第十六話 パンダ、空飛ぶ夢を見る
朝の陽射しが宿の窓から差し込む頃、俺は身支度を整えていた。
「今日は工房街を見て回るか」
「キュー」
ココが肩の上で小さく鳴く。昨夜、宿の主人から聞いた話では、王都の工房街には優秀な魔導具職人が集まっているという。深淵の王の調査には、何か特別な道具が必要になるかもしれない。
「金麦の宿」の主人は、俺がパンダだとわかって以来、やけに親切になっていた。
「パンダさま、工房街でしたら、アルカード魔導具工房がおすすめですよ」
「アルカード?」
「ええ、王都でも老舗の名店です。腕は確かですし、変わったご注文にも対応してくれると評判で」
変わった注文、か。確かに、パンダ用の道具なんて、普通は作らないもんな。
「場所を教えてくれるか?」
「工房街の奥、石畳の突き当たりにある煉瓦造りの建物です。看板が大きいので、すぐにわかりますよ」
工房街は王都の南側にあった。石畳の道の両側に、大小様々な工房が軒を連ねている。鍛冶屋の金槌の音、魔導具師の詠唱の声、薬草師の乳鉢を擦る音……様々な職人の営みが混ざり合って、独特の活気を生み出していた。
「賑やかだな」
「キュー」
ココも興味深そうに辺りを見回している。
道の突き当たりまで歩いていくと、確かに大きな看板が見えた。
『アルカード魔導具工房』
古い煉瓦造りの建物は、年季を感じさせるが、手入れが行き届いている。看板の文字も丁寧に彫り込まれており、老舗の風格を漂わせていた。
工房に近づくと、中から声が聞こえてきた。
「もう少し魔力を込めて……そう、その調子じゃ」
「はい、師匠!」
二つ目の声に、俺は足を止めた。
「……この声、まさか」
工房の扉は開いていた。中を覗くと、作業台に向かって何かを作っている人影が見える。
年配の男性と、その隣で熱心に作業している少年。少年の方は、ふわふわの栗色の髪をしていて……
「ミロか?」
思わず声に出すと、作業台の少年がぴくりと振り返った。
そして、俺と目が合った瞬間。
「え、パンダ?……あ!ハクジンさま!?」
間違いない。ミロだった。
数ヶ月前より少し背が伸び、顔つきも幾分しっかりしてきたが、あの真っ直ぐな瞳は変わっていない。
「久しぶりだな、ミロ」
「ハクジンさま!本当にハクジンさまだ!」
ミロが作業台から飛び出してきて、俺のところに駆け寄る。
「師匠、この方が僕がいつもお話ししているハクジンさまです!」
作業台の奥にいた年配の男性が、ゆっくりとこちらを振り向く。
白い髭を蓄えた、威厳のある老人だった。魔導具職人らしく、細かい作業用の眼鏡をかけ、エプロンにはいくつものポケットがついている。
「ほう、あなたが噂のパンダ殿か。ミロがいつも話しておった」
老人は俺を見ると、興味深そうに目を細めた。
「初めまして。ハクジンと申します」
「わしはアルカード。この工房の主じゃ」
「僕は今、アルカード老師に弟子にしていただいてるんです」
ミロが嬉しそうに説明する。
「あの頃より、ずいぶん大きくなったな」
「ええ!おかげさまで、魔導具作りも上達しました!」
確かに、数ヶ月前の頼りなさは薄れ、魔導具職人として自信をつけてきた様子が見える。
背が伸びて肩も広くなり、少しずつ少年の面影から青年の姿へと変わりつつある。
「この子の才能と熱意はなかなかのものじゃ。あと数年もすれば一人前になるじゃろう」
アルカード老師がミロの頭を軽く叩きながら言う。
「そうか、それは良かった」
俺は心から嬉しく思った。
あの時、夢を追いかけることを決めたミロが、こうして成長している姿を見られるなんて。
「キュー」
ココもミロのことを覚えているらしく、嬉しそうに鳴いた。
「あ、ココちゃんも元気でしたか!」
ミロがココの頭をそっと撫でる。ココは気持ちよさそうに目を細めた。
「ところで、ハクジンさま、王都には何の用事で?」
「ちょっと厄介な問題が起きてな。国王陛下に呼ばれたんだ」
「国王陛下に!?さすがハクジンさまです!」
ミロの目がキラキラしている。
「そんな大層なもんじゃないが……それより、お前の方はどうだ?空飛ぶほうき、完成したのか?」
「はい!」
ミロが胸を張って答える。
「実は、人間サイズのものが一台、完成したんです。見てください!」
ミロは工房の奥から、立派なほうきを持ってきた。柄の部分は上質な木材で作られ、魔力を通すための金属の装飾が施されている。穂の部分には、青く光る魔結晶が埋め込まれていた。
「おお、立派なもんだな」
「わしの指導もあるが、基本設計は全てミロのものじゃ」
アルカード老師が誇らしげに言う。
「本当に飛ぶのか?」
「はい!お見せします!」
ミロが工房の裏手にある中庭に案内してくれる。
そこは魔導具のテスト用らしく、広いスペースが確保されていた。
「では、行きます!」
ミロがほうきにまたがり、柄の部分に手を置く。すると、魔結晶が青く光り始めた。
次の瞬間、ほうきがゆっくりと宙に浮いた。
「おお!」
本当に飛んでいる。ミロは中庭の上空をゆっくりと一周してから、軽やかに着地した。
