12話 デートにやってきました
約束の休日。クロムウェル伯爵邸まで馬車でイリスを迎えに来てくれたブルーノが向かったのは、王都でも特にお洒落なお店が集まるショッピングエリアだった。
服飾店や宝飾店はもちろんのこと、花屋や生活雑貨店、レストランやカフェなどの飲食店に至るまで、ルファーレ王国の流行はすべてこのエリアから発信されるといわれている。新しい商品が作られるのも、新しい技術が開発されるのも、周辺諸国からも取り入れられた知恵がルファーレ風に生まれ変わるのも、この街に住む住民や職人がみな好奇心旺盛で流行に敏感であるがゆえだ。
「こちらのお店ですか?」
「ああ、そうだ」
そのエリアの中心地から東に向かう街路沿いに、木造建築の外観が美しい二階建ての小さな店があった。ここがブルーノの目的地らしい。目線を上げると一階と二階の間に店名の入った看板が掲げられており、板の端にペンとノートを模した絵図が彫られているのが目に入る。
「文房具屋さんですね」
「そうだ。最新文具はもちろん、アンティーク文具からヴィンテージ文具、ペンや筆や画材、紙にノートにカード、封蝋やその金型まで取り扱っている」
「す、すごいですね……!」
ブルーノの説明に思わず感嘆してしまう。イリスも家族や友人たちと共にこのエリアへ遊びに来ることはあるが、自分が使う筆記用具はクロムウェル家にやってくる外商が薦めるものをそのまま購入しているため、街の文房具店に自ら足を運んだことはない。
字を書くことは好きだがその道具や紙について深く考えたことはなかったので、未知の領域を前にドキドキと緊張してしまう。
そんなイリスのわくわく感を悟ったのか、イリスを見下ろしたブルーノが表情を崩して優しい笑みを浮かべる。ブルーノと目が合うと今度は別の意味でどきどきする気がしたが、イリスが何かを言う前にブルーノの手が店のドアを押し開けていた。
カラン、コロン、と可愛らしいドアベルの音が響く音を聞きながら、ブルーノが開けてくれたドアから店の中へと足を踏み入れる。
外から見た木造の美しい印象は店の中も同じで、あたたかみのあるオレンジのライトに照らされた壁や柱、二階へ続く螺旋階段、品物が並べられているテーブルや棚まで、すべてが木でできた可愛らしい文房具店だった。
「わあぁ……! 素敵です……!」
お店自体はそれほど広くない。だが天井まである壁の棚には細かい間仕切りがされていて、そこには色とりどりの紙類が並べられている。
反対側の壁には種類豊富なペンや筆や万年筆が立てかけられており、その下にあるショーケースの中にはガラスや金属でできたペーパーウェイトがずらりと並んでいる。
中央のテーブルにも種類豊富なメッセージカードがたくさん並んでいて、奥にはノートやキャンバス、レターセットといった紙類を集めたコーナーがあるようだ。
「ちなみに二階には絵具やパステル、インク系が置いてある」
「上にもあるんですね!?」
「地下もあるらしいぞ。入手が難しい希少性の高い文房具と、日光で変質しやすい紙類は、下に保管してるようだな」
「す、すごいです……!」
目に見えているだけでこんなにもたくさんの文房具があるのに、さらに上階と下階にも商品が置いてあるらしい。
こんなにもたくさんの文房具を取り扱っていることに……それどころか、世の中にこんなにもたくさんの文房具が存在することに感動してしまう。宝の山の中に迷い込んだような気分だ。このお店の中のすべてをくまなく見てみたい――そんなわくわくが抑えられない。
「いらっしゃいませ」
そわそわしながら店内を見回していると、店の真ん中あたりにあるカウンターの中から男性の声が聞こえてきた。
声の主はカウンターの中にあるロッキングチェアに座っていたらしく、ギギッと音がしたのち、高いカウンターの向こうから眼鏡をかけた細身の男性が顔を覗かせた。
「いらっしゃいませ、マスグレイヴ閣下」
年齢は五十歳ぐらいだろうか、くるみ色のシャツと、ベースは白だが汚れが目立つロングエプロンを身に着けた男性が、ブルーノに気づいて朗らかな笑みを浮かべる。
「ご注文頂いておりました品物、できあがっておりますよ」
「無理を言って悪かったな」
「いいえ、とんでもございません」
男性はこの店の店主で、ブルーノとも知り合いらしい。最初の挨拶をするとそのまま世間話を始めてしまったので、最初は二人の顔を交互に見つめていたイリスもそろりとその場を離れ、店内を自由に見て回ることにした。
(か、可愛いです……)
最初に覗いたのは話をする彼らのすぐ後ろ、ペンや筆が立てられた棚だった。
イリスが普段愛用しているペンは、柄の部分が黒檀でできた中細字のつけペンと、金属製の細字の万年筆だ。しかしどちらもごく一般的に流通しているもので、デザインもさほど珍しくない品物だ。筆はあまり使わないが、つけペンであれ万年筆であれ筆であれ、これほど材質や形やデザインが豊富だとは知らなかった。見ているだけで心が躍る。
そのまま視線を下に下げ、ペーパーウェイトが並べられたショーケースを覗く。店の照明を浴びてきらきらと煌めくガラスの中は、花や動物や天体をそのまま閉じ込めたように美しい。
そのショーケースを端から順番に眺めながら横へ移動していくと、今度は紙類のコーナーに辿り着く。ノートやキャンバスは形や材質だけではなく紙の質感にもこだわっているようで、値段が記されたプレートを見ると紙にもそれぞれ名前がつけられていると知る。
