第十三話 パンダ、新たな日常を築く (第二幕)
本話より第二幕スタートします!
よろしくお願いします!!
朝の光が縁側に差し込む頃、俺は藁の上でゆっくりと目を覚ました。
「ふぁ……よく寝た」
大きく伸びをすると、背骨がポキポキと鳴る。
パンダの体は相変わらず重たいが、この数ヶ月ですっかり慣れてしまった。
「キュー」
肩の上で丸くなっていたココが、俺の動きに合わせて小さく鳴く。
こいつも俺と一緒に早起きの習慣がついたらしい。
「おはよう、相棒」
軽く頭を撫でると、ココは嬉しそうに尻尾を振った。
村に戻ってからもう3ヶ月が経つ。
旅から帰ってきた当初は、ただのんびりと過ごすつもりだったのだが、気がつけば村での生活にも新しいリズムができていた。
「ハクジンさま、おはようございます!」
元気な声と共に、小さな影が納屋の入り口に現れた。
リオナだ。
7歳の彼女は、以前よりもしっかりした様子で俺を見つめている。
髪も少し伸び、服装も前より動きやすそうなものに変わっていた。
「おはよう、リオナ。今日も早いな」
「はい!ハクジンさま、今日は寺子屋の日ですよ。遅刻しちゃダメです」
寺子屋。
そう、俺が村で始めた新しい取り組みだ。
表向きは子どもたちに読み書きを教えることになっているが、実際のところは……
「パンダさま、準備できました?」
リオナが小さな手で俺の前足を引っ張る。
「ああ、わかった。行こう」
俺はのそりと立ち上がり、ココを肩に乗せて外に出た。
村の中央にある古い集会所。
その一角に設けられた小さな部屋が、俺の「寺子屋」だった。
中には村の子どもたち5人ほどが、行儀よく座って待っている。
年齢は5歳から10歳くらいまで。みんな俺を見ると、目を輝かせて手を振った。
「パンダ先生、おはようございます!」
「おはよう、みんな」
俺は部屋の前に座り、子どもたちを見回した。
リオナは一番前の席で、まるで優等生のように背筋を伸ばしている。
「さて、今日も始めるか。まず、昨日の復習からだ」
そう言って、俺は黒板代わりの石板に文字を書き始める。
といっても、パンダの前足で文字を書くのはなかなか難しい。
「え〜っと……『あ』は……こう、かな?」
ぐにゃぐにゃした文字に、子どもたちがくすくすと笑う。
「パンダ先生、字が下手〜」
「うるさい。文字の上手い下手より、伝えたい気持ちが大事なんだ」
「でも読めません〜」
「……」
仕方なく、リオナに代筆をお願いする。7歳にしては字が上手で、助かっている。
「ありがとな、リオナ」
「ふふっ、どういたしまして、ハクジンさま」
読み書きの練習を30分ほどした後、いつものように子どもたちから質問が飛んでくる。
「パンダ先生、僕、将来何になればいいかわからないんです」
質問したのは、8歳のタロウ。いつも真面目な顔をしている。
「焦ることはない。まずは今、目の前のことを大切にしろ」
俺は低い声でゆっくりと答える。
「目の前のこと?」
「そうだ。今日やるべきことを、ちゃんとやる。家の手伝いでも、友達との約束でも、何でもいい。それを積み重ねていけば、自然と自分の道が見えてくる」
「パンダ先生はどうやって自分の道を見つけたんですか?」
リオナが手を上げて質問する。
「俺か?」
ちょっと考える。前世のことを話すわけにはいかないし、転生した経緯も複雑だ。
「俺は……長い間、迷ってた。何をしたいのか、何ができるのか、全然わからなかった」
「それで?」
「でも、いろんな人に出会って、いろんなことを経験するうちに、気づいたんだ。俺は、誰かの役に立ちたいんだって」
子どもたちが真剣な顔で聞いている。
「だから、焦らなくていい。今は今を大切に生きろ。
きっと、お前たちにも『これだ』と思える何かが見つかる」
「わかった〜」
「パンダ先生、かっこいい〜」
子どもたちから歓声が上がる。
「キュー」
ココも同意するように鳴いた。
寺子屋が終わると、午後は近隣村への巡回活動だ。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてくださいね、ハクジンさま」
リオナが手を振って見送ってくれる。
以前なら「私も一緒に行く!」と駄々をこねていたのに、最近は自分から留守番を申し出る。
成長したな、と思う。
俺とココは村を出て、隣村のミズキ村へ向かった。
道中、俺は自分の心境の変化について考えていた。
村に帰ってきてから、確かに充実した日々を送っている。
寺子屋では子どもたちの成長を見守り、巡回活動では他の村の人たちの役に立っている…と思う。
でも、どこか物足りない。
「以前はこの生活に満足してた。でも、今は……何か物足りないんだよな」
「キュー?」
ココが首をかしげる。
「うまく説明できないんだが、もっと大きな何かをしたいっていうか……」
自分でも何を言っているのかわからない。
ミズキ村に着くと、村の人たちが温かく迎えてくれた。
「パンダさん、今日もありがとうございます」
「魔獣対策の見回り、お疲れさまです」
俺は「魔獣予防アドバイザー」として、近隣3つの村を定期的に訪問している。
魔獣の出没パターンを調べ、対策をアドバイスするのが主な仕事だ。
「新しく作る畑の配置、いただいたアドバイス通りに変えてみました」
「ああ、いい感じだな。これなら魔獣も近づきにくい」
魔獣は基本的に警戒心が強い。
人間の生活圏がしっかりと整備されていれば、むやみに近づいてこない。
「見張り台の位置も、もう少し東寄りにした方がいいな」
「はい、わかりました」
アドバイスをしながら、村の子どもたちが俺の周りに集まってくる。
「パンダさん、今日ももふもふさせて〜」
「ちゃんと順番守るから〜」
「キューキュー」
ココも子どもたちに人気で、小さな手でそっと撫でられている。
仕事をこなしながらも、俺の頭の片隅には先ほどの疑問が残っていた。
俺は本当に、これで満足なのだろうか?
