第十四話 パンダ、王都への使命
朝の光が差し込む納屋で、俺は珍しくゆっくりと寝坊を決め込んでいた。
昨夜は村長と遅くまで魔獣対策について話し込んでいたせいか、いつもの時間が過ぎても瞼が重かった。
「キュー……」
肩の上で丸くなっていたココも、まだ眠そうに小さく鳴く。
「もう少し寝てるか……」
そんな平和な朝を破るように、遠くから馬の蹄の音が響いてきた。
それも、ただの蹄の音じゃない。軍馬が全力で駆けてくる音だ。
「……なんだ?」
俺は身を起こし、耳を澄ませた。蹄の音はどんどん近づいてきて、やがて村の入り口で急停止した。
続いて聞こえたのは、村人たちの慌てたような声。
「何事だ?」
ココを肩に乗せて外に出ると、村の広場に人だかりができているのが見えた。
広場に着くと、そこには汗だくの騎士が馬にまたがったまま待っていた。
騎士団の制服を着た若い男で、明らかに急いで駆けつけた様子だ。馬も息を荒くしている。
「おお、ハクジン殿」
村長が慌てたように駆け寄ってくる。
「王都からの急使が、お前さんに緊急の手紙を持ってきたそうじゃ」
「急使?」
騎士は俺を見ると、少し驚いたような顔をしたが、すぐに馬から降りて、表情を引き締めた。
「ハクジン殿でいらっしゃいますね。王都より急ぎの知らせをお届けに参りました。
自分はルーカスと申します。」
「ご苦労さん。で、緊急の手紙とは?」
「はい、こちらです」
ルーカスが差し出したのは、王室の印章がついた重厚な封筒だった。蝋で厳重に封印されている。
「王室から直々の依頼状です。内容については……」
ルーカスが言いかけたとき、リオナが慌てて駆けつけてきた。
「ハクジンさま!どうしたんですか、みんなが集まって……」
「王都から手紙が来たらしい」
「王都から!?」
リオナの目が丸くなる。
「何かあったんですか!王様からですか?」
「まだ読んでない。とりあえず中を見てみよう」
俺は封筒を受け取り、蝋印を慎重に破った。
中から出てきたのは、上質な羊皮紙。どうやら国王直筆のようだ。
『ハクジン殿
王国各地で魔獣の異常行動が報告されている。
古代魔獣「深淵の王」復活の可能性があり、貴殿の知見を必要とする。
至急王都まで参られたし。
グラント=フォレア王国国王 アルバート三世』
「……深淵の王?」
聞いたことのない名前だ。
「ハクジンさま、むずかしいお手紙ですか?」
リオナが心配そうに俺を見上げる。
「ちょっと厄介な問題が起きてるらしい」
ルーカスが俺に向き直って説明を加えてくれる。
「実は、各地からの報告が日に日に深刻になっているのです」
「どんな報告だ?」
「魔獣たちの行動が異常に攻撃的になっているとか、普段は人里離れた場所にいる魔獣が町の近くに現れるとか」
「ふむ……」
「それに…魔獣同士が連携して動いているという報告もあります」
「連携?」
それは確かに異常だ。魔獣は基本的に単独行動を取る。群れで行動するのは、ごく限られた種類だけだ。
「キュー……」
ココも不安そうに鳴く。
「それにしても、俺の知見が必要って……買いかぶりすぎじゃないか?」
「いえいえ、ハクジン殿のお名前は王都でも有名です」
ルーカスが真面目な顔で言う。
「”深紅の牙”討伐の件、各地での魔獣対策指導の件……」
「あー、そんなに広まってるのか」
どうやら俺の知らないところで、評判が一人歩きしているらしい。
村長が手紙を覗き込んできた。
「これは確かに、お前さんの出番じゃのう」
「でも、深淵の王なんて聞いたことないぞ」
「古い記録を調べれば、何かわかるかもしれません」
ルーカスが提案する。
「王都の図書館には、古代魔獣に関する資料が豊富にあります」
「そうか……」
俺は少し考えた。確かに、最近の魔獣の動きには気になるところがあった。
先日森で出会ったあのウサギ型魔獣も、何かから逃げてきたような様子だった。
「ハクジンさま、行くんですか?」
リオナが不安そうに聞く。
「……そうだな。放っておくわけにもいかないし」
決心がつくと、俺は村長を見た。
「村のことを頼む」
「任せておけ。気をつけて行ってくるがよい」
急な旅立ちの準備に、村は慌ただしくなった。
「ハクジンさま、お弁当作ります!」
リオナが台所に駆け込んでいく。
「そんなに慌てなくても……」
「だって、王都まで遠いんでしょ?お腹すいちゃいます」
確かにそうだ。王都までは2日はかかる。
「ハクジン殿、これをお持ちください」
村の人たちが次々と差し入れを持ってくる。干し肉、水筒、薬草……
「みんな、ありがたいが、そんなに持てないぞ」
「でも、心配ですから」
「無理しちゃダメですよ」
「何かあったら、すぐに帰ってきてくださいね」
みんなの温かい言葉に、胸が熱くなる。
一方で、ルーカスは馬の世話をしながら、少し困った顔をしていた。
「あの……失礼ですが、ハクジン殿のご移動はどういった手段をお考えでしょう?
