第十七話 パンダ、隣国使節団を迎える
朝の王宮は、緊張した空気に包まれていた。
「ハクジン殿、準備はよろしいですか?」
カイルが俺のところにやってきて、いつもの冷静な表情で確認する。
「ああ、大丈夫だ」
今日は隣国からの使節団が到着する。深淵の王の問題について緊急協議を行うためで、俺も「魔獣問題の専門家」として会議に参加することになっていた。
「キュー」
肩の上のココが小さく鳴く。こいつも緊張した雰囲気を感じ取っているようだ。
「隣国でも魔獣被害が深刻化しているそうですね」
エドガーが眉をひそめながら言う。
「ああ。もはや一国だけでは対処できない規模になってるらしい」
「早急に対策を立てないと、取り返しのつかないことになりそうっすね」
王宮では、慌ただしく会議の準備が進められていた。
事態の緊迫度を物語るように、今回は華々しい歓迎式典は省略されることになっていた。
「使節団到着まで、あと30分ほどです」
ルーカスが報告に来る。
「そうか。……それにしても、こんな短期間で使節団を派遣するとは、よほど切羽詰まった状況なんだな」
「はい。向こうでも村が全滅する被害が出ているとか」
しばらくして、中庭に馬車の音が響いた。
「来たな」
到着したのは、質素だが頑丈そうな馬車。装飾よりも実用性を重視した造りだった。
まず降りてきたのは、隣国の護衛騎士たち。続いて、年配の男性——使節団の団長らしい。
そして最後に、俺の知っている人物が姿を現した。
「……フィルメリア」
深い青のドレスに身を包んだ彼女は、しかし以前とは明らかに違っていた。
背筋がまっすぐに伸び、歩く姿に迷いがない。
表情は穏やかだが、その奥に強い意志と責任感を感じる。
何より、纏っている空気が違った。
以前の「守られるべき姫君」ではなく、「国を背負う未来の王妃」として風格を身につけている。
「お父さ…いえ、国王陛下」
フィルメリアが国王の前に進み出て、深くお辞儀をする。
「フィルメリア……」
国王の声には、娘への愛情と、王子妃としての彼女への敬意が混じっていた。
「ご無沙汰しております。
この度は、両国の危機を前に協議の場を設けていただき、感謝いたします」
フィルメリアの声には、公的な立場を弁えた威厳があった。
「こちらこそ、お忙しい中わざわざお越しくださり感謝します。……息災そうで何よりだ」
国王の言葉に、父親としての安堵がにじんでいる。
「隣国での生活はいかがか?」
「充実しております。アルベルト王子をはじめ、皆様が温かく迎えてくださいました」
「そうか……それは良かった」
簡潔だが心のこもった親子の再会の後、すぐに実務的な話に移った。
「グランツ卿、遠路はるばるようこそお越しくださった」
国王が使節団の団長に挨拶する。
「陛下、この度は急な使節団来訪を快く受け入れてくださり、ありがとうございます。」
グランツ卿の声は重々しく、事態の深刻さを物語っていた。
「事態は一刻を争います。早速、情報共有を始めさせていただければ」
「承知した。では初対面のものだけ軽く紹介させていただこう」
「こちらは我が国の魔獣問題専門家、ハクジン殿です」
俺が軽く会釈すると、フィルメリアも丁寧に頭を下げた。
「以前からお噂は伺っております。今回の危機的状況の解決に、ぜひお力をお貸しください」
その言葉には、切迫した状況への真剣さが込められていた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
簡潔な挨拶の後、一行は会議室へと向かった。
会議の前に、短い休憩時間が設けられた。
俺は廊下の窓際で、ココと一緒に外を眺めていた。中庭では、隣国の騎士たちが馬の世話をしながら、王国の騎士たちと情報交換をしている様子が見える。
「……大変な状況だな」
「キュー」
ココも不安そうに鳴く。
「ハクジンさま」
振り返ると、フィルメリアが一人で歩いてくるのが見えた。
公的な場を離れると、表情が少し和らいでいる。
「久しぶりですね、本当に」
「ああ、久しぶりだ。……王子妃になられたんだな」
「はい」フィルメリアが微笑む。
「思っていたより、ずっと充実した日々を送っています」
「そうか」
近くのベンチに腰かけ、俺も隣に座る。ココがフィルメリアの膝に飛び乗った。
「隣国では、魔導技術を学びながら、国政にも参加させていただいています。特に魔獣対策については、私の専門分野として任せていただいて」
フィルメリアの声には、確かな自信があった。
「夫であるアルベルト王子とも、共通の目標を持って取り組んでいます。最初は政略結婚でしたが……今は、心から尊敬し、愛することができる方だと感じています」
「……幸せなんだな」
「はい」フィルメリアが頷く。
「あの時、ハクジンさまに背中を押していただいたおかげです」
「俺は何もしてない」
「いえ、してくださいました。『自分の道を歩く勇気』を教えて下さいましたわ」
そう言って、フィルメリアは柔らかく微笑んだ。