帰り道、小さな出来事があった。
森の小径を歩いていると、茂みの奥で小さな鳴き声が聞こえた。
「キュー……」
ココが耳をぴんと立てる。
「何だ?」
近づいてみると、そこには小さな魔獣がいた。
ウサギのような形をしているが、普通のウサギより一回り大きく、耳の先が青く光っている。
いつもなら、魔獣を見つけたら追い払うところだ。村に害を与える可能性があるからな。
でも今日は、なぜか違った。
「なぜここにいるんだ?」
魔獣は俺を見て、怯えるように身を縮める。
でも、攻撃的な様子はない。むしろ、困っているように見える。
「もしかして、何かから逃げてきたのか?」
俺はゆっくりと近づき、しゃがみ込んだ。
「大丈夫だ。害を与えるつもりはない」
魔獣は最初警戒していたが、俺の声のトーンに安心したのか、少しずつ近づいてきた。
そして、俺の前足にそっと頭を擦り寄せる。
「……お前も、居場所を探してるのか」
なぜかそんな気がした。
魔獣はしばらく俺の そばにいた後、森の奥へと走っていった。
何度も振り返る姿が、まるで「ありがとう」と言っているようだった。
「キュー」
ココが俺の肩で小さく鳴く。
「ああ、俺も同じことを思ってる」
魔獣にも、きっと事情がある。ただ生きているだけなのに、人間に嫌われ、追われる。
もしかしたら、もっと違う関係を築けるんじゃないだろうか?
村に戻ると、夕食の時間だった。
村長宅でリオナの手料理をいただく。最近、彼女の料理の腕が上がってきた。
「パンダさま、今日のスープはどうですか?」
「うまいな。前より味に深みが出てる」
「やった〜!」
リオナが嬉しそうに跳ねる。
村長が湯呑みを片手に、俺を見つめていた。
「最近のハクジン殿は、前より考え込むことが多いのう」
「……そうですかね」
「うむ。何か心配事でもあるのか?」
俺は少し考えてから答えた。
「心配というより……もどかしさ、ですかね」
「ほう」
「今の生活も悪くないんです。でも、何というか……」
言葉がうまく見つからない。
食事の後、リオナと二人きりになった。
「ハクジンさま、最近なんだか寂しそうです」
リオナの率直な言葉に、俺は少し驚いた。
「寂しいわけじゃない。ただ……」
「何か新しいことをしたいんですか?」
リオナの言葉が、俺の心の奥を突いた。
「……そうかもしれないな」
「ハクジンさまは、村のことがお嫌いになったんですか?」
「いや、そんなことはない。この村も、みんなも大好きだ」
「じゃあ、何が足りないんですか?」
7歳の子どもとは思えない、鋭い質問だった。
「俺にもよくわからないんだ。でも……もっと大きな何かをしたいのかもしれない」
リオナは少し考えてから、にこっと笑った。
「ハクジンさまは、きっともっとすごいことができる人なんですよ」
「すごいこと?」
「うん。だって、ハクジンさまが来てから、村のみんなが幸せになったもん。
だからね、ハクジン様は、きっと、もっとたくさんの人を幸せにできると思うんだ」
子どもらしい素直な言葉だったが、俺の胸に深く響いた。
「……ありがとな、リオナ」
その夜、俺は一人で縁側に座り、星空を見上げていた。
ココが膝の上で丸くなって、静かに寝息を立てている。
「みんな、それぞれの道を歩き始めた。姫も、エドガーも、ミロも……
リオナもどんどん成長してる…俺だけが、ずっと足踏みしてるみたいだな…」
空に輝く星を見ながら、俺は独り言をつぶやく。
「俺は……俺は何をしたいんだ?」
答えは、まだ見つからない。
でも、確実に言えることがある。
この村での生活は、俺にとって大切な時間だった。でも、それだけでは足りない何かがある。
「お前はどう思う?」
ココが「キュ?」と小さく鳴く。
「ああ、すまない。起こしちまったか」
風が吹いて、木の葉がさらさらと音を立てる。
その時、空に流れ星が一筋、流れた。
「……そろそろ、答えを探しに行く時が来たのかもな」
村の静かな夜に、虫の声が響いている。俺は膝の上のココを起こさないよう、そっと縁側に横になった。
明日もまた、子どもたちが俺を「パンダ先生」と呼んで集まってくるだろう。
それもまた、悪くない。
でも、きっと……きっと、もうすぐ何かが始まる。
そんな予感を抱きながら、俺は静かに目を閉じた。