馬などは乗られるのでしょうか?」
「いや、歩いて行く」
「え?」
「俺、馬に乗れないんだ。馬車もこのサイズだと入り口から入るのは無理だしな」
体重のせいで、普通の馬では無理だろう。荷馬車なら乗れるかもしれんが、騎士様に引いてもらうわけにもいかんしな。それに、ココもいる。
「でも、王都まで徒歩では……」
「大丈夫だ。俺の足は意外と速い」
実際、パンダの脚力は馬鹿にできない。
のんびり歩いているように見えて、本気を出せばそれなりの速度が出る。
「そ、そうですか……」
ルーカスが困惑している間に、リオナが大きな包みを持ってきた。
「はい、ハクジンさま!特製お弁当です!」
包みを開けると、おにぎりとおかずがぎっしり詰まっている。
「こんなに作ったのか?」
「だって、いつ帰ってこられるかわからないし……」
リオナの目がうるうるしている。
「大丈夫だ。必ず帰ってくる」
「本当ですか?」
「ああ、約束する」
俺がリオナの頭を撫でると、彼女はようやく笑顔を見せた。
「じゃあ、お土産話、楽しみにしてます!」
村の門で、大勢の村人に見送られながら出発することになった。
「気をつけて行ってくださいよ、ハクジン殿」
「パンダさま、頑張って!」
みんなの声援を背に、俺は歩き出した。
ルーカスは馬に乗って俺の横を進む。最初は俺の歩行速度を心配していたようだが、実際に歩いてみると意外と速いことがわかって驚いていた。
「ハクジン殿、本当に速いですね」
「まあな。見た目で判断するもんじゃない」
「キュー」
ココも得意げに胸を張る。
道中、ルーカスから王都の現状について詳しく聞いた。
「最初は単発の魔獣被害だったんです。でも、だんだんパターンが変わってきて……」
「どう変わった?」
「魔獣たちが、まるで何かに導かれるように行動しているんです」
「導かれる?」
「はい。まるで、誰かが指示を出しているかのように」
それは確かに異常だ。魔獣に知性はあるが、そこまで組織的な行動を取ることはない。
「それで、深淵の王の復活が疑われているわけか」
「古い文献によると、深淵の王は他の魔獣を統率する力を持っていたとか……」
「なるほど」
歩きながら、俺は考えた。
もし本当に古代魔獣が復活しているなら、これは村の問題どころではない。王国全体、いや世界全体に関わる大問題だ。
「ハクジンさま、何か心当たりがあるんですか?」
ルーカスが期待を込めて聞く。
「今のところはな。でも、王都で資料を調べれば何かわかるかもしれない」
夕方になって、俺たちは街道沿いの宿場町に到着した。
「今日はここで一泊しましょう」
ルーカスが提案する。
「そうだな」
宿屋に入ると、宿主が俺を見て目を丸くした。
「お、おお……パンダが……しゃべった……?」
「慣れてくれ」
結局、宿屋は大騒ぎになった。
「すごい!本物のパンダだ!」
「触らせて!」
「握手して下さい!」
宿の客たちが次々と集まってきて、俺は完全にアイドル状態。
「キュー……」
ココも疲れた顔をしている。
「すみません、明日は早いので……」
ルーカスが間に入って、何とか部屋に避難できた。
「大変でしたね」
「まあ、慣れてる。だが、助かった」
部屋でリオナのお弁当を食べながら、明日のことを考えた。
王都に着けば、久しぶりにエドガーにも会えるだろうか。
姫の近況も何か入っているかもしれん。
ミロは……そういえば、王都の工房に修行に出たと言っていたな。
「王都では、お知り合いがいらっしゃるんですか?」
「ああ、何人か」
「心強いですね」
「そうだな」
窓の外を見ると、星がきれいに輝いている。
村のリオナも、同じ星を見ているだろうか。
「必ず帰ってくる」
その約束を胸に、俺は明日への準備を整えた。
深淵の王……一体何者なんだろうな。
まあ、きっと何とかなる。
そう信じて、俺は静かに目を閉じた。
明日は久しぶりの王都だ。
新しい冒険の始まりだ。