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第十二話:パンダ、はじまりの村へ (第一幕 最終話) 

「キュー……」


肩の上で、ココが小さくあくびをする。

柔らかい毛並みが風になびいて、首筋をくすぐった。


「……こら、寝ぼけながら俺の耳かじるな」

「…キュウ?」


返ってきたのは、悪びれるでもなく、鼻先でこつんと頭突き。

俺はため息まじりに笑って、視線を遠くへ向けた。


少し高台になったこのあたりからは、もう村の屋根がちらほらと見える。

赤い瓦と、白い煙。懐かしい香り。


「……帰ってきたな、クロヤナギ村」

 

思えば、いろんな場所を歩いた。

姫と出会ったあの林道。

ミロと話した魔道具屋の裏路地。

エドガーと火を囲んで一緒に飲み明かした川辺。

ココのふるさとみたいな森の奥。

どれもこれも、俺ん中で――全部、少しずつ“残ってる”。

 

「……でもな」


ポツリとつぶやくように言った。


「リオナからもらったカップも、旅立ちに持たされたマントも、お守りも……結局、失くしちまったんだよな」


ココがぴくりと耳を動かす。

「気づいたら、旅のはじめに持ってたもん、全部なくしちまってた。……あいつらの気持ちが詰まった品だったのに、間抜けな話だ。 みんなに会ったら、ちゃんと詫びないとな」


「……でも、これはある。姫様にもらった香袋は、ちゃんとここにある」

香袋からは、うっすらと花のような香りが漂っていた。


懐かしいような、あたたかいような、ちょっと切ないような――不思議な香り。


「それと、ミロのお守りもな、ちゃんと持ってる。……ちっこくて、かさばらないから助かる」


「キュ」


「お前が持ってもいいけどな? ……でも、たぶん、かじるだろ」


「キューーー」

威勢よく否定された。


いや、でもお前、一回ほうきの符かじったよな。


 


「……なあ、ココ」

「キュ?」

「この村に帰って、俺たち、なにするんだろうな」

言葉にしながら、自分でも少し笑った。


目的も決めずに歩いて、帰ってきた。

でも、それが悪いとは、もう思っていない。


「旅の間に、いろんなやつに出会って、背中を押したり、押されたり。憧れ、迷い、焦り、柄にもなく反省もしたな……」


「キュ」


「たった1ヶ月くらいのことなのに、なんだか、ものすごく遠くまで行ってきた気分だ」


ふと、ココが俺の肩からぴょんと降りて、ちょこちょこと草の上を歩き始めた。

鼻をくんくん動かして、道端に咲いた小さな白い花をじっと見ている。


「……そっか。お前も、そういう気分か」

俺もゆっくりと歩を進める。

足元の土が、少しだけ懐かしい匂いを運んできた。


そうだ。この道を、あの時もリオナと一緒に歩いた。

村のみんなから“パンダさま”なんて呼ばれていた頃。

茶をこぼされて、耳をつかまれて、モフられて――

 

「……結局、またモフられる未来しか見えねぇな」

「キュッ」

「何がおかしい」

ココがくすっと笑うように鳴く。


でもまあ、悪くないかもな。そんな未来も。

 

少し開けた道の先に、村の門が見えた。

木造の柵。小さな見張り台。

あの頃と、何も変わっていない。

変わったのは――俺のほうかもしれない。


「……おう、帰るか」


ココがぴょんと飛び乗ってくる。

その軽やかさが、妙に心地よかった。



 

空は少しずつ青くなり、雲がゆっくりと流れていく。

村の空気が、風に乗ってこちらへ向かってきていた。


俺たちの旅は、いったんここで終わる。

けれど、またここから――始まる気がしていた。


村の門をくぐった瞬間、風の匂いが変わった。

土と藁、焚き火の煙、そしてどこかで干された魚の香り。

この村独特の、懐かしくて落ち着く匂いだ。


「……帰ってきたな、ココ」

「キュッ」


軽く尻尾で俺の頬をぺしりと叩いて、ココは耳をぴんと立てる。

その直後だった。


「パンダさまだーっ!」

「あ! 帰ってきた!」

「カワウソも一緒だ〜!」


子どもたちの黄色い声が、あちこちから湧いた。

気づけば、広場のあたりから小さな足音が一斉に近づいてくる。


「うわ、囲まれる……!」

「キューー!」

あっという間に、子どもたちに押し寄せられた。


「ただいま……って、ちょっと待て、耳は引っぱるな! それ毛だぞ!」

「ふわふわー!」

「ふおおーやっぱりパンダさまのモフ毛は最高だー!」


もふもふ攻撃の中、ココは必死にしっぽを巻きながら、俺の首にしがみついてくる。

まったく。帰ってきて、最初の仕事が“耐モフ訓練”とはな。

 