が、すぐに表情を曇らせる。
「でも、今回の魔獣問題は深刻です。隣国でも、この一ヶ月で三つの村が壊滅的な被害を受けました」
「そんなに……」
「しかも、被害のパターンが異常なんです」
フィルメリアが声を潜める。
「普通なら、魔獣は単発的に襲撃するものです。でも今回は……まるで組織的に動いているかのような統制が取れている」
「組織的?」
「はい。まず偵察のような小型魔獣が現れて村の様子を探り、その後で大型の魔獣が群れで襲撃する。まるで軍隊のような動きです」
それは確かに異常だった。魔獣に知性はあるが、そこまで高度な戦術を取ることはない。
「だからこそ、深淵の王の存在が疑われているんです」
「深淵の王が、他の魔獣を指揮してるってことか」
「その可能性が高いです。古い文献によると、深淵の王は魔獣たちの頂点に立つ存在だったとか」
フィルメリアの声に、未来の王妃としての責任感がにじんでいた。
「だからこそ、ハクジンさまの知見が必要なんです。きっと、この危機を乗り越える鍵を見つけてくださると信じています」
「期待に応えられるかわからないが……やってみる」
「ありがとうございます」
フィルメリアが深くお辞儀をする。
「今度は対等なパートナーとして、一緒に問題解決に取り組めることを嬉しく思います」
「頼りにしてる」
「ところで、あの……」
フィルメリアが少し照れたように言う。
「リオナちゃんやクロヤナギ村の皆さんは、お元気ですか?」
「ああ、みんな元気だ。姫のことを心配してたよ」
「心配をおかけして申し訳ありません。でも、こうして再び協力できることになって、きっと喜んでくれると思います」
「そうだな」
「今度、お手紙を書かせていただきますね。隣国での生活のことや、今回の件についても報告したくて」
フィルメリアの表情に、故郷への愛情がにじんでいる。
「喜ぶと思うぞ」
「キュー」
ココがフィルメリアの手に鼻先を寄せる。
「あなたも、私のこと覚えていてくれたのね」
フィルメリアがココの頭をそっと撫でる。
「そう言えば、そいつに名前をつけたんだ。”ココ”て言う」
「名前をつけていただいたんですね。素敵な名前です」
「『ここから始まる』って意味でつけた」
「ハクジンさまらしい、希望に満ちた名前です。良かったわね、ココ」
フィルメリアが微笑む。その笑顔は、以前の天真爛漫さとは違う、深い温かさを持っていた。
「そういえば……」
フィルメリアが懐から小さな袋を取り出す。
「これ、我が国の特産品なんです。魔獣避けの効果があるハーブを調合したお守りで」
「俺にか?」
「はい。今回お世話になるお礼になればと思いまして」
受け取ると、爽やかな香りが漂った。
「ありがとな」
「受け取っていただけて嬉しいです」
しばらくして、会議の準備が整ったという知らせが来た。
「そろそろが始まるようだな」
「では、参りましょう」
フィルメリアが立ち上がる。
「両国の未来がかかっています。必ず、解決策を見つけましょう」
その言葉には、王妃としての強い決意が込められていた。
会議室に向かう途中、エドガーが俺に近づいてきた。
「兄貴、フィルメリア王子妃、すごく立派になられましたね」
「ああ、見違えるようだ」
「でも、兄貴を見る目は昔と変わらない気がします」
「どういう意味だ?」
「尊敬と……その、なんというか、特別な感情みたいなのが」
「余計なことを言うな」
「はいっ!」
会議室に入ると、既にグランツ卿が資料を広げて待っていた。
「それでは、始めさせていただきましょう」
国王が席に着き、会議が開始された。
「まず、我が国での被害状況から説明いたします」
グランツ卿が立ち上がり、地図を指し示す。
「こちらをご覧ください。被害を受けた村々の位置です」
地図には、赤い印がいくつもつけられていた。
「一見ランダムに見えますが、実は一定のパターンがあります」
「どのような?」
カイルが質問する。
「全て、古い魔導遺跡の近くなんです」
その言葉に、会議室がざわめいた。
「古い魔導遺跡……」
俺は眉をひそめた。
「それは偶然じゃないな」
「ええ。何らかの関連があると考えています」
フィルメリアが資料を取り出す。
「私が調べた限りでは、これらの遺跡は全て古代パンダ族に関連するもののようです」
「古代パンダ族?」
「はい。今から千年以上前、この地域を治めていた種族です」
俺の胸の奥で、何かがざわめいた。
「そして、深淵の王もまた、古代パンダ族と深い関わりがあるとされています」
会議室が静まり返った。
俺は、胸の奥の火種が僅かに揺らめくのを感じていた。
まるで、何かに反応しているかのように。
「……これは、もっと詳しく調べる必要がありそうだな」
「はい。そのために、今回は合同調査隊の編成を提案させていただきたく」
フィルメリアの言葉に、俺は頷いた。
深淵の王の謎は、俺自身の秘密とも関わっているかもしれない。
この問題は、想像以上に複雑で、そして個人的なものになりそうだった。