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19話 私は都合がいいようです(後編)


「私も最初は、怒ると怖くて、無愛想で、融通の利かない方だと思っておりました」


 はじめてブルーノとまともに話した夜会の日、表情を一切変えずに淡々と処罰を決めて退場を促すブルーノを、怖いと思った。噂通り融通の利かない堅物宰相で、イリスも説教をされた上に罰を与えられるものだと思っていた。


 だが彼はイリスの話にちゃんと耳を傾けてくれた。愛人令嬢などという不名誉な呼称や噂を聞いても、そう思われても仕方がないようなイリスの外見を目の当たりにしても、一部のみを判断材料にはせず、イリスの気持ちをちゃんと聞いてくれた。


 それどころか、この境遇から抜け出すための機会を与え、その手助けをしてくれているのだ。


「ですがブルーノさまは、目の前のことも、未来のことも、すぐ傍にいる人のことも、辺境の地にいる民のことも、国王陛下や王太子殿下と同じぐらい真剣に考えてくださいます」


 一緒に過ごす時間が増えるたびに、ブルーノが噂や外見だけで物事を判断せず、自身の目で確かめ、自身の考えを伝えた上で、相手と話し合って結論を出す人だと知ることができた。弱い者や困っている人を助け、未来を見据え、公正かつ平等な判断をルファーレ王国のすべての人や物に対して向ける人だと理解できた。


 今のイリスに、ブルーノを『融通の利かない堅物宰相』だと思う気持ちはない。イリスはもう、心の底から彼を尊敬しているのだ。


「ただ、寝る間を惜しんでお仕事をしすぎてしまうのは、少し心配なのですけど」


 イリスが苦い笑みを零すと、ブルーノが小さな咳払いを漏らした。自分でも無理をしている自覚があるらしい。まさかイリスから遠回しな説教を受けるとは思ってもいなかったらしく、少し罰が悪そうである。


「だからこそ、私がその手助けになりたいと思っています。私でよければ、いくらでも利用してほしいと思ってしまうのです」


 ブルーノの睡眠時間の話は一度横に置き、今のイリスの気持ちを素直に伝える。


 ブルーノが自分の仕事を手伝わせるためにイリスを宰相執務室に通わせているというのは、元より承知だ。もちろんイリスは利用されているとも、都合のいいように扱われているとも思っていない。


 だがもし彼がイリスを利用したいと考えているのなら――イリスでも役に立てることがあるというのなら、協力は一切惜しまないつもりだ。


「それに『私が誰の愛人でもない』という話を信じてくれた家族以外の男性は、ブルーノさまが初めてだったので……」

「……」

「とても、嬉しかったのです」


 イリスが誰の愛人でもない、という話を、カーティスは一切信じてくれなかった。先ほど『次から次へと、他の男とばかり関係を持ちおって』と信じられないような暴言を投げつけられた。あまつさえ『ミハエルとさえ恋仲になった』と、自分の息子の話すらまともに聞いていないと思しき発言もあった。


 そんなカーティスを、イリスが好ましく思うはずがないのだけれど。 


「私の入る隙はない、のか……」

「最初からあるわけないだろう。妻子がいる身で、何を言ってるんだ」


 げんなりと呆れたように呟くブルーノの台詞には、イリスも完全同意である。どうしてイリスがブルーノから離れると思ったのか、どうしてその後に自分が深い仲になれると思ったのか、そのありえない発想の理由を聞いてみたい。


 嘘。聞きたくない。

 知ったら鳥肌が立つ気がしたので、やはり知らないままの方がいいと考え直す。


 ――それよりも。


(ブルーノさまと……離れる……?)


 イリスの頭の中に舞い戻ってきたのは、直前に自身で思考した『イリスがブルーノから離れる』という状況だった。


 イリスとカーティスが深い仲になる可能性はゼロだが、イリスとブルーノが離れる可能性はゼロじゃない。それどころか、数か月後の『期限』が来たら、その可能性は百になる。ありえないどころか、最初からわかっていた決定事項だ。


「……っ」


 ちくり、と胸が痛む。今は手を伸ばせば触れられるほど傍にいるブルーノだが、いつかはこの関係を終わらせる日がやってくる。


 『期間限定の偽りの恋人』なのだから、当然なのに。


 急に息苦しくなって立ち尽くすイリスだったが、そこで突然、ばん、と勢いよく扉が開いた。イリスだけではなく、ブルーノとカーティスも驚いて顔を上げる。


 宰相執務室に飛び込んできたのはギルバートと数名の近衛騎士、そして貴族議員である上流貴族の男性数名だった。


「遅くなりました、ブルーノさま。応援を連れてまいりました」

「ああ、悪いな。ギルバート」


 ギルバートとブルーノのやりとりに、カーティスがぎょっと目を見開く。


「ブルーノ!? お前まさか、私を審判機関に突き出すつもりか!?」


 カーティスの発言に、ブルーノ以外の全員が驚いた表情をする。


 イリスはこの期に及んでお咎めなしだと思っているカーティスの思考回路に驚いたが、ギルバートを含めた他の男性陣は、カーティスがブルーノの名前を呼び捨てた上に『お前』と口にしたことの方に驚いたらしかった。