好奇心のままキャンバスに触れてみると、目に見えない凹凸があるものから、ゆでた卵の表面のようにつるつるのもの、赤ちゃんの肌のようにさらさらすべすべのものまで色んなものがある。絵具やインクの種類によって、キャンバスも使い分けることができるようだ。
さらにその奥の棚には、便箋と封筒が同一デザインになったレターセットが並んでいる。こちらも普段のイリスは普通の白い便箋に普通の白い封筒ばかり使っているので、ざっと見るだけで五十種類以上のデザインがあることにまた驚いてしまう。
棚から一つ出してはじっくり眺めて元に戻す。この作業を五十回も繰り返せるなんて、時間がいくらあっても足りないほどだ。
「どうだ、楽しいか?」
少しずつ身体の位置をずらしてはいるものの、動作自体はすべて同じことの繰り返しだ。その動きを見ていたブルーノが、笑いを堪えながらイリスに声をかけてくる。
「はい、とっても」
「それはよかった」
「どれもすごく素敵です。見てください、ブルーノさま! このレターセット、なんと線のところに猫ちゃんがいるんですよ!」
イリスが先ほど見つけたのは、白い便箋に黒い猫のイラストが入った可愛らしいレターセットだった。色んな種類のレターセットを確認してみたが、イリス的には封筒の宛名面や便箋の罫線上にちょこんと黒猫が座ったこのレターセットが、一番可愛いと思う。
線の上で猫が身体を伸ばしたり寝転がったりしているキュートさを懸命に教えると、一瞬動きを止めたブルーノが少し俯いて小刻みに震え出した。……笑っているらしい。
「イリスは、そういうのが好きなのか?」
「はい! 可愛いですよね」
力いっぱい頷いて返答をすると、ブルーノが「ああ、そうだな」と短い声を漏らした。ブルーノの反応から、勢いよく力説しすぎてしまったかも……と恥じて反省していると、ブルーノがイリスの傍に一歩近づいてきた。
「……確かに可愛いな」
そう言って手を伸ばしてきたブルーノが、突然イリスの頭をぽんぽんと撫でる。まるで愛しい恋人を可愛がるような仕草に驚き、今度はイリスの動きが一瞬止まり、そのまま静かに俯いてしまう。
急に優しい表情で触れられると、どういう反応をしていいのかわからない。
季節は秋から冬に代わり、そろそろ王都にも雪が降り始める時期となった。一般家庭と同じく、お店の中にも暖炉や小型の薪ストーブが設置されている場合が多い。この文房具店も暖かい温度に保たれていて快適だ、と最初は思ったが、今は身体が――特に顔がやけに熱い。それにブルーノと、目を合わせられない。
「店主、これも頼む」
「えっ」
イリスが俯いていると、小さな笑みを零したブルーノがイリスの手からレターセットを抜き取った。そのままカウンターに向かい、中の店主に声をかける。
ブルーノの思わぬ行動に、ハッと顔を上げる。
「かしこまりました。一緒にお入れしておきましょう」
「ブルーノさま……?」
「さあ、買い物も終わったな。行こうか、イリス」
「え、ええぇ……!?」
ブルーノがレターセットの会計を済ませ、注文していたという品物も受け取り、そのまま入り口に向かってすたすたと歩き出す。慌てたイリスも商品にぶつかったり落としたりしないよう細心の注意を払って入り口へ向かう。
「あの、ありがとうございました」
カウンターの前を通り過ぎる前に、足を止めて中にいる男性にぺこりと頭を下げる。
「素敵なお品物をたくさん見れて、とても楽しかったです。また来てもいいですか?」
「ええ、もちろん。是非またいらしてください」
「ありがとうございます」
入店時はすぐにブルーノと話し始めてしまったのでちゃんとした挨拶ができなかったが、文房具店の店主は朗らかで優しそうな人物だった。イリスのお礼にもにこにこと微笑んでくれたので、ほっと胸を撫で下ろしながら今度こそブルーノの後を追う。
扉を開けて待ってくれていたブルーノと共に店を出る。最後にもう一度会釈をすると、店主が微笑みながら手を振ってくれた。間違いなく良い人である。
「少し歩こうか」
楽しい気分に浸っていると、ブルーノがそう声をかけてきた。
「馬車を呼んでもいいが、カフェはそんなに遠くない。日ごろの運動不足を解消する良い機会だ」
「はい」
今日のルファーレの王都は晴れていて、風もそれほど強くない。ブルーノの言う通り、さほど遠くない場所ならば少し歩くぐらいがちょうどいい運動になるだろう。
そんなことをのんびりと考えていたイリスの目の前に、ふとブルーノが手を差し出してきた。その手がイリスと手を繋ぐために差し出されたものだと気づいて再び動揺しかけたが、考えてみれば今日も偽りの恋人としてやってきているのだ。過剰に慌てふためくのも格好が悪い、と思い至る。
大人しくブルーノの手に自身の手を重ねる。ミハエルとエリックの前で演技をしているときは、それほど気にならなかった。いや、特に誰かが見ているわけでもないのに手を繋ぐ今の方が、むしろ緊張してしまう。
「デートみたいですね」
「……だから、そうだと……」
イリスがぽつりと呟くと、ブルーノが少しだけ不機嫌そうに独り言を零した。
しかし内容まではよく聞こえない。そっと視線を上げて首をかしげると、目が合ったブルーノが一瞬遅れて「なんでもない」と呟いた。
そんなブルーノの耳が少し赤く染まっているように見えるのはきっと、ルファーレ王国に冬が近づき、日増しに気温が下がってきているからだった。