「すげぇな、本当に飛んでる」
「ありがとうございます!」
ミロが嬉しそうに笑う。夢を実現した青年の顔は、輝いて見えた。
「実は……」
ミロが少し照れながら言う。
「ハクジンさま専用の大型機も設計してるんです」
「え?」
「はい、いつかハクジンさまにお会いしたら、お見せしたいと思って」
ミロが工房に戻って、設計図を持ってきた。大きな紙に、詳細な図面が描かれている。
「これは……」
見ると、確かにパンダサイズの大型飛行具の設計図だった。
座席も広く取られ、安定性を重視した設計になっている。
「浮力計算が難しくて、まだ試作段階ですが……」
「完成すれば世界初のパンダ専用飛行具じゃな」
アルカード老師が興味深そうに設計図を見ている。
「キュー」
ココも設計図を興味深そうに見つめ、前足で図面をつついている。
「お前、本当にすごいな」
俺は感動していた。ミロは夢を追いかけるだけでなく、俺のことまで考えてくれていたのか。
「でも、まだまだです」
「そんなことはない。いつか俺も空を飛べるかもしれないなんて、考えるだけで最高だ!」
「いつになるかわかりませんが、絶対完成させますので、待っていて下さいね!!」
「ありがとな、ミロ。楽しみに待ってる」
「このほうきだけじゃありませんよ!もっともっと勉強して、いつかハクジンさまのお役に立てるような魔導具を他にも色々作ってみせます!」
「ああ。期待している……と、そういうことなら…」
俺はふと思い出した。
「早速一つ相談に乗ってくれないか?
実は今回、特別な魔導具が必要になるかもしれないんだ」
「特別な魔導具?」
「ああ。魔獣の動きを調べる道具とか、そういったものが」
俺は深淵の王の件について、簡単に説明した。
「古代魔獣か……興味深い問題じゃな」
アルカード老師が顎髭を撫でながら考え込む。
「師匠、僕にも何かできることがあれば!」
ミロが身を乗り出す。
「お願いします!ハクジンさまのお役に立ちたいんです!」
「ふむ……」
アルカード老師が少し考えてから、俺を見た。
「どのような道具をお求めじゃ?」
「魔獣の動きを観察・記録できるもの、かな。それと、できれば魔獣と意思疎通できるような道具があれば」
「意思疎通……」
老師とミロが顔を見合わせる。
「師匠、例の『共感増幅器』は……?」
「ああ、あれか。確かに、応用すればできるかもしれんな」
「共感増幅器?」
「魔力によって生物同士の感情を共有する装置じゃ。まだ実験段階だが、うまくいけば魔獣の気持ちを理解できるかもしれん」
「それは……すごいな」
もし魔獣と意思疎通ができれば、深淵の王の謎も解けるかもしれない。
「弟子の修行にもなる。協力させてもらおう」
アルカード老師が決断を下す。
「本当ですか!」
ミロが飛び上がって喜ぶ。
「ハクジンさまのお役に立てるなら、徹夜でも頑張ります!」
「無理はするなよ」
「大丈夫です!僕、今度こそハクジンさまの力になりたいんです」
ミロの真剣な表情を見て、俺は胸が熱くなった。
「では、明日から本格的に製作を始めよう」
アルカード老師が言う。
「まずは観察用の道具から作るとしよう。共感増幅器は時間がかかるからな」
「ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
「礼には及ばん。面白そうな仕事じゃ」
老師が笑う。
「それに、ミロがこれほど誰かのために頑張ろうとする姿を見るのは初めてじゃ。師匠としても嬉しいぞ」
「師匠……」
ミロが感動で目を潤ませる。
工房を出る頃には、日が傾きかけていた。
「明日、また来ます」
「はい!お待ちしてます!」
ミロが手を振って見送ってくれる。
帰り道、俺は考えていた。
数ヶ月前、俺は夢を追いかけることの大切さをミロに教えたつもりだった。
でも今日、逆にミロから大切なことを教えられた気がする。
誰かのために頑張ること。
それが、夢を実現する原動力になるということを。
「キュー」
ココが肩の上で満足そうに鳴く。こいつも、ミロの成長を喜んでいるようだった。
「明日も忙しくなりそうだな」
でも、悪い気はしない。
久しぶりに、仲間と一緒に何かを成し遂げる感覚を味わえそうだ。
深淵の王の謎解きは、思わぬ形で新たな展開を見せ始めていた。
宿に戻ると、エドガーが待っていた。
「兄貴、お疲れさまです!明日の調査の件で相談が……」
「ああ、俺も報告がある」
俺はミロとの再会と、魔導具製作の件を説明した。
「魔導具か!それは心強いですね!」
「ああ。お前たちの調査にも役に立つと思う」
「さすが兄貴!」
エドガーが感心している。
一方で、俺は胸の奥で小さく燃えている火種を感じていた。
まだ灯してはいない。でも、確実に温かくなっている。
仲間たちと一緒なら、きっといつか大きな炎にできる気がした。
「さて、明日も早いな」
「はい!頑張りましょう、兄貴!」
窓の外では、王都の夜が更けていく。
明日から始まる新たな挑戦に、俺は静かに期待を膨らませていた。