避けられた。
まあ、しばらく様子を見させてもらう。あんたの方法に効果があるのか、確かめさせてもらおう」
「わかった」
「勘違いするな。認めたわけじゃない。ただの観察だ」
そう言い残して、ガルムは立ち去った。
「ふっ。ツンデレな奴だな」
「パンダ様、”ツンデレ”ってどう言う意味ですか?」
ユリアが不思議そうな顔で尋ねる。
「ん?…ああ、ガルムみたいに憎まれ口ばっかり叩くかわいい奴のことさ」
「ガルムさんが、かわいい…ですか?」
「かわいいだろ?あんなに最初否定的だったのに、ちゃんと俺を見て、理解しようとしてくれてる」
「そう言われてみると、確かに。うん。かわいい気がしてきました!」
「だろ?」
「ふふふ、私、ガルムさんのこと”怖い人”って思ってたのに、なんだかもう怖くないわ」
「な?相手をよく知ってみれば、印象なんて簡単に変わるもんさ」
「それなら、私のこともみんなに知ってもらえれば、何か変わってきますか?」
「ああ、お前が”知識だけの奴”じゃないって、みんなすぐに理解するさ」
「ふふ。ありがとうございます。私、なんだか、やれそうな気がしてきました!」
「ああ、これからも頼りにしてるぞ」
「はい!」
胸の奥の火種が、また少し温かくなった気がする。
新たな仲間。新たな挑戦。
近い将来、この胸の火種もきっと大きな炎にできる。
そんな予感をもたらしてくれる出会いだった。