第一章:目は口ほどに物を言う④
ルイネとシュレンは、前方の街の影の向こう側に夕陽が沈みかけるころになって、コバールに到着した。依頼主であるこの街の仕立て屋に、閉店間際になって二人は駆け込み、ヴォルテックスの雑貨屋で預かった染料を無事にその日のうちに届けることができた。
二人は依頼書に受け取りのサインをもらって仕立て屋を出ると、コバールの街で安宿を取った。いくら整備されているとはいえ、夜の街道を戻るのは危険だ。昼と夜では現れるモンスターの種類が様変わりするからだ。
ヴォルテックスとコバールを結ぶ街道は、昼間は獣や虫系のモンスターが多いが、夜になると、ゾンビやスケルトンなど、アンデッド系のモンスターが多く出現するようになる。ルイネにそう説明され、スライムにすら敵わないシュレンは恐怖で縮み上がった。この世のものではないアンデッド系モンスターに物理攻撃は通りにくい――すなわち、アンデッド系モンスターに対抗しうる魔法が使える者がいない自分たちだけで夜道を戻るのは現実的でないとルイネに諭され、宿代の出費は痛かったが、二人はヴォルテックスへの帰還を翌日へと延ばしたのだった。
宿屋の一階にある食堂で夕飯を摂った後、ルイネとシュレンはそれぞれの部屋へと戻った。アイボリーのシャツにオリーブグリーンのズボンという軽装になったシュレンは、質素だが清潔に整えられたベッドに身を横たえ、ぼんやりと天井を見つめていた。いつの間にかそぼ降る雨が小さく安宿のガラス窓を叩き始めている。
(ルイネはすごいな……自分だって、駆け出しの銅級冒険者だっていうのに、こんなお荷物でしかない僕の面倒を見てくれて……)
同い年の華奢な女の子でしかないはずなのに、彼女と自分では実力に雲泥の差がある。まだ実戦経験は乏しいのだと、ルイネは先ほど夕飯を食べながら話してくれた。しかし、計り知れないほどのこれまでの彼女の努力が不足している経験を補っていた。
それに対して、自分はどうだろう。シュレンは自分の無力な両手を見つめる。
土塊から金を作る方法を知るために、リンシュ大陸へ行きたい。昼間、自分がルイネに語った言葉は嘘ではない。けれど、その背景にあるのはそんな大層な理由ではなかった。
格好悪いな、とシュレンは己を嗤笑した。自分が金を生み出したい本当の理由を知ったとしても、まだルイネは自分に協力してくれるだろうか。
(何にしたって、ルイネにお世話になりっぱなしっていうのも悪いな……何か、僕にできることがあればいいんだけど……)
シュレンはベッドから起き上がると、足元に置いた自分の背嚢の口を開いた。背嚢の中をごそごそと探り、シュレンは石英の欠片と鉄屑、乾燥させた竜胆の花びらと獅子の毛を取り出した。それらをシュレンはベッドのサイドテーブルに並べていく。
窓辺に置かれた一輪挿しからルピナスの花を抜き、水を捨てると、シュレンは一輪挿しの中に材料を放り込んだ。サイドテーブルの上のキャンドルの火にガラスで出来た一輪挿しを翳し、彼はゆったりと中身を揺らす。
キャンドルから一輪挿しに熱が伝わり、中身がゆっくりと融解し始めた。シュレンは様子を見ながら、フラスコ代わりの一輪挿しをゆっくりと揺らし続ける。
一輪挿しの中身はゆっくりと何度も分離と融解を繰り返す。石英と鉄が混ざり合い、赤く色を変える。赤い石に溶けた竜胆の花びらと獅子の毛が加わり、艶と輝きを増す。そして、赤玉石から鉄が溶け出し、小さな環を作る。
しばらくの後、一輪挿しの中身は小さな赤い石をあしらったシンプルな意匠の一対のイアリングへと姿を変えていた。一輪挿しを逆さにし、熱の残るそれを手のひらに取り出すと、よし、とシュレンは満足げに頷いた。
シュレンは自分の部屋を出ると、向かい側のルイネの部屋の扉を叩いた。
「ルイネ、今ちょっといい? 僕、シュレンだけど」
そう言ってシュレンが扉を開けようとすると、「待って!」部屋の中から鋭い制止の声が飛んできた。がさがさという慌ただしい物音が扉越しに聞こえてくる。
三十秒ほどして、内側から客室の扉が開き、ルイネが顔を出した。真紅のケープと白の軽鎧を脱いだ濃青のチュニック姿の彼女は、室内だというのに耳当て帽子を被ったままだった。
「ごめん、ちょっと着替えてたもんだから。それで、シュレン。どうかした?」
「今日、ここに来るまでの道中、ずっとルイネに守ってもらっちゃったから、そのお礼がしたくって。よかったらこれもらって」
そう言うと、シュレンはルイネへと向かって、作ったばかりのイアリングを差し出した。ありがとうもらうね、とルイネはそれを受け取った。
「これ、さっき僕が作ったんだ。気休め程度だけど、ルイネの攻撃の威力が上がる効果がついてる」
「作ったって……もしかして、錬金術で?」
ルイネは驚いたように赤い目を丸くした。そうだよ、とシュレンが胸を張ると、ルイネは困ったように眉尻下げた。
「気持ちはありがたいんだけど、あたし、耳の皮膚弱くって。金属製のものつけると、すぐかぶれちゃうんだよね」
「そうなんだ、ごめん。でも耳に直接つけなくても、たぶん効果あると思うから、よかったら持ってて」
「わかった、ありがとう。ありがたくいただくね」
ルイネはイアリングを手に微笑んだ。ところで、とシュレンはルイネの頭を覆う耳当て帽子に視線をやり、話題を変える。
「ルイネ、帽子脱がないの?」
え、と意表をつかれたようにルイネはぱちぱちと赤い目を瞬いた。
「ああ、これ? あたしの住んでた地域では、一日中この帽子を被ってるのが普通なんだ。帽子脱ぐのはそれこそ髪洗うときくらいで」
「その帽子って確か、北のギルーア帝国の民族衣装とかだっけ? やっぱり帽子被りっぱなしなのって、寒さから身を守るためだったりするの?」
「うん、そんな感じ。あたしの故郷は寒いから、これ被ってないと、髪が凍ったり、耳が凍傷になっちゃったりするんだ」
そう言いながら、ルイネはぱちぱち、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。ギルーア帝国の人々がどんな暮らしをしているかなんてルイネは知らない。この帽子を被っているのは、エルフの特徴的な耳を隠すのに都合がいいからだ。今しがた口にした言葉はすべて出まかせだった。
ルイネの言葉に特に疑問を覚えなかったのか、ギルーア帝国の人って大変なんだねえとシュレンは納得したような顔をしている。ボロが出る前に話を終わらせようと、ルイネは言葉を続ける。
「それより、今日はそろそろ休まない? 初めてのことばっかりでお互い疲れてると思うし」
「それもそうだね。そろそろ寝よっか。明日はまたヴォルテックスまで帰らないといけないし」
おやすみ、と挨拶を交わし合うとルイネは部屋の扉を閉じた。ガチャリ、と扉越しにシュレンが部屋に入っていく音が聞こえた。
(はあああああ……焦ったああああ)
ルイネは扉の内側でずるずると床に座り込んだ。安堵のあまり、口から大きく息が漏れる。
先ほど、シュレンが訪れたとき、ルイネは耳当て帽子を外していた。肩で切り揃えた水色の髪の間から、エルフ特有の長く尖った耳が覗いている状態だった。あのまま扉を開けられていたら、シュレンにこの耳を見られるところだった。
それに先ほどの流れで帽子を取るように言われなくて、本当によかった。文化的なものだというあんな口から出まかせの言葉をシュレンが信じてくれてよかったような安堵感と、純真な彼を騙してしまったことへの罪悪感が胸の中で綯い交ぜになって渦を巻いている。
ルイネは手の中に握りしめたままだった赤い石のイアリングに視線を落とした。こんな自分にシュレンが向けてくれた気持ちに、一体自分は何を返せるのだろう。
(駄目だ、卑屈になるんじゃない。自分の発言には責任を持たなきゃ。あたしはシュレンに協力するって言ったんだから)
今の自分にできることは、精一杯を尽くすことだけだ。己にそう言い聞かせながらルイネは立ち上がると、ベッドの脇に置いた自分の背嚢をへと近づいた。ルイネは荷物の中から革紐を探し出すと、シュレンからもらったイアリングを通す。そして、革紐の両端を髪の下に潜らせて首の後ろまで持っていくと合わせ結びになるように結えた。
緩やかな曲線を描く濃青色のチュニックの胸元で一対のイアリングが揺れる。対照的な色のチュニックの布地の上で、力強さを感じさせる赤色は小さくともよく映えた。
ベッドサイドテーブルの上でゆらゆらと揺れるキャンドルを手で煽ぎ消すと、ルイネはシーツの間に体を滑り込ませた。煤とラベンダーの混ざり合った香りが鼻腔を撫でていくのを感じる。
明日はシュレンを連れてヴォルテックスへと戻る。往路のことを考えれば復路も大して危険とは思えない道のりだったが、油断は禁物だ。
どこかで遠雷が聞こえる。明日の朝には止むといいな。思考がだんだんと眠気に覆われていく。翌日のことへと馳せられていたルイネの思考はとろとろとゆっくり溶け出して、眠りの闇の中へと落ちていった。