21話 愛の告白をされまして
「好きだ、イリス」
「えっ……な……っ」
「俺は、君に惹かれている」
ストレートな告白に驚いているうちに、さらに想いを重ねられる。あまりにもド直球な愛の告白に、イリスの全身が硬直する。身体がじん、と痺れて身体から力が抜けそうなのに、足と腕に変な力が入っていることとブルーノに顎を掴まれているせいで、その場に崩れ落ちることさえ許してもらえない。
「以前も伝えただろう。俺は、君の芯の強さと意思の強さ、謙虚さと美しい姿を好ましく思っている」
ブルーノの台詞は確かに聞き覚えがあった。先日、カーティスの陰謀にイリスを巻き込むことに謝罪と説得をされたとき、偽りの恋人役にイリスを選んだ理由として、似たような褒め言葉が添えられていた。ブルーノのその言葉が嘘だとは思っていなかったし、そう思ってくれるのは素直に嬉しかった。
「イリスの『噂』は、以前から知っていた。だがハロルド=クロムウェル伯爵の誠実な人柄や生真面目な仕事ぶりも知っていたから、その愛娘であるイリス=クロムウェル嬢が噂通りの『愛人令嬢』だとは、どうしても思えなかった」
ブルーノの台詞にまた胸を打たれる。噂を鵜呑みにせずイリス自身を認めてくれることも嬉しかったが、同じぐらいに父ハロルドを正当に評価してくれることも嬉しかった。ブルーノはやはり、宰相の地位に立つに相応しい人物だと、心から思える。
「だから殿下の生誕祝いの夜会で君と出会って話をしたとき、いい意味で驚かされた。予想通りの誠実さと生真面目さ、『愛人』らしからぬ素直さと純粋さに惹かれた。だからこそ、俺は君に恋人役を願ったんだ」
「ブルーノさま……」
イリスの印象を語るブルーノが、視線を誘導するように顎を掬い掴むことは止めてくれる。だがその手を完全に離してくれたわけではない。
ブルーノの手がイリスの頬をそっと包み込む。まるで指先から愛おしいと伝えるように、優しい温度にそっと肌を撫でられる。
「けれどすぐに、期間限定の偽の恋人などという軽はずみな提案をしたことを後悔した。……俺は、イリスを本気で好きになった」
「!」
ブルーノが自身の判断を悔いるように表情を歪める。その仕草を見て、先ほど『噂の広がり方や作戦なんて、もう気にしなくてもいい』と口にした理由を察する。
その台詞を耳にしたイリスは彼に突き放されたように感じたが、実際は『もうどうでもいい』という意味ではなかった。ブルーノの一言は、『偽りの関係を広める必要はない』という意味だったのだ。
ブルーノがこんなにも強くイリスを想ってくれることに、言葉にできない喜びを覚える。
嬉しい。恥ずかしい。照れてしまう……けど、嬉しい。
自分のこの気持ちをどう表現していいのかと考えあぐねていると、ブルーノが頬を撫でる手を止めて小さなため息をついた。
「だがイリスが、仕事ばかりで何の面白味もないつまらない俺を好くはずがない。年齢だって、七つも離れている」
「!」
「女性が喜ぶ贈り物も出かけ先も思いつかず、結果的にペンとインクというさらに面白味もないプレゼントに落ち着いた。情けない話だな」
「そんなことはありません!」
自嘲気味に笑うブルーノの自己分析を全力で否定する。
「ブルーノさまからのプレゼントは、これ以上ないほど嬉しい贈り物です!」
「……そうか、よかった」
イリスが懸命に訴えると、目を見開いて驚いていたブルーノが、ふっと表情を崩した。必死すぎるほど前のめりに感想を伝えてしまったイリスの反応に、少し気が緩んだのかもしれない。
「まぁ、そのインクのせいで混乱を招いてしまったが……」
「ブルーノさまが気に病むことではありません。誰にどう思われようと、私はこのインクが宝物です」
「……イリス」
ブルーノが苦笑いを零すのでふるふると首を振る。もちろんこのインクにも罪はない。イリスは、カーティスの悪事に利用された大切なインクも被害者であると思っている。
思い出すとまた気色悪さに身震いするが、イリスの強張った顔を見ていたブルーノが、意を決したようにイリスの手を握ってくる。そのまま手を引いたブルーノが向かった場所は、いつも彼が使っているデスクの後ろ側だった。
カーティスの登場を待つ間イリスが身を潜めていたためか、ブルーノが普段腰かけている椅子が、少し離れた場所まで転がっている。
「これを見てくれ、イリス」
「?」
しかしブルーノがイリスに見せたいものは椅子ではないらしい。指示された方向に視線を向けてみると、ブルーノが机と一体になった引き出しの一つを広く開けて、中から木製の黒い箱を取り出している。それが先ほどカーティスが話していた『二番目の引き出し』の『箱』であると、無意識のうちに察する。
ブルーノが黒くて光沢のある木箱の蓋を持ち上げる。中に入っていたのは、文字が書かれた複数枚の紙切れだった。
「これは……」
「イリスが俺に残してくれていた、メモや書き置きだ」
「!」
ブルーノの宣言に驚くあまり、彼の顔を凝視してしまう。
それからもう一度箱の中を覗いてみると、確かに書かれたものが自分の字であることに気がつく。何枚か手に取ってみると、ブルーノの言うようにイリスが作業の完了や進捗報告の申し送りとして記した、メモや書き置きであることにも気づく。文頭には『ブルーノ=マスグレイヴさま』、文末には『イリス=クロムウェル』とサインがあった。
しかも上の方に重ねられているのはブルーノからプレゼントされたインクを使ったものだが、下の方にあるのはまだブルーノからインクを贈られる前の、文官に支給品されるものと同じ、ごく一般的な黒インクによるものであることも見てとれる。ということは、つまり。
「捨てずに保管していたのですか!? すべて!?」
「ああ」
ブルーノが少し照れくさそうに頷くので、ようやく先ほどの彼らの会話、そしてカーティスがブルーノを『女々しい』と罵った意味を理解する。
政敵であるブルーノの弱みを見つけようとこの宰相執務室に侵入したカーティスは、ブルーノのデスクを物色したことで気づいてしまったのだ。彼がイリスの記した『ただのメモ書き』すら捨てずに大事に保管していることを。それほどまでにイリスを強く想っていることを。
そしてこの発見をしたからこそ、カーティスは『イリスのインク』の存在にも気がついた。はじめのうちは支給品の黒インクによる伝言だったが、途中から光に当てるときらきらと輝く文字に変わったことに。一般には出回っていないそのインクが、宰相執務室内に置かれた小さなデスクの上に佇んでいることに。――二人にとって、このインクが特別なものであることに。
ブルーノの顔を見上げて再び呆然とする。これらを大事に保管していたばかりに、普段深く関わることのないカーティスにすらイリスへの真剣な想いを気づかれていたというのだ。彼が自分の落ち度だと嘆く理由も理解できる。
「いや、普通に考えて気持ち悪いよな。だから見せるつもりはなかったんだが……」
イリスが惚けていることに気づいたのか、ブルーノがぼそぼそと呟いた。
「ただ、思いつきで言ったわけじゃないということだけは、ちゃんと知ってほしかったんだ」
「ブルーノさま……」
ブルーノの切なる想いにまたじんわりと胸が震える。言葉でも態度でもイリスに想いを伝えてくれることが嬉しいと思う。
けれどイリスは、その気持ちに素直に応えていいのかどうか判断できない。
期間限定の偽りの恋人で、互いにとって利があるからこその関係とは違う。イリスがブルーノの想いに応えて本物の恋人同士になったところで、果たしてブルーノに得られるものがあるのだろうか。自分は、彼に何かを与えることができるのだろうか。
「……愛人令嬢と呼ばれている私が、宰相閣下とお付き合いだなんて……周りになんと思われるか……」
誰かと不道徳な関係にあると誤解されがちの『愛人令嬢』イリスだ。美貌の宰相ブルーノという完璧な天才の隣に立つことが許されるのだろうか。――そう考えて落ち込みそうになるイリスだけれど。
「イリスは面白いことを言う」
「え?」
「その心配は今さらじゃないか? もし何か言ってくる奴がいるなら、とうの前に言われている」
「そ、それは……」
「現時点で誰も何も言われていないなら、今後も何も言われないと思うぞ」
ブルーノの言う通りだ。彼の想いを受け入れれば、二人の関係は『偽りの恋人』から『本当の恋人』へ変化する。
だがそれはあくまで二人の意識の問題であって、対外的にはイリスとブルーノは、最初から本物の恋人同士ということになっている。あえて申告しなければ、誰も二人が『偽物』から『本物』になったことなど気づきもしないだろう。
だからブルーノの言い分はわかる。それでもどうしても戸惑ってしまう。
「そう不安な顔をしなくていい」
「ブルーノ、さま」
「イリスが答えを出すまで待つ。元々春までの約束だから、今は答えを急かさないつもりだ。だから真剣に……俺と付き合うことを考えてみてほしい」
ブルーノはイリスに悩む時間と迷う時間をくれるらしい。イリスが真剣に考えて、答えを出すまで待ってくれるという。
時間をくれるなら、とこくりと頷くと、ふいにブルーノと目が合う。灰色がかったなめらかで美しい銀髪の奥に、深海のような静かさをたたえた青い目が揺らめいている。こうして近くで見ると、ブルーノの顔立ちが本当に整っていることがよくわかる。
いつもは無表情なブルーノが、ふっと笑みを零す。美貌の宰相閣下は笑ったときの表情も魅力的だ。――なんて、見惚れていたのに。
「たくさん文字を書いてるのに、イリスの手は綺麗だな」
「え……あ、ありがとう、ございます……?」
さり気なくイリスの手を掬い取ったブルーノが、握った手をじっと見つめて感心の声を零す。実際は中指の側面にペンだこもあるし、お手入れに精を出しているわけでもないので、言うほど綺麗な手ではないと思う。
だが褒められたことは素直に嬉しい、と思っていたら、ほんの少しだけ身を屈めたブルーノがその手にそっと唇を寄せてきた。
「っ~~! ブルーノ、さま……っ!」
まるで騎士が忠誠を誓うような手の甲へのキスに驚き、シュバッと手を引っ込める。
イリスの俊敏な動きに一瞬目を丸くしたブルーノだったが、すぐに口元を手で覆って楽しそうに笑い出した。
「は、春まで、待って頂けるのでは……っ?」
「ああ、もちろん。イリスの答えはちゃんと待つ。けどその間、まったく好意を示さないわけじゃない」
「!?」
屁理屈みたいなことを平然と言い放つブルーノに、呆気に取られてしまう。びっくりして瞬きをすると、今度は腰を抱くように身体を引き寄せられて、耳元にはっきりとした愛の台詞が注がれた。
「好きだ、イリス」
「!」
にこりと優しく微笑まれると、再び全身が熱く火照り始める。暖炉の中の薪が燃え落ちてから随分時間が経過し、室内の温度もかなり低下しているというのに、身体が熱いとさえ感じてしまう。
目が合うだけで恥ずかしい。ブルーノに向けられる笑顔が眩しい。
だからイリスは、自分が胸の内に秘めた本当の気持ちに気づかされる。
(私は……私、も……)
――イリスもきっと、ブルーノに惹かれている。