「パンダさま!」


聞き覚えのある声が、少し遅れて飛んできた。

リオナだった。


前より少し髪が伸びて、エプロン姿のまま走ってくる。


「おかえりなさい、パンダさま――じゃなくて……ハクジンさま!」


言い直したその瞬間、俺に飛びついて、勢いよく抱きついてきた。


「っと!」


バランスを崩しかけたけど、なんとか踏みとどまる。

ココがびっくりして俺の首にしがみついてくる。


「ほんとに、ほんとに、無事でよかった……!なかなか帰ってこないから、ずっと、心配してたんだよ!」


「……ただいま」


それだけ言うのが、やっとだった。

リオナの目の端が、少し赤くなっているのが見えて、

なんだか胸の奥が、ほこっと温かくなった。

 

やがて、大人たちもぽつぽつと集まってきた。


「おかえりなさい、パンダさま……じゃなかった、ハクジンさん?」

「なんだか……旅に出る前より、痩せて陰りが見えるわねぇ」

「あら、ほんと。目元にちょっと影が出て、なんか渋さが増してない?」

「本当だ……なんか、ダンディ」

「影のある男……素敵!」


ヒソヒソと若い女性たちの声が聞こえてきて、なんとなく視線が集中しているのを感じる。

「……ええと、あんまりジロジロ見ると、モフりますよ」

「えっ?いいんですか……!私、以前から背中のモフ毛に顔を埋めたいって思ってたんです!」

「なんでそうなる」

ココが肩の上で、「キュ……」と呆れたようにため息をついた。

 

「そうだ、こいつのこと――」

ふと、俺はみんなの視線が一点に集まっていることに気づいた。

「旅の途中で名前をつけたんだ。“ココ”って言う。……これからは、そう呼んでやってくれ」


「ココ!?」

「かわいい名前〜!」

「キュッ!」


急に名前を呼ばれて照れたのか、ココはピクリと耳を揺らしてから

得意げにしっぽを一振りしてみせた。


「ココー! こっちこっち!」

「ふわふわココ〜!」

「なでてもいい〜?」

子どもたちはすぐに順応する。


あっという間に「パンダさま」と「ココ」は村の人気コンビとして復活していた。


「……おい、調子に乗るなよ」

「キュッ」

なんだか、“悪くねぇ”顔をしている。

そうだな、お前も……おかえり、だ。

 

「ハクジンさま、お風呂の支度しますね!」

「その前に、お茶を!」

「リオナ、お茶こぼさないようにね!」

「はいっ! ……って、こぼしませんー!」


いつのまにか、俺は村の真ん中で囲まれていた。

でも、それが――なんだかすごく心地よかった。


ああ、帰ってきたんだな。

いつの間にか、この村が、”俺の帰る場所”になってたんだな。



ふと、広場の外れに目をやると、見慣れた老いた背中があった。

村長だった。

手に湯呑みを持って、縁側に腰掛けている。

俺はココを肩に乗せたまま、そちらへと歩き出した。



縁側に腰掛けた村長は、湯呑みを手のひらで包み込むように持っていた。

風が吹くたびに、茶の香りがほのかに流れる。


「よう戻ったのう、パンダ殿」

「ハクジンで、お願いします」

「はは。そうじゃった、そうじゃった」


村長の顔に刻まれた皺は、以前より少し深くなったように見えた。

けれどその笑みは変わらず、ゆったりとした時の流れをまとっている。


俺はそっと隣に座り、ココを膝に乗せた。

しばらくの間、ふたりとも言葉を交わさなかった。

ただ風が吹き、茶の湯気がたゆたっている。


「……変わったのぅ」

「え?」

「おまえさんの“まとう空気”じゃよ」


村長は目を細め、俺の背中をまるで透かすように見ていた。


「前より、少しだけ“深み”が増した。ええ顔になったのう」

「……そうですかね」


「…姫さまは、嫁がれたそうじゃな」

「はい」


「そう、下を向かんでええ。噂には聞いとる。姫さまが自分でお決めになったことなんじゃろ?」

「…ああ」


「なんじゃ、パンダ殿。他にも旅で、いろんなもんを背負ってきたようじゃな。そんな顔しちょる」


俺は湯呑みを受け取り、一口飲む。


「あち……。けど、うまいですね。やっぱ、ここの茶が一番だ」

「うまかろう。リオナがな、お前さんがいつ帰ってきてもいいように準備しとったものだ」

「そうか。随分寄り道して遅くなっちまったから、悪いことしたな」


ふたりで、ふっと笑う。


「村長。……俺、ここで何ができるか、まだよくわかってないんですよね」

「うむ」

「誰かの背中を押したり、話を聞いたりすることは、旅の中でも、今までだって自然とやってきた。でも姫の背中を見て、エドガーや旅の中で出会った人たちの決意を聞いて……自分はそれだけでいいのか、正直わからなくなっちまった」


村長は頷く。

「そうじゃのう。人は、”迷う”もんじゃからな」


「……俺、前は“誰かの役に立てるならそれでいい”って思ってた。でも……それだけじゃ、たぶん足りないんだよな」


言葉にしながら、ココの頭を撫でる。


「こいつに名前をつけたときも思ったんだ。 ”ここ”から始めてみようって。何をするのか、どんな未来を描くのか、まだこれっぽっちも分からねえが…」


村長は目を閉じたまま、うんうんと静かに頷く。

「長い人生歩いているとな、晴れの日ばかりではない。雨が降ったり、風が吹いたりする。外を歩けば、山があったり、川があったり、一人では進むのが困難なこともある」


「……ああ、そうだな」


「そんな時はな、誰かを頼っていいんじゃ。一人で見つけられない答えも、尋ねてみれば誰かがヒントを教えてくれるかもしれん。一緒に考えてくれるかもしれん。それにな、一人で登るには険しい山道も、交代で励ましあってなら進んでいけるもんさ」


その言葉が、胸の奥にすっと染み込んだ。


「”早く行きたいなら一人で行け。遠くへ行きたいなら、みんなで行け” 昔からある言葉じゃが……ワシはな、こう思うんじゃ」

「“一人で行ける場所でも、誰かと一緒なら違った景色が見える”ってな」

 

風が吹き、木の葉がさらさらと鳴いた。

俺は、しばらく何も言えなかった。

言葉が胸に詰まっていた。


「……いい言葉ですね」

「お前さんには、よう似合っとると思うぞ。その大きな背中には、賑やかなのが似合う」


俺は湯呑みを見つめたまま、ぽつりと口を開いた。


「俺……ここで、自分のやりたいことを探してみようと思います」

「そうか」

「誰かの背中を押すのも悪くない。でも、“俺自身”の道を見つけることも、やってみようかなって」

「うむ。うむ。それでええ」


「すぐには見つからないかもしれんが、焦らず行こうと思ってる。……いい歳したおっさんだけど、それを理由に諦めるのは、もうやめようと思うんだ」


村長は笑って、湯呑みをぐいっと空けた。


「お前さんも、一緒に行くんじゃろ?」

「キュッ!」

元気な返事に、俺も笑ってしまった。


 

そのとき、広場のほうから子どもたちの声が聞こえた。

「パンダさま〜! モフらせて〜!」

「ココ、こっちきてー!」

「わたし、パンダさまのお膝に乗りたーい!」

「……賑やかになってきたな」

「うむ。賑やかなのも、”悪くない”のじゃろ?」


俺は立ち上がり、ココを肩に乗せた。

「……じゃあ、行ってきます」

「おお、行ってらっしゃい」

振り返ると、村長が手を振っていた。

 

広場では、子どもたちが待っていた。

リオナも笑顔で手を振っている。


「おかえりなさい!」

「さあ、パンダさま、今日もモフらせてください!」

「順番だよ〜!」

「ちょっと待て、落ち着け。ココをつぶすな」

「キューーー!」

肩の上でココがわたわたしている。

 

笑い声が響く。

風が吹く。

空は高く、穏やかだった。

 

旅は、いったんここで終わる。

でも――本当の意味での“出発”は、きっとこれからだ。

俺は、村の空を見上げながら、小さくつぶやいた。

 

「……よし。ここから、もう一度はじめてみるか」

 

【第一幕 完】



最後までお読みいただき、ありがとうございました!

ここまでで、一応完結にします。


この物語は、上野動物園にパンダを見に行った際、ガラスに背を預け、もしゃもしゃ笹を食べているシャオシャオの大きくて頼もしい背中見ているうちに描きたくなったお話です(つまり背中しか見えなかった)。パンダの背中って、なぜか縋りつきたくなるような”頼もしさ”がありますよね(笑)。この作品を読んで、皆さんにも、そんなパンダの頼もしい背中を思い描いていただけたなら幸いです。

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