 そんなカーティスにため息をついたブルーノの宣告は、やはり公正かつ平等だった。


「他人の名を無許可で使用して手紙の差出人を詐称した罪、鍵を盗んで許可のない執務室に立ち入った罪、室内を物色した罪、少量のインクといえど他人の私物を窃盗した罪――そして俺とイリス、ひいては王室を陥れようとした罪。……これだけ色々な罪を重ねて、お咎めなしのはずがない。相応の処罰が与えられることは覚悟しておくんだな」


 ブルーノの確認は、ルファーレ王国の法律に基づく罪状の羅列だ。細かく調査すれば重複する罪、新たな別の罪が発覚する可能性もあるが、これだけのことをしておいて無罪放免となるはずがない。


「審判機関の調査と裁定が終わるまで、レティード公爵邸にてご謹慎を。王都から一歩でも外に出れば逃亡とみなされ、より罪が重くなることはゆめゆめお忘れなく」

「く……っ」


 強めの釘を刺されたカーティスが、表情を絶望に歪ませ、胸を刺されたかのような苦悶の声を発する。だが犯した罪から簡単に逃れられるはずはない。


 やってきた二人の近衛騎士がカーティスの両腕を抱えて、執務室の外へ引き連れていく。一緒にやってきた男性三人はこの状況を見届けるための証人役のようで、貴族議員の中でもブルーノの思想に近い人々らしい。


 のちに聞いた話によると、カーティスはイリスに強い恋心を抱いていたが、レティード公爵夫人と本気で別れるつもりはなく、イリスを秘密の愛人にしたがっていたらしい。だがうら若き令嬢に懸想していることを妻に悟られ、レティード公爵家の中での居心地が悪くなり、仕事でのミスも増え、最近では自堕落な生活を送る姿が散見されていたという。


 公爵家当主という高い身分にありながら彼がどこか満たされていなかったそもそもの理由は、ブルーノに宰相の座を奪われたことにあるらしい。年齢やこれまでの功績を考えると自分が次の宰相になるはずだったのに、当時まだ二十三歳だったブルーノが新宰相に就任したことで、カーティスの自尊心にヒビが入った。


 その後、イリス=クロムウェル伯爵令嬢に密かな恋をしたことで一時的に気持ちが安定したのに、そのイリスが宰相・ブルーノ=マスグレイヴと本気の交際を始めたと耳にする。――ヒビ割れ程度で済んでいたカーティス=レティード公爵の自尊心が、完全に崩壊した瞬間だった。


 そうして粉々に砕けた心が、彼の中に歪んだ魔物を生み出した。


 カーティスは、イリスの名を騙って王太子夫妻の関係に亀裂を入れることで、自分を選ばなかったイリスへ復讐すると同時に、恋人であるブルーノの評価も落とそうとした。イリスの行動の管理責任を問うことで、ブルーノを宰相の地位から引きずり降ろす材料を得るとともに、恋人の裏切りでブルーノの心も傷つけようと企てたのだ。


 また、恋人に捨てられて傷つき行き場を失ったイリスに手を差し伸べることで、イリスの心を自分へ向けられるのでは……とも思惑していたという。


 規格外の超理論だ。その作戦が上手くいくと思えた思考回路と、自信満々に実行した行動力に、ただただ衝撃を覚える。


「あっ……レティード公爵閣下!」


 そんなカーティスの事情をこのときはまだ知らないイリスだったが、彼に対する特別な感情はなくとも、ひとつだけ、どうしても伝えておきたいことがあった。


 それは彼がイリスのインクを詰まらせ、書けなくしてしまった『元の』万年筆のことである。


 カーティスがずっと握りしめている万年筆は、おそらく最初のラブレターを書いたときに使ったものではない。最初のものは文字が書けなくなってしまったので、今夜新たにインクを抜き取ろうとしていたその万年筆は、きっと新品のものだ。それならば。


「万年筆は、ぬるめのお湯で固まったインクを溶かして、きれいにお掃除すれば、また使えるようになりますよ!」

「……」


 高価な筆記具が使えなくなってしまったのは、さぞ悲しいことだろう。愛着があるならなおさらだ。


 だが実をいうと、インクが詰まった万年筆は二度と使えなくなるわけはない。しっかりと洗って、固まったインクをお湯に溶かしてきちんとお手入れをすれば、また使えるようになるのだ。


 そう説明するイリスに、カーティスが憎々しげな表情で悪態をついた。


「特別な色と光に浸かった万年筆など、二度と使いたくないわッ」


 特別な色、というのは、黒色に木苺色のような赤みが配合された染料のことで、光、というのはインクに混ざった細かい金色の粒子のことだろう。


 浸かったといっても綺麗に洗えばまた別のインクを入れて使用できるのに、カーティスはその万年筆を金輪際使うつもりがないという。


「筆記具に罪はないのですけど……」


 イリスがしょんぼりと口にすると、やりとりを見ていたブルーノが顔を背けて肩を震わせ始めた。笑っているらしい。どこに笑われる要素があるのかわからなかったイリスはひとり、むぅ、と唇を尖らせた。


 あとで報告をするというギルバートと手短に話し合いを済ませると、やってきた人々がカーティスを連れて、宰相執務室をぞろぞろと出ていく。残されたイリスはこれで一件落着だと胸を撫でおろしたが、イリスには思いがけないお仕置きが待っていた。